エゾ中村のブログ

「藤圭子」から「現代医学の功罪」まで、思いの丈を綴ります。 ・・・ From 北海道 ・・・

『三波 春夫』で 御座います。

2021-02-21 08:03:56 | 芸能・アイドル
「東京オリンピック」と言っても、1964年(54年前)の大会です。 日本が、経済大国に躍り出た証として、世界にアピールする華々しい “オリンピック” でした。 今の様に、大会に対する報道は少なかったものの、日本全体が盛り上がっていたと思います。
その “立役者” は『三波 春夫』でした。 満面の笑みで、オリンピックをアピールしていたのが 印象的でした。 兎に角、声が良かった 歌が素晴らしかった。 “テレビ” や “ラジオ” で、連日『三波』が歌う「東京五輪音頭」が流れていたので、今でも楽曲を覚えています。

  「東京五輪音頭」 

                           作詞:「宮田 隆」作曲:「古賀 政男」歌:『三波 春夫』

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♪ ハァ~ あの日ローマで眺めた月が ソレ・トトントネ
 今日は都の 空照らす ア~・チョチイトネ
 四年たったら また会いましょと かたい約束夢じゃない
 ヨイショコーリャ 夢じゃない
 オリンピックの顔と顔 ソレ・トトント・トトント 顔と顔

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『三波 春夫』は、“浪曲” から “歌謡曲” に転身した歌手です。 同じ経歴を持つ有名人は「村田 英雄」女性では「藤 圭子」が おりました。 『三波』は、芸能人の中で “腰の低い” 好人物でした。 インタビューで「お客様は 神様です」と言って、一躍 有名になったのは人柄です。 それ程、プロ意識が高く 観客を大事にする 最高位の “歌手” でした。

私と面識はありませんが、亡き母は度々会った様です。 と言うのは『三波』が、北海道公演の際に立ち寄ったのが、母が勤務する “ゴルフ場” (現 “ザ・ウインザーホテル洞爺” )でした。
今から、50年以上前の事です。 ロッカー係だった母は『三波』を、ゴルフが好きで 気さくな人と “べた褒め” でした。 毎年訪れ、自然と顔見知りだったので、色々話を交わしたそうです。 写真の撮影も 色紙のサインも、快く応じてくれたと 誇らしげでした。 色紙の文字は「歌こそ我が人生・三波 春夫」だったと 記憶しています。

2020 “東京” オリンピック」は、“新型コロナ” の影響で開催が危ぶまれています。 新・大会組織委員会 会長「橋本 聖子」一人の力で、どれほど盛り上げてくれるか心配です。 思うに、芸能人 や 有名人 の ”バックアップ” が 必要です。 “オリンピック誘致” に纏まった情熱が、今 求められています。 『三波 春夫』に代わる “明るいキャラクター”(大会に相応しい“顔”) は、いないのでしょうか? 楽曲は、54年前の「東京五輪音頭」をアレンジしても、新たに作っても良いと思います。 歌い手は 世界的に有名な、“アイドルグループ” でも、また良し! ベテランのシンガーソングライターは、この際 ご遠慮願いたい。 若者が主体のオリンピックだからこそ、値打ちがあるのです。

「何が何でも 五輪を遣れ」と言うのではありません。 オリンピックは、世紀の祭典です。 少なくとも、高齢者が観られる 最後の日本(夏季)大会です。 どうか、オリンピックを “成功” させてください。 

◎ 前大会の顔『三波 春夫』