宇宙(そら)は家

宇宙(そら)へ還ろう! 
五井先生は、両手を
広げて待って
いらっしゃいます。
(リンクフリー)

神様は等しく 各々の光を用いられる

2022-12-21 11:26:02 | 祈り
お手紙拝見致しました。
次から次へと御病気にかかられて、
気も弱っていらっしゃることでしょう。
けれど、人間は肉体のいのちがすべて
ではありません。
むしろ、肉体のいのちをやしなって
いるのは、霊であります。
神様のいのちであります。
肉体はこういうことを思うと本当に不自由な
場ですね。
自由自在身、これが、分生命(わけ
いのち)分霊(わけみたま)である人間の
本来なのです。
ですから肉体だけのいのちではない
ということなのです。
肉体だけのいのちなら、病気をしつづけて、
ずっとあなたのように病院ですごしている人
にとって、いのちとは、何とつまらないもの
だということになる筈です。
そうではないのです。
すこやかな人も病んでいる人も、神様は等しく
そのいのちを用いられる、各々の光を用いられる
のであります。
ですから、どうぞそのままで心に
世界平和の祈りをうかべ、日々、あなたの
いのちをかがやかせて下さい。
        昌 久 


祈りの他には 何もない

2022-12-20 19:43:53 | 祈り
久しくごぶさたしたが元気でやっているかい。

いろいろおもい悩むこともあるようだが、
神様がすべてみていて下さるのだ。
祈りを忘れないことだよ。

実際、祈りがすべてなのだ。
祈りの他には何もないといっても
いいぐらいなのだ。

けれども以前よりは短気が治ってきたと
嬉しく思っている。

五井先生だって毎日いろいろな人に
接したからね、いきおい気が長くなったよ。
いらいらしなくなったというより、自分の
本体をみちゃったからね、光りかがやく
人間の本体をみたら、とたんにはらを
立てるのが馬鹿馬鹿しくなったのだよ。

だから感情の波がゆれ動いているように
みえても、私は決してゆるがなかった。

私の守護霊守護神がしっかりと神に土台を
すえて下さったのだ。

神からすべては流れている。
僕らは生かされている生命(いのち)
なのだ。

生きている生命とつい信仰をしているんでも
おもいがちだけれど、そうじゃない、徹底して
生かされたいのちなのだ。

生かされているとおもうと、何もかもが
ありがたくなってくる。
自分に対して嫌なことをいう相手でさえも
ありがたくなるものだ。
なぜなら、自分というもの、我というものが
なくなっているんだから、ね、そうだろう。
私なんかありがたいことだらけだよ。
神界にいる今も情けなくなったり
思わず怒鳴りたくなるようなことにも
出会うけれど、それは、いつもいうように、
私が怒るんじゃない、みんなの守護霊、
守護神をとおしてのその人への業が五井昌久
という場をかりるだけだ。

私はみんなの我を預かって、そしてそれを光
にして返しているんだよ。
嫌なこと、辛いことそういうみんなの想いが、
つぶてのように私のところに飛んでくる。

よく目にとまらぬ早技というけれどそんな
ものじゃない。
でも、奥の奥のいのちが、光そのものだ
ということを知っているから、おそれる気持ち
なんかないし、いくらでもいらっしゃい、
みんな引き受けましょうということに
なったんだ。
これは神様と私との約束事だよ。

業想念のつよさを私はよく知っている。
そして光がそれに倍してすべてを明るく
かえてゆくことを、私は一番知っているんだ。

だから安心している。
未来永劫安心しているよ。

君、人間というのは光だよ。
それ以外の何物でもない。
ただ、だからといって人間の心を粗末に
していいなどとはいわないよ。

まだまだ、いろいろな気持ちも味わい、ゆれ動く
ことも多いだろうが、いつも、私が君の側に
いることを忘れないで、日々世界平和の祈りを
唱え精進してくれ給え。
               昌 久 



(ご生前当時の)うちのおばちゃんへ

2022-12-19 10:17:17 | 祈り
僕が神界に帰ってから、よく心をくだいて
昌美のため、会のために尽くしてくれて
ありがとう。
おばちゃんの支えがなければ、みんな
ここまでやってこられなかったろう。
僕が今、自在身を得て、君のことを想うと
つくづく君の思慮の深さと明るさに救われ
支えられた一生だったと思う。

僕は君に出会って、君によって真実の宗教家
としての自分を育てられたと思う。
そして君と出会ったことを、本当にこれは
神の愛念だったと深く識る僕なのだ。
ことに、最後の十年余り、僕は君にだけ、
この身におそってくる痛みや業想念の
ものすごさを訴えた。
この地上で、唯一僕が、痛い寂しい
ということの許されるのが君だった。
このことを僕はどれだけ感謝したか、また、
今もしているかわかるだろうか。

人間というものは、どこか一カ所に風穴を
持っていなければ、どんな聖人でも身が持つ
ものではない。
まして僕は、五井昌久という個性をそのまま
肉体に残した宗教者だった。
僕のいたみ、僕の苦しみは、誰にもわかりは
しない。
ただ地上でそれを知っているのは君だけだ。
そうして、その君が僕の妻であったことを、
僕は神慮だったとおもう。
しみじみと今、僕は君をおもっている。
自在身となった僕は解き放たれた自在身として、
一層君のもとに光をおくっている自分に
気付くのだよ。

どうか元気でいておくれ。
風邪などひかないようにして、自分の心を
大事に生きておくれ。
僕が地上にいる間、君は君の心を僕に
ささげてくれた。
今、光となった僕が、君をしっかりと
受けとめる番だ。

またかくよ。祈っている。
             昌 久 



親しき人々への短信 序

2022-12-18 14:06:08 | 祈り
  (親しい諸兄姉への書簡)

       序
               五井 昌久
ここには、私がかきおくりたいと現在
おもっている親しい諸兄姉への書簡を
あつめてみた。

プライベートなものも多々ある。けれども
第一通目のおばちゃん(妻美登里)への
書簡をのぞいては個人名を記していない。

それは、その人への私の心の短信である
という事実と、これを読む人々が、少しでも
勇気づけられることを目ざしているから
なのである。

大生命の源から分かれた朗らかな光
である人類に対する短信であるといっても
いいのである。
       昭和62年2月10日


人生を 光にみちたものにするために

2022-12-17 08:53:29 | 祈り
友よ
真実の
神の愛を
今宵
君と
語ろう

神が
どんなに
愛深く
私たちを
つつみ
また
許して
下さっているかと
いうことに
ついて
夜っぴいて
語ろうではないか

神は
私たちの親
親しい
友人
友愛のみちた
兄弟姉妹
そうではないか

人が
この世に
生きることは
かなしいことの
連続だ
けれど
涙を
ながしながら
一歩一歩
人が
耐えて
歩いて
くるのを
どれほどの
なみだをもって
迎えて
下さる方が
神で
あるか
この
真実は
誰の
想像も
およばない

友よ
人と
神とに
祈りを
ささげよう
そして
お互いのいのちが
人と
神とに
誠実で
ありつづけるように
祈ってゆこうではないか

この人生を
明るく
朗らかな
光にみちた
ものにするためにも
友よ
たがいの
いのちの
ために
さあ
神の前で
さかずきを
あげよう
   昭和62年1月30日