けれど(Credo)

I:キリシタン信仰と殉教 II:ファチマと現代世界 III:カトリック典礼、グレゴリオ聖歌 IV:「聖と俗」雑感

ファチマ・クルーセイダー

2012年12月20日 | Weblog
第二バチカン公会議および新しいミサに対して警告された秘密

ファチマ・クルーセイダーのポール・クレイマー神父との独占的インタビュー

The Fatima Crusader Issue 92, May 2009 より

質問:オッタヴィアーニ枢機卿とは誰ですか?そして彼はファチマの第三の秘密について何を言ったのですか?

[クレイマー神父]アルフレド・オッタヴィアーニ枢機卿は検邪聖省[聖務聖省]の長官でした。そして同時に、検邪聖省はローマ聖庁の中でも抜群の聖庁でした。彼は正統性に関して宣告する人でした。また、彼は諸々の御出現の最終的な承認あるいは不承認に対する司法権を持っていました。彼はアントニアーヌムで彼が1967年に行った演説の中で、ファチマの第三の秘密は一枚の紙に書かれていると述べました。

質問:チアッピ枢機卿とは誰ですか?そして彼はファチマの第三の秘密について何を言ったのですか?

[クレイマー神父]マリオ・ルイジ・チアッピ枢機卿は教皇パウロ六世によって枢機卿とされたドミニコ会の司祭でした。彼はパウロ六世、ヨハネ・パウロ一世の下で、そして教皇ヨハネ・パウロ二世の在位期間の初期に、教皇付きの神学者でした。チアッピ枢機卿はバウムガルトナー教授宛の彼の手紙の中で、第三の秘密において、他のこともいろいろあるが、教会において大きな背教がトップのところで始まるであろうということが明らかにされている、と述べました。

質問:チアッピ枢機卿が真理を語っているということはあり得るでしょうか?「背教」は強すぎる言葉ではありませんか?

[クレイマー神父]教会の中に背教があり得る、あるいは教会の中に大背教があり得るという考えに何らかの困難を見出す何人かの人がいるということを私は知っています。ある人々は[背教という]その言葉がやや強いと考えているように思われます。

しかしながら、聖パウロにとっては、この言葉を用いることは強すぎるものではありませんでした。なぜなら、彼は、罪の人、アンチ・キリストの到来の前に、この大きな堕落、大背教があるであろう、ということを予告した人だからです。

それゆえ、ファチマの聖母が教会におけるこの背教について警告なさったことは驚くべきことではありません。なぜなら、このことは偉大な使徒自身、聖パウロによって聖書の中に正式にのべられた教えであるからです。

質問:聖母は、キリストのしみなき花嫁である教会それ自身が背教の時代に入るというようなそのような主張を決してなさらないであろうと言う人々にあなたはどのように答えますか?

[クレイマー神父]キリストの花嫁である教会が背教の時代に入ることができるというこの考えに困難を見出す人々に対して、私は、われらの主イエズス・キリストが次のように言っておられる、と答えます:すなわち、「見よ、私はあなたたちに予めこれらの事柄のすべてを告げておいた」と。神のみ言葉をわれわれはどのように疑問視することができるでしょうか?教会が、キリストの神秘体として、経験しなければならない苦しみは、例えば[旧約聖書の]哀歌の中に、預言的に書かれています。それは再び預言者ダニエルの書そして黙示録の中に書かれています。そこでは、われわれは大背教と信徒の残りの大迫害があるだろうということ、そして神が選ばれた者が保たれるように、彼らの信仰において彼らを保たれるであろうということを見ます。

質問:あなたはファチマの第三の秘密と新しいミサの導入との間に関連を見ますか?

[クレイマー神父]ファチマのシスター・ルチアはファチマのメッセージに関連して教会の中に悪魔的な方向感覚喪失が起こるでしょうと言いました。そして、見かけ上カトリック的な典礼の中に異質の諸原理を神聖なものとして大事にする一つの典礼革命をもたらすことができるそれ以上のものはありません。

実を言うと、悪魔的な方向感覚喪失の問題にはより大きな実質があります。私はこれまで明らかにされてこなかったファチマの第三の秘密の部分のことを言っているのです。私はこれが事実であるということを知っています。というのは、私はベネディクト教皇の長年の親友である一人のドイツ人神学者で神学校校長と個人的に話したからです。

カリフォルニア州ロスアンジェルスにおいて開催されたファチマ・センターの大使会議で講演を行うポール・クレイマー神父

ベネディクト教皇がまだラッツィンガー枢機卿であった1990年頃、彼は友人に、ファチマの第三の秘密の中で、聖母が典礼を変えないように、すなわち、文字通りには、カトリック典礼の中へ異質の無関係な諸要素を混合しないように、警告なさっている、ということを明らかにしました。

ジョゼフ・ゲリノー神父はミサの新しい典礼の立案者であるアンニバル・ブニーニ大司教の腹心でした。ゲリノー神父とブニーニ大司教は二人とも、ノーヴス・オルド・ミサは一つの新しい創作品である、ミサの古い典礼、ローマ典礼は破壊されてしまったということをはっきりと述べました。教皇パウロ六世は1969年11月に彼のミサはミサの新しい典礼であろうと告知されました。

それゆえ、新しい典礼 - ノーヴス・オルド典礼 - 何らかの仕方でローマ典礼の一つの改訂であり継続であるとうことには何の問題もないのでしょうか。そうではありません。それはカトリック典礼の伝統との断絶です。

それゆえに、ファチマの聖母は第三の秘密の中で、典礼におけるとりわけこの種の変更をしないように警告なさいました。にもかかわらず、教皇パウロ六世は先へと進み、とにかくこれらの変更を行われました。

聖母はまた、大きなスキャンダルを引き起こすであろう教会における悪しき公会議があるでしょう、と警告なさいました。そしてもちろんのこと、それは第二バチカン公会議からの諸文書 - 典礼憲章 - でした。それは教皇パウロ六世に対して、教会におけるそのような信仰の喪失と混乱とを引き起こしたそのような破滅を招く仕方において典礼を改革する刺激を与えました。

それゆえ、われわれは、これらの警告が、教皇パウロ六世がミサを変えられたまさにその仕方でミサを変えないようにとファチマの第三の秘密の中で聖母によって与えられたのだと、一人の親密な個人的友人に述べておられるラッツィンガー枢機卿を、持っているのです。

ところで、このことが起こった後で、私が言及しているそのドイツ人神学者は彼が校長をしていた南米の国に帰りました。そして彼は一人の若い司祭に、ラッツィンガー枢機卿が彼に話したことを説明しました。そして彼が、聖母はミサを変えることに対して警告なさり、また教会において一つの悪しき公会議があるでしょうと警告なさったまさにそのときに、彼らは二人とも、床から羽毛のような煙が立ち上るのを見ました。ところでそれは大理石の床でした。これは自然的な現象の何らかの事柄ではあり得ませんでした。若い司祭と歳をとった校長は二人とも非常に強い印象を受けたので、彼らは一見書類を作成し、そしてそれをラッツィンガー枢機卿のところへ送りました。

それから、2000年6月26日に、ラッツィンガー枢機卿は世界に対して、秘密全部がこの文書の中で述べられていると主張する、「白い衣装を身につけた司教」の幻視を含んでいる[第三の秘密に関する]文書を公表されました。しかし、われわれが、彼は一つの心的留保を用いておられると言うときにのみ、それは理解され得ます。すなわち、聖母によってその御言葉のうちに述べられていることはすでに暗黙のうちに、その幻視において象徴的に含まれているのです。

ラッツィンガー枢機卿の長い間の個人的な友人であるその年配のドイツ人司祭は、第三の秘密のこの幻視が公表されたとき、それは、あれらの事柄、ラッツィンガー枢機卿がおよそ10年前に彼に明らかにされた第三の秘密のあれらの要素を含んでいなかったという事実を書き留めました。そのドイツ人司祭 - デリンガー神父 - は私に、彼の疑問は彼がラッツィンガー枢機卿と共同司式をした日に彼の心の中に燃え上がったと、語りました。デリンガー神父は私にこう言いました:「私はラッツィンガー枢機卿と面と向かい合いました。」そしてもちろん彼はラッツィンガー枢機卿に尋ねました:「どうしてこれが第三の秘密全体であり得るのですか?あなたが以前に私に語ったことを覚えていますか?」

ラッツィンガー枢機卿は心配そうでした。彼は何と言うべきかを知りませんでした。そしてそれゆえ彼はドイツ語で彼の友人にうっかりこう言いました。「Wirklich gebt das der etwas」その意味はこうです。「実際そこにはなにかそれ以上のことがあります。」これは、第三の秘密には何かそれ以上のことがある、ということを意味しています。枢機卿はこのことをまったくはっきりと述べられたのです。

質問:これは驚くべき話です。デリンガー神父は信用できる証人ですか?

[クレイマー神父]私はこのことをすっかり言うことができます:すなわち、われわれは一人の年配の司祭、ベネディクト教皇の長年の個人的な友人、ピエトレルチーナの聖ピオ[パードレ・ピオ]の長年の個人的知り合い、について話しています。事実、彼は私に、自分は58回もパードレ・ピオに告解に行ったと語りました。この人は多年にわたって南米の神学校の校長であり、高く評価された人間、教会において大きな名声を持っている人です。

私はまた、彼が働いていた司教区において、私が第三の秘密について言ったこと、ラッツィンガー枢機卿が彼に明らかにしたこと、はこの人物が校長であった時に神学生や助祭であった若い司祭達の間では共通の知識だったと、指摘してもよいでしょう。彼らは皆、ラッツィンガー枢機卿が彼に話した話を知っています。

私が述べたように、彼らは一緒に一件書類を作成し、それをラッツィンガー枢機卿のところへ送りさえしたました。それゆえ、彼は信用に値する大きな信頼性をもった人物です。彼は、架空の物語を作り上げたり、あるいは尊大さを誇張したりすることをしない非常に真面目な人物です。その人はそのような事柄を必要としませんでした。彼は最も信用のできる人物です。