列車が陸奥白浜駅を出ると、再び車窓に松林が続きました。
鮫角灯台から続く海岸線に、樹齢70年以上の松並木が続き、「淀の松原」の通称で呼ばれます。
この辺りの海岸は、1956年の「大須賀海岸砂防造林事業」により、海岸林としてクロマツが植えられました。そして今は「日本の白砂青松100選」の一つに選定されるまでになりました。
次いで列車は種差海岸駅に停車しました。
この種差の地名は、アイヌ語の「タンネ・エサシ(長い・岬)」が語源と説明されます。
駅から5分ほどの海岸にある「種差天然芝生地」は、種差海岸でしか見れない特徴的な風景が広がります。
2010年8月11日撮影
列車が大久喜駅に停車すると、海に突き出た岬と島が見えてきました。その島の厳島神社の鳥居が、東日本大震災時の津波でアメリカ西海岸まで流され、返還後に再建されたことから、「奇跡の鳥居」と称されます。
列車は三陸海岸に沿って南下し、金浜(かねはま)駅に停車しました。
青森県教育庁の資料によれば、「金浜」には砂鉄等が産出した可能性があるそうです。
金浜駅の次は大蛇(おおじゃ)駅ですが、「大蛇」の地名は、この地に「ホロド沼の大蛇が道行く人を襲うので、村人がマタギに大蛇退治を依頼し、神楽をやって待っていると、見知らぬ娘が現れました。
古老があの娘が主だと言うと、娘は沼へ逃げ込み、大蛇に姿を変えました。これをマタギが鉄砲で撃つと大蛇の姿は消え、沼から水が流れ出し、沼は干潟になった」、との話が伝わることが地名の由来なのだそうです。
列車は大蛇の次に階上(はしかみ)駅に停車しました。
階上の地名の由来は様々ですが、町の名は階上岳の山名にちなんで命名され、はしかみ=はし(端)+かみ(上)の意と説明されます。
私は主に車に寝袋を積んで全国を旅してきましたが、訪ねた土地の名をこれほど意識したことはありません。
しかし、普通列車の旅では、このような珍しい地名に出会える楽しみがあることを再認識させられました。
階上駅を発車した列車は2㎞程で「二十一川」という小川を渡り、県境を越えて岩手県に入りました。
岩手県に入ると列車は直ぐに速度を落とし、角の浜(かどのはま)駅に停車しました。
そして角の浜駅は岩手県最北端の駅です。
私はノンビリと、窓の緑を眺め続けました。
畑が広がる線路脇に海は見えません。
この辺りの標高は少し高いのか、津波の被害は殆どなかったようです。
平内駅を過ぎた辺りの車窓に平穏な風情の畑作地が広がっていました。
そういえば平内駅の近くに、NHK連続テレビ小説「あまちゃん」のロケ地となった岩手県立種市高校があり、当校の海洋開発科では伝統的な潜水法である「南部もぐり」を継承する授業が行われています。
平内駅の次は、洋野町の中心駅である種市駅ですが、駅票と駅の光景を撮りそこねました。
列車は種市駅、玉川駅で定期的な停発車を繰り返しながら久慈を目指します。
線路の両側は鬱蒼とした緑に包まれ、景色に大きな変化はありません。
そして玉川駅を過ぎた辺りで、列車が標高を落とすと、窓に田んぼが見えてきました。
前回の「青春18きっぷ」 「青春18きっぷ」花の旅 北海道
「花の旅」の全て 「花の旅」 総合目次
筆者のホームページ 「PAPYRUS」