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青い森鉄道 普通電車の旅

2024-03-27 00:05:05 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 列車は千曳(ちびき)駅を通過し、乙供(おっとも)駅に停車しました。


 乙供の地名はアイヌ語の「オタ(砂地)トモ(はずれ)」が由来と言われます。


 昔は乙供駅から、国内最大の銅産出量を誇る上北鉱山を結ぶ軌道があり、駅の周辺は賑わい発展したそうです。

 


 列車が乙供駅を過ぎると、右手にこんもりとした山塊が見えてきました。
八幡岳辺りだと思います。


 だとすれば、山稜の左手に奥入瀬渓谷の流れがあるのでしょうか。


 そして車窓に田園風景が広がりました。

 


 列車は青森駅発車後1時間で上北町駅に到着しました。


 上北の地名は、明治11(1878)年施行の郡区町村編制法で、それまでの「北郡」を二つに分け、東京に近い南側を「上北」、遠い北側を「下北」としたことに因ります。


 下北半島の地名はこのことに由来するのでしょうか?

 


 上北駅を過ぎると列車は長い直線区間に入りました。


 この辺りが平坦な地勢であることが分かります。


 明治維新前の日本経済は、稲作が基盤ですから、このような景色を見ると、平穏で安定した人々の生活が想像できます。

 


 程なく列車は小川原駅に到着しました。


 小川原は「こがわら」と読みます。


 小川原駅に隣接する小河原湖(おがわらこ)は、昔は小川原沼(こがわらぬま)と呼ばれましたが、昭和33年に小川原湖(おがわらこ)と名を変えました。


 青い森鉄道の小河原駅は昭和28(1953)年にJRの駅として開業したので、駅名は「こがわら」と読みます。

 


 列車はその後も順調に走り続け、三沢駅に停車しました。


 三沢市で真っ先に思い出すのは、太田幸司投手を擁した三沢高校の甲子園での活躍です。

 

 ウィキペディアで確認すると、今から55年前の1969(昭和44)年のことですが、私は夏休みのテレビにかじりつき、三沢高校と松山商業の決勝戦を見続けた記憶があります。

 


 三沢の次が向山(むかえやま)駅ですが、どんな駅かとググってみると、「向山駅愛好会」というブログを見つけました。

 

 東北の人々のつつましさ、優しさみたいなものを感じ、勝手にリンクさせて頂きます。

 


 そして列車は奥入瀬川を渡りました。

 


 列車が奥入瀬川を渡ると直ぐに、下田(しもだ)駅に停車しました。


 下田という地名は「奥入瀬川の下流に開かれた田畑」が由来だそうです。


 下田駅は旧下田町の代表駅でしたが、下田町は2006年に百石町と合併し、おいらせ町となりましたので、現在の駅の住所は上北郡おいらせ町境田です。

 


 駅の周囲に緑の田が広がり、のどかで鄙びた雰囲気の景色が広がっていました。

 


 そして青い森鉄道の普通電車は、青森を発車して90分後の7時10分に八戸駅に到着しました。

 

 

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