「されば汝ら、かく祈るべし。天にましますわれらの父よ、願わくは、み名の聖とせられんことを、み国の来らんことを、み旨の天に行なわるるごとく地にも
行なわれんことを。われらの日用の糧を今日われらに与え給え。われらが、おのれに負債(おいめ)ある人を許すごとく、われらの負債をも許し給え。われらを
試みに引き給うことなく、かえって悪より救い給え、アーメン。」(マテオ6:9-13)
どちりなきりしたん:われらが日々の御やしなひを今日われらにあたへたまへ。此こころはあにまのためににちにちの御やしなひをあたへたまへとこひ奉るなり。これすなはちたつときえうかりすちやのさからめんととがらさと、ぜんと、すぴりつさんとの御あたへとうの事なり。又しきしんのそくさいと、いのちをつぐべきためにもいるほどの事を与へたまへとこひ奉る儀也。
Panem nostrum quotidianum da nobis hodie.主祷文のこの第四の祈願は先の三つの祈願が神の光栄に関する事柄の祈願であるのに対して、われわれの身体的・霊的な必要を満たしてくださるよ うにこいねがうものである。日毎の糧、パンばかりでなく、他のあらゆる生存のために必要なもの、すなわち、衣類や住宅や医薬品、光、熱、空気、水等がこれ には含まれる。そしてどちりなきりしたんが適切に解説しているように、われわれが霊的に必要としているもの、あにまのためのにちにちの御やしなひとしてがらさ(Graca=恩寵)、えうかりすちや(Eucharistia =御聖体)など、さらには神の御言葉が含まれる。身体のための食物としてパンが必要であるように、霊魂のための食物として神の御言葉が必要である。われわ れはそれを真剣にこいねがわなければならない。そしてキリストの御身体・御血である御聖体はわれわれの霊的な日毎の糧であるからして、それを与えられるよ うに願うのである。
霊魂のための食物である神の御言葉を受け入れない者は霊的に餓える。アモス書の中で主はこう言われた。「その日、私は地に飢えを送る。パンの飢えではな く、水の渇きでもなく、主のみことばを聞こうと望む、かつえである。人は、こちらの海から向こうの海へ、北から東に至るまで、よろめき歩く。彼らは主のみ ことばを求めてさまようが、それを見いだすことはできない」(アモス8:11-12)。
われわれは肉体の飢えを恐れるが、霊魂の飢えを恐れない。飢えを飢えと感じない。日用の糧を今日われらに与え給えと祈らなければならない。日毎の糧 daily bread は霊肉ともに日毎に必要とされるがゆえに、われわれが三度の食事を欠かさないように、神に対してわれわれの日々の生活のために必要な糧が、そしてわれわれ の永遠の救いのため不可欠の恩寵が与えられるように、継続的に祈り求めなければならないのである。
どちりなきりしたん:われらが日々の御やしなひを今日われらにあたへたまへ。此こころはあにまのためににちにちの御やしなひをあたへたまへとこひ奉るなり。これすなはちたつときえうかりすちやのさからめんととがらさと、ぜんと、すぴりつさんとの御あたへとうの事なり。又しきしんのそくさいと、いのちをつぐべきためにもいるほどの事を与へたまへとこひ奉る儀也。
Panem nostrum quotidianum da nobis hodie.主祷文のこの第四の祈願は先の三つの祈願が神の光栄に関する事柄の祈願であるのに対して、われわれの身体的・霊的な必要を満たしてくださるよ うにこいねがうものである。日毎の糧、パンばかりでなく、他のあらゆる生存のために必要なもの、すなわち、衣類や住宅や医薬品、光、熱、空気、水等がこれ には含まれる。そしてどちりなきりしたんが適切に解説しているように、われわれが霊的に必要としているもの、あにまのためのにちにちの御やしなひとしてがらさ(Graca=恩寵)、えうかりすちや(Eucharistia =御聖体)など、さらには神の御言葉が含まれる。身体のための食物としてパンが必要であるように、霊魂のための食物として神の御言葉が必要である。われわ れはそれを真剣にこいねがわなければならない。そしてキリストの御身体・御血である御聖体はわれわれの霊的な日毎の糧であるからして、それを与えられるよ うに願うのである。
霊魂のための食物である神の御言葉を受け入れない者は霊的に餓える。アモス書の中で主はこう言われた。「その日、私は地に飢えを送る。パンの飢えではな く、水の渇きでもなく、主のみことばを聞こうと望む、かつえである。人は、こちらの海から向こうの海へ、北から東に至るまで、よろめき歩く。彼らは主のみ ことばを求めてさまようが、それを見いだすことはできない」(アモス8:11-12)。
われわれは肉体の飢えを恐れるが、霊魂の飢えを恐れない。飢えを飢えと感じない。日用の糧を今日われらに与え給えと祈らなければならない。日毎の糧 daily bread は霊肉ともに日毎に必要とされるがゆえに、われわれが三度の食事を欠かさないように、神に対してわれわれの日々の生活のために必要な糧が、そしてわれわれ の永遠の救いのため不可欠の恩寵が与えられるように、継続的に祈り求めなければならないのである。