もうこれが最後の乗車、もとい片道切符になるかもしれない。↑
【R62編成 22-7003 博多南】
この日も野球好きの母と対西武戦を観にいくべく市内へ出向きました。
在来線の博多南線は15年ほど前、那珂川町にある博多総合車両所
近隣住民の福岡市内への通勤通学が、それまでバスで1時間かかっていた
という事から回送の新幹線に乗せて欲しいという強い要望により実現した
特急(扱い)専用の路線。最高時速120km/hの運転により所要時間は
10分に短縮、間隔はおよそ1時間毎(ラッシュ時は30分毎)と
支線としては満足のいく本数で、特急料金も100円と控えめに設定され
片道運賃合計290円と私鉄並みの料金での利用が可能となりました。
開業当初は6・12両編成の0系が主流でした。当時はまだ多くの0系が
山陽新幹線内はもちろん東海道新幹線をも又にかけ、
博多南発の列車だけでも1日25往復50本、全列車が順当されていて
僕も幼い頃父とサイクリングに出かける際ここをよく通りながら回送列車
車両基地進入時のタイフォンに耳を傾けていたこともありました。
この頃は500系のぞみもまだ登場しておらず、900番台の高速試験車
WIN350がのぞみ号300km/h運転の実現に向け黙々と、
空気抵抗を出来る限り減らすために特別に設計された
その自らの小さな車体を苛め抜きながら鍛える様に毎夜、
300km/h超のスピードで試運転を重ねていた時期でもあります。
97年、その集大成として500系のぞみが満を持してデビュー。
ダイヤ改正、「夢の超特急」の称号を受け継ぐ日本最速のスプリンターが
発表される一方で0系は乗客需要の見直しが図られ、一部の編成が
4両編成に短縮、中間電動車は徐々に廃車されました。さらに2年後の
99年には東海道新幹線でも高速化と省エネを図るべく700系が発表され、
これに倣って西日本も0系ウエストひかりを置き換え、高速化と省エネを
推進する目的で700系7000番台ひかりレールスターが誕生し
ひかり号の運用は消滅、時を同じくして東海道新幹線から
スピードアップについていけず障害とされた最高時速230km/hの
100系が引退すると4両ないし6両に短くカットされて西へ渡り、
消費電力量の低いサイリスタ電磁位相制御の100系に置き換えられて
高速化と省エネ化どちらも叶わない0系の活躍の場は更に狭まりました。
この頃からファンの間で「0系は風前の灯」と囁かれ出します。
そして今日・・・残る0系の両数は6両編成(R編成)×6本の僅か36両。
その中でも博多南から発着する0系は、休日運休の列車を含めても
2往復+上り1本の5本にまで落ち込みました。
間合いの運用とラッシュ時の対策として8両の700系すなわち
レールスターの編成も博多南7時42分発博多行き448Aとして
運用に加わることとなり、この日乗車した同駅11時8分発博多行き722Aが
0系で運転する列車としては終電、
あとは全て4両や6両の100系です
最近N700系も登場し、300系が余るようになると今度は多分
これが短くされて・・・(以下ry
嗚呼、何ということだ、、、
僕がしばらく九州の地を
去っている間にこんなにも
数を減らしていたなんてorz
この夏の博多南線利用は多分この日が1度きりのチャンス。
新幹線の元祖0系、今夏の生き残りの貴重な画像を載せたいと思います。
老兵よ、永遠なれ。できる事なら今年の冬を越して欲しい。
-Memorial Series 0-
【R62編成 22-7003 博多南】
この日も野球好きの母と対西武戦を観にいくべく市内へ出向きました。
在来線の博多南線は15年ほど前、那珂川町にある博多総合車両所
近隣住民の福岡市内への通勤通学が、それまでバスで1時間かかっていた
という事から回送の新幹線に乗せて欲しいという強い要望により実現した
特急(扱い)専用の路線。最高時速120km/hの運転により所要時間は
10分に短縮、間隔はおよそ1時間毎(ラッシュ時は30分毎)と
支線としては満足のいく本数で、特急料金も100円と控えめに設定され
片道運賃合計290円と私鉄並みの料金での利用が可能となりました。
開業当初は6・12両編成の0系が主流でした。当時はまだ多くの0系が
山陽新幹線内はもちろん東海道新幹線をも又にかけ、
博多南発の列車だけでも1日25往復50本、全列車が順当されていて
僕も幼い頃父とサイクリングに出かける際ここをよく通りながら回送列車
車両基地進入時のタイフォンに耳を傾けていたこともありました。
この頃は500系のぞみもまだ登場しておらず、900番台の高速試験車
WIN350がのぞみ号300km/h運転の実現に向け黙々と、
空気抵抗を出来る限り減らすために特別に設計された
その自らの小さな車体を苛め抜きながら鍛える様に毎夜、
300km/h超のスピードで試運転を重ねていた時期でもあります。
97年、その集大成として500系のぞみが満を持してデビュー。
ダイヤ改正、「夢の超特急」の称号を受け継ぐ日本最速のスプリンターが
発表される一方で0系は乗客需要の見直しが図られ、一部の編成が
4両編成に短縮、中間電動車は徐々に廃車されました。さらに2年後の
99年には東海道新幹線でも高速化と省エネを図るべく700系が発表され、
これに倣って西日本も0系ウエストひかりを置き換え、高速化と省エネを
推進する目的で700系7000番台ひかりレールスターが誕生し
ひかり号の運用は消滅、時を同じくして東海道新幹線から
スピードアップについていけず障害とされた最高時速230km/hの
100系が引退すると4両ないし6両に短くカットされて西へ渡り、
消費電力量の低いサイリスタ電磁位相制御の100系に置き換えられて
高速化と省エネ化どちらも叶わない0系の活躍の場は更に狭まりました。
この頃からファンの間で「0系は風前の灯」と囁かれ出します。
そして今日・・・残る0系の両数は6両編成(R編成)×6本の僅か36両。
その中でも博多南から発着する0系は、休日運休の列車を含めても
2往復+上り1本の5本にまで落ち込みました。
間合いの運用とラッシュ時の対策として8両の700系すなわち
レールスターの編成も博多南7時42分発博多行き448Aとして
運用に加わることとなり、この日乗車した同駅11時8分発博多行き722Aが
0系で運転する列車としては終電、
あとは全て4両や6両の100系です
最近N700系も登場し、300系が余るようになると今度は多分
これが短くされて・・・(以下ry
嗚呼、何ということだ、、、
僕がしばらく九州の地を
去っている間にこんなにも
数を減らしていたなんてorz
この夏の博多南線利用は多分この日が1度きりのチャンス。
新幹線の元祖0系、今夏の生き残りの貴重な画像を載せたいと思います。
老兵よ、永遠なれ。できる事なら今年の冬を越して欲しい。
-Memorial Series 0-
逆端側。(R62編成 21-7003 博多南)↑
<列車乗車記録>
博多南1108【JR博多南線博多行き722A(博多から山陽新幹線こだま722号
広島行き722A)】→博多1118(定刻)【22-7003(R62)】
赤坂1700【福岡市営地下鉄空港線/JR筑肥・唐津線直通西唐津行き365
(姪浜~西唐津間649C)】→唐人町1704(定刻)
【モハ103-1514(本カラE15)】
博多2233【JR博多南線博多南行き775A】→博多南2243(定刻)
【122-5051(P3)】
ちなみにこの日の対西武戦は勝ちました。
松中が久々にヒットです(
<列車乗車記録>
博多南1108【JR博多南線博多行き722A(博多から山陽新幹線こだま722号
広島行き722A)】→博多1118(定刻)【22-7003(R62)】
赤坂1700【福岡市営地下鉄空港線/JR筑肥・唐津線直通西唐津行き365
(姪浜~西唐津間649C)】→唐人町1704(定刻)
【モハ103-1514(本カラE15)】
博多2233【JR博多南線博多南行き775A】→博多南2243(定刻)
【122-5051(P3)】
ちなみにこの日の対西武戦は勝ちました。
松中が久々にヒットです(
車内は2&2シート。目立つエアコンも、加えて敷き詰められている↑
緩衝材があったからこそ8年前に起きた福岡トンネルの落盤事故から
乗客の命を守ることができました。
ちなみに天井に空調設備があるのはこの0系だけで
100系以降は全て床下です。他の車両であった場合
人的被害が発生していた可能性があったと言われています。
0系といい、新潟中越地震で被災したにも関わらず
一人も死者を出さなかった上越新幹線の200系といい、
国鉄型の車両がいかに丈夫に造られていたかがわかりますね。
緩衝材があったからこそ8年前に起きた福岡トンネルの落盤事故から
乗客の命を守ることができました。
ちなみに天井に空調設備があるのはこの0系だけで
100系以降は全て床下です。他の車両であった場合
人的被害が発生していた可能性があったと言われています。
0系といい、新潟中越地震で被災したにも関わらず
一人も死者を出さなかった上越新幹線の200系といい、
国鉄型の車両がいかに丈夫に造られていたかがわかりますね。