よく
肩に力の入ってる人
というのをみかけますよね
夫に対して
子どもに対して
かたくなって
いつのまにか
カチカチになってしまっている
笑っても
その笑顔がこおりついてる
なんて
そういう人によく出会います
そういう人は
自分のまわりに
ああして欲しいこうして欲しい
と思うわけだけど
でも
何よりも
自分自身を愛せていないんですね
ゆるせていない
これでいいと思えないんです
これはね これほど苦しいことは
ないですよね
まわりがみんなよくみえて
自分一人いつまで経っても
駄目だと思ってるんだからね
それで
こういう人と話をしていますと
まず
自分自身に緊張してるから
ガチガチになってるんです
肩の力を抜いて
何いったってかまわないから
と声をかけると
でも
夫を愛せません
子どもを愛せません
といったら五井先生に
どんな風におもわれるかって
みんな思っちゃうんですね
それでもぼちぼち
いいはじめて
私が何もいわずに
ああそうそう
そうだろうねえ
辛いだろうねえ
とすっぽり
その人の心のなかに入って
きいてゆくと
とけてゆくんですよ
一切とがめ立てしちゃいけません
責めちゃいけないんです
今まではみんな
お前がちゃんとしないからって
責めてばっかりきたんですね
もっと母親らしくとか
もっとやさしくなぜできないとかね
だけど人間
出来ないときは
できないんです
ちっともまわりが自分のいうことをわかって
くれない
と訴えてきたときに
そりゃああなたの努力が足りないよ
ではニベもない返事になってしまう
身動きのとれない苦しさ 辛さって
いうものに共感して
そうだねえ
と一言
その人のとらわれが
かたさが
ふっと取れて和む
平和になるんです
そうしておいて
徐々にほぐれてきたら
まわりのことが考えられるようになるんです
おなかがへって今にも死にそうだ
という人に
世界平和の祈りをすすめたって
できるもんじゃありません
まず
その人のおなかを満たして
おちつかせて
それから平和の祈りに入ったって
何もおそくないんです
親切そうにみえて
その人が今一番のぞんでいるものから
遠いものを与えたって
なんにもなりゃしない
やっぱり
まず
のどがかわいてるなら飲ませ
おなかをすかせているなら食べさせ
ないているなら
せいいっぱい
なかせてあげること
それが大事です
すべては
その思いやりからはじまってゆきます
世界平和の祈りは広いひろい
祈りだけれど
まず
その人のために
あなた方が何ができるかって
ことをね
現実に即してね
それがすぐ
この人寒いんだな
じゃああたためてあげようとか
おみそ汁持ってきてあげようとかね
私に黙って側にいて欲しいんだなっていう
そういう
心をキャッチしてできるようにならないと
ただ
祈れ祈ればっかりじゃあ
実を結んでゆきませんよね
その人を安心立命させることは
むずかしいです
だから
肩ひじはらないで
肩に力を入れないで
というのは
SOSを出して
あなた方の所に駆け込んできた
一人一人の人に
いったげないといけないことで
あると同時に
その歎きを受ける
あなた方自身も
決して力んだり
背のびしたり
いいかっう言おうとか
ここでひとつ相手がハッとするような
ことをいおうとか
おもわずに
ああ
これは消えてゆく姿なんだな
この人の苦しみが一日も早く
とれますように
天命が完うされますようにって
心のなかで祈りながら
光を送るっていうことが
何よりも大事です
言わずに祈るんです
やさしくして祈る
そうすると
自分の心も
相手の心も
ほぐれてゆく
光が入って
神様の方から光がながれてきて
ほぐれてゆくんです
だから
肩ひじをはらずに
世界平和の祈りを祈りつづけて参りましょう
平成2年1月13日
肩に力の入ってる人
というのをみかけますよね
夫に対して
子どもに対して
かたくなって
いつのまにか
カチカチになってしまっている
笑っても
その笑顔がこおりついてる
なんて
そういう人によく出会います
そういう人は
自分のまわりに
ああして欲しいこうして欲しい
と思うわけだけど
でも
何よりも
自分自身を愛せていないんですね
ゆるせていない
これでいいと思えないんです
これはね これほど苦しいことは
ないですよね
まわりがみんなよくみえて
自分一人いつまで経っても
駄目だと思ってるんだからね
それで
こういう人と話をしていますと
まず
自分自身に緊張してるから
ガチガチになってるんです
肩の力を抜いて
何いったってかまわないから
と声をかけると
でも
夫を愛せません
子どもを愛せません
といったら五井先生に
どんな風におもわれるかって
みんな思っちゃうんですね
それでもぼちぼち
いいはじめて
私が何もいわずに
ああそうそう
そうだろうねえ
辛いだろうねえ
とすっぽり
その人の心のなかに入って
きいてゆくと
とけてゆくんですよ
一切とがめ立てしちゃいけません
責めちゃいけないんです
今まではみんな
お前がちゃんとしないからって
責めてばっかりきたんですね
もっと母親らしくとか
もっとやさしくなぜできないとかね
だけど人間
出来ないときは
できないんです
ちっともまわりが自分のいうことをわかって
くれない
と訴えてきたときに
そりゃああなたの努力が足りないよ
ではニベもない返事になってしまう
身動きのとれない苦しさ 辛さって
いうものに共感して
そうだねえ
と一言
その人のとらわれが
かたさが
ふっと取れて和む
平和になるんです
そうしておいて
徐々にほぐれてきたら
まわりのことが考えられるようになるんです
おなかがへって今にも死にそうだ
という人に
世界平和の祈りをすすめたって
できるもんじゃありません
まず
その人のおなかを満たして
おちつかせて
それから平和の祈りに入ったって
何もおそくないんです
親切そうにみえて
その人が今一番のぞんでいるものから
遠いものを与えたって
なんにもなりゃしない
やっぱり
まず
のどがかわいてるなら飲ませ
おなかをすかせているなら食べさせ
ないているなら
せいいっぱい
なかせてあげること
それが大事です
すべては
その思いやりからはじまってゆきます
世界平和の祈りは広いひろい
祈りだけれど
まず
その人のために
あなた方が何ができるかって
ことをね
現実に即してね
それがすぐ
この人寒いんだな
じゃああたためてあげようとか
おみそ汁持ってきてあげようとかね
私に黙って側にいて欲しいんだなっていう
そういう
心をキャッチしてできるようにならないと
ただ
祈れ祈ればっかりじゃあ
実を結んでゆきませんよね
その人を安心立命させることは
むずかしいです
だから
肩ひじはらないで
肩に力を入れないで
というのは
SOSを出して
あなた方の所に駆け込んできた
一人一人の人に
いったげないといけないことで
あると同時に
その歎きを受ける
あなた方自身も
決して力んだり
背のびしたり
いいかっう言おうとか
ここでひとつ相手がハッとするような
ことをいおうとか
おもわずに
ああ
これは消えてゆく姿なんだな
この人の苦しみが一日も早く
とれますように
天命が完うされますようにって
心のなかで祈りながら
光を送るっていうことが
何よりも大事です
言わずに祈るんです
やさしくして祈る
そうすると
自分の心も
相手の心も
ほぐれてゆく
光が入って
神様の方から光がながれてきて
ほぐれてゆくんです
だから
肩ひじをはらずに
世界平和の祈りを祈りつづけて参りましょう
平成2年1月13日