(前日からの続き)
だから、死ぬというのは何かっていうと
あくまで、この地上でのこの時間を
まばたきの間くらいの時間かもわから
ないけれど、そこを精密に生き抜くと、
次の段階、また次の段階、また次の
段階、といってもう数限りなく果てしなく
段階はあるけれども、それをスムーズに
素直に祈ってゆくと、さらに本当に
まばゆいばかりの、本当に大らかな
世界というのが、どんどんどんどん開け
てきて、自分の個人の個の意識という
よりは、大きな大光明、大元の愛、大元
の光、その中のひとすじとして、自分が
さらに必要なところに、必要な地域に、
必要な人々に、必要な宇宙の人々に
照らそうと思わなくても、そこにたどり着き、
何か意識しなくても、すでにいろいろな
人の、いろいろな存在の支え合いの中で
宇宙の一角を照らしたり、それから
支えたりできる。
そういうところにまでゆくのが、人間だし
自分なんですね。
(つづく)
だから、死ぬというのは何かっていうと
あくまで、この地上でのこの時間を
まばたきの間くらいの時間かもわから
ないけれど、そこを精密に生き抜くと、
次の段階、また次の段階、また次の
段階、といってもう数限りなく果てしなく
段階はあるけれども、それをスムーズに
素直に祈ってゆくと、さらに本当に
まばゆいばかりの、本当に大らかな
世界というのが、どんどんどんどん開け
てきて、自分の個人の個の意識という
よりは、大きな大光明、大元の愛、大元
の光、その中のひとすじとして、自分が
さらに必要なところに、必要な地域に、
必要な人々に、必要な宇宙の人々に
照らそうと思わなくても、そこにたどり着き、
何か意識しなくても、すでにいろいろな
人の、いろいろな存在の支え合いの中で
宇宙の一角を照らしたり、それから
支えたりできる。
そういうところにまでゆくのが、人間だし
自分なんですね。
(つづく)