臨床研修センター(消化器・肝臓内科)松本伸行
前回、4月30日の記事では、僕が研修医時代、投与、投薬という言葉を使わないように指導された、という話を書きました。
ご指導くださったI教授の哲学は今でも正しいと思っているので、この言葉はあまり使っていません。ただ、その後、異論を耳にしたので以前ほどアレルギーがなくなりました。
その「異論」は、投与、投薬という言葉になぜ、「投」という字が用いられているのかについての話です。
単純に「患者さんに薬を投げ与える」という意味ではないのですね。この「投」と言う字の語源には、仏教的意味がこめられているのだそうです。
その意味を表す物語は釈迦入滅を描いた涅槃図に示されているとの事でした。
お釈迦様が沙羅双樹の樹のもとで入滅される時、我が子の急を知った天の摩耶夫人(お釈迦様のお母さん)が駆けつけ、薬を届けようと、天上からお釈迦様めがけて薬を投げました。
残念ながら、薬は沙羅双樹の木の枝に引っかかってしまい、お釈迦様に届く事はありませんでした。
この話を聞いてから、機会があるごとに涅槃図を意識してみるようになりました。
ご指導くださったI教授の哲学は今でも正しいと思っているので、この言葉はあまり使っていません。ただ、その後、異論を耳にしたので以前ほどアレルギーがなくなりました。
その「異論」は、投与、投薬という言葉になぜ、「投」という字が用いられているのかについての話です。
単純に「患者さんに薬を投げ与える」という意味ではないのですね。この「投」と言う字の語源には、仏教的意味がこめられているのだそうです。
その意味を表す物語は釈迦入滅を描いた涅槃図に示されているとの事でした。
お釈迦様が沙羅双樹の樹のもとで入滅される時、我が子の急を知った天の摩耶夫人(お釈迦様のお母さん)が駆けつけ、薬を届けようと、天上からお釈迦様めがけて薬を投げました。
残念ながら、薬は沙羅双樹の木の枝に引っかかってしまい、お釈迦様に届く事はありませんでした。
この話を聞いてから、機会があるごとに涅槃図を意識してみるようになりました。
確かに、弟子達、動物達、沙羅双樹の樹までが嘆き悲しむ中、薬の引っかかった沙羅双樹が青々と描かれています。また、薬を取りに行くのはネズミの役割で、同じ絵に猫が書いてあったりなかったり、、、その辺についてはいろいろな絵があるそうです。
この仏教的故事から投与、投薬という言葉が生まれ、用いられるようになったということ です。「投」という文字には、病に伏した我が子を救おうとする母の愛がこめられているのですね。
毎日の様にこの文字に接しながら、表面的な意味しか知らなかった時に比べ、言葉の由来をちょっとでも聞きかじった今は、自分の心持ちが少し変わったような気がしています。
(本当は涅槃図の物語について、出典を示そうと思ったのですが、色々な webなどに出典の明示なしで載っていて正確なところはよくわかりませんでした。)
この仏教的故事から投与、投薬という言葉が生まれ、用いられるようになったということ です。「投」という文字には、病に伏した我が子を救おうとする母の愛がこめられているのですね。
毎日の様にこの文字に接しながら、表面的な意味しか知らなかった時に比べ、言葉の由来をちょっとでも聞きかじった今は、自分の心持ちが少し変わったような気がしています。
(本当は涅槃図の物語について、出典を示そうと思ったのですが、色々な webなどに出典の明示なしで載っていて正確なところはよくわかりませんでした。)