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仙丈亭日乘

あやしうこそ物狂ほしけれ

【昔の手帳から】 3月3日 (83年:イイゴウ、84年:失戀)

2011-03-03 01:30:52 | 昔の手帳から
【1981年】(1囘生)

9:30 教養正門前。立看制作。
春山計畫書屆く(鹿島槍などもつてのほか)


立看て何だらう?
4月から開校する枚方の學習塾の講師募集?
まつたく覺えてゐないが、私がこの時期に立看を作つたとしたら、それしか思ひ浮ばない。
あ、もしかしたら、C高OBへのコンパの呼びかけだつたかも。

C高山岳部からOBの私のもとに春山合宿の計畫書が屆いた。
行き先は北アルプスの鹿島槍ヶ岳。
春山では3泊4日の日程で合宿をするのが常であつたが、3月の北アルプスで3泊4日では日程的にかなり辛いものがある。
それより何より心配なのは、稜線に出てからのピッケルワーク、アイゼンワークだ。
鹿島槍あたりの稜線では雪庇が發達してゐるので、雪庇を踏み拔いて滑落したら一卷の終り。
ピッケル・アイゼンを使つた經驗の少ない高校生にとつて、北アルプスの稜線歩きはあまりにリスキーだ。
天氣が惡くて稜線まで登れなければよいが、なまじ天氣が良かつたりして上に上つたりするとヤバイ。
これは絶對に阻止しなくてはいけないと思つた。




【1983年】(3囘生)

12:00 京都驛烏丸口中央改札。イイゴウ。

イイゴウはC高山岳部の4つ後輩。
確か1981年の春山合宿に同行した時、2年生だつたのではなかつたか。
この年は私の在籍してゐる大學を受驗するといふので、迎へにいつた。
驛から彼の泊まるホテルまでバスで移動したのだが、そこでちよつとした事件があつた。
私たちが吊り皮につかまりながら受驗の心得や大學の話をしてゐたら、私たちから2~3列離れたところから「うるさい!」といふ怒鳴り聲が發せられたのだ。
私たちはそんなに大聲で話してゐたわけではないので、どうやら彼は話の内容が氣に入らなかつたらしい。
「いまさらジタバタしたつて始まらないから、ベストをつくせるやうにコンディションを整へることが大切だ」
私がそんな話をしてゐる、ちやうどその時に、その怒鳴つた彼は必死で「デルタン(關西ではシケタン)」を覺えやうとしていたみたい。
お前の聲のはうが大きいし、周りの迷惑になつてゐるぞ。




【1984年】(4囘生)

HにTel。もう本當にお終ひなのか。信じられぬ思ひ。
サトシ來訪。酒。

Hは當時つきあつてゐた女性。
1984年に入つて、彼女の私に對する接し方が怪しくなつた。
電話をしても、忙しいので會へないと云はれ、會へない儘に3月になつた。
彼女は就職することが決まり、私は5囘生になることが決まつてゐる。
もしかして、そんなことも影響してゐるのだらうかと、私はひとり悶々としてゐた。
そして、この日、つひに最後通牒をつきつけられたのだつた。
桃の節句なんて嫌ひだ!

サトシはC高時代の友人。
彼が京都駿台で浪人時代を過してゐた時から、何度も一緒にお茶を飮んだりしてゐた。
このときは、もう彼も大學に入つてゐた筈で、京都へは遊びに來たのだらう。
私の部屋は、酒だけはかかしたことがないので、きつと二人で遲くまで飮みつづけたに違ひない。
もしかすると、失戀確定の私はサトシ相手に泣き言を云つてゐたかもしれない。
桃の節句なんて嫌ひだ!とか何とか。





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