巨人戦スポーツ解説

プロ野球の巨人戦の解説です。

2018年2月18日。4. 主将で金! 小平が一夜明けて会見、ライバルとの友情と亡き友への思い

2018-02-19 17:17:47 | Weblog
          2018年2月19日
#為替、106.31円。106.16円。106.50円。ユーロ、131.99円。131.95円。132.17円。
#ダウ、25219.38ドル。+19.01ドル。ナスダック7239.46。-19.96。
#前場、22009.01円。+288.76円。後場、22149.21円。+428.96円。
日本のお寺。
霊雲院(れいうんいん)(京都市東山区)2/19済
霊雲院(れいうんいん)は、京都府京都市東山区にある臨済宗東福寺派の寺院で東福寺の塔頭である。
歴史[編集]

明徳元年(1390年)に岐陽方秀(きようほうしゅう)が開いたとされ、当初は不二庵と呼ばれていた[1]。岐陽和尚は、天龍寺第六十四世、南禅寺第九十六世、東福寺第八十世に歴任した高僧である。明徳4年(1394年)に遣明船が明国から四書や詩経集伝などを舶載した時、岐陽和尚がはじめてこれらに注釈を加えて講義をされ、後に将軍足利義持に篤く帰依されている。[要出典]

幕末には、この寺で西郷隆盛と勤王の僧、月照が維新へ向けて密議を交わしたといわれ、日露戦争当時にはロシア兵の捕虜収容所となった。50人のロシア兵が8ヶ月に渡ってここで寝起きし、彼らが故郷を想って作った弦楽器が展示されている。[要出典]

スポーツ、

1. 思い出のタクシー代 小平と李相花 長く競い合った日韓エースの友情物語
2/19(月) 0:18配信 、デイリースポーツ

思い出のタクシー代 小平と李相花 長く競い合った日韓エースの友情物語

銀メダルの李相花(左)とともに声援に応える小平奈緒=江陵

 「平昌五輪・スピードスケート女子500メートル」(18日、江陵オーバル)

 日本選手団の主将で国内外で同種目24連勝中の小平奈緒(31=相沢病院)が36秒94の五輪新記録をマークし、スピードスケート女子では初となる金メダルを獲得した。ライバルで、五輪3連覇を狙う地元・韓国の女王の李相花(イ・サンファ)を破っての戴冠。親友の2人はレース後、笑顔でお互いを称え合った。

【写真】金メダルの小平は母似?両親もスタンドで喜び爆発

 美しい光景だった。レース後、3連覇を逃した李は涙。小平はその李のもとへ向かい、抱き締めて言葉を掛ける。「韓国の五輪で、相花の受ける重圧は相当なものだったと思う。“すごくたくさんの重圧の中でよくやったね、私はまだ相花のことをリスペクトしているよ”と、伝えました」。李も涙顔から笑顔に。2人でウイニングランを敢行した。

 世界の舞台で長く競い合ってきた。500メートルでは圧倒的な力を誇ってきた李。ただ、そのアスリートとしての姿勢は、小平にとっても憧れだった。2人で並んだ記者会見。小平が「サンファはいつも親切なんです。3年前にソウルのW杯で私が初優勝した時、すぐにオランダに戻らなきゃいけなかったんですけど、リンクから空港までのタクシーを呼んでくれて、お金も出してくれた。結果は悔しいはずなのに。真摯(しんし)に奈緒のためにという思いで。それがすごくうれしかった」と、思い出を語れば、李もまた小平の姿勢を尊敬の念を示し「彼女とレースをして、悪い気持ちになったことは一度もない。タクシー代は確かに払った(笑)。でもネガティブな気持ちはまったくなかった。いい友達だから。彼女のライバルであることを誇りに思ってる」と、笑顔を返した。

 李もまた、思い出話を披露。「アスタナでバスを待っていた時に、奈緒と写真をとったんです。奈緒はその時、『次の五輪はあなたが勝って、私が2位ね』と言っていた。私も『それならあなたが勝って、私が2位でいい』と言い合いました」と、懐かしそうに話した。

 同世代でずっと世界のトップで競い合ってきた2人。日韓のお互いの家に招待するなど、絆はずっと深かった。リンクを離れ、親友に戻った2人は、ずっと笑い合っていた。

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2. 巨人野上「気にしていない」失策絡み6失点も自責0
2/18(日) 19:12配信 、日刊スポーツ

巨人野上「気にしていない」失策絡み6失点も自責0

巨人対韓国KIA 巨人2番手で登板した野上(撮影・江口和貴)

<練習試合:巨人5-7KIA>◇18日◇沖縄セルラースタジアム那覇

 西武からFA加入した巨人野上亮磨投手(30)が移籍後初の対外試合に登板した。2番手として3回から2イニングを投げ、6失点だった。

【写真】コモドドラゴントレーニングを行う巨人野上

 3回2死一塁、二ゴロを吉川尚輝内野手(23)が後逸すると、後続に2本の適時打を打たれ3失点。4回にも遊撃手山本泰寛内野手(24)の失策やボテボテのゴロが塁線上に止まる不運な安打も重なり、押し出し四球と適時打で3点を奪われた。味方のミスが重なり、自責点は0。「カウントを悪くしてしまい甘く入った球を打たれた。まだこの時期なので、結果は気にしていない」と前を向いた。

 高橋由伸監督(42)も「まだまだここから。今日は投げたというところ」と6失点を気にかけなかった。

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3. 高卒大砲は「予想不能」、岩見は250発以上…アマチュア大砲はプロでも大砲に?
2/19(月) 12:20配信 、Full-Count

高卒大砲は「予想不能」、岩見は250発以上…アマチュア大砲はプロでも大砲に?

六大学野球で通算21本塁打を記録した楽天・岩見雅紀【写真:高橋昌江】

アマチュアの大砲はプロでも大砲になれるのか?

「和製大砲」。それはロマン。それは日本人の夢と希望。そしてそれは、プロ野球界の多くの球団が、長年にわたって求め続けているもの。

新たな大砲はこの中から生まれるか…2017年プロ野球ドラフト会議 各球団指名選手一覧

 高校通算111本塁打の清宮幸太郎内野手を筆頭に、2017年ドラフトでも、多くの大砲候補がプロの世界に飛び込んだ。競合の末、清宮は北海道日本ハムに、高校通算65本塁打の安田尚憲内野手は千葉ロッテに入団している。

 また、楽天が2位指名した慶應義塾大学の岩見雅紀外野手は、通算21本塁打で六大学野球の本塁打記録歴代3位に名を連ねた。もちろん、プロで彼らにかかる期待は大きいだろう。

 しかし、あらゆる条件が異なるアマチュアで残した記録と、プロで残す記録には相関があるのか。アマチュアで本塁打を量産した彼らは、日本プロ野球最高峰の舞台でも多くのアーチを描けるのだろうか。今回はその疑問を「回帰分析」を使って見ていきたい。

 回帰分析とは、2つの変数のうちで、一方の変数から将来的な値を予測する「回帰直線」を求めるものである。今回は、過去にプロ入りした選手のアマチュア記録とプロ通算記録から、これからプロで戦っていく選手の「将来的な本塁打記録」を予測していく。
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高卒大砲は「予想不能」、岩見は250発以上…アマチュア大砲はプロでも大砲に?

回帰分析の図1と図2【画像提供:(C)PLM】

「回帰分析」で見る、高卒大砲がプロで残す成績とは

 ではまず、高卒大砲の「将来的な本塁打記録」について見ていこう。

 高校通算本塁打記録の歴代1位は、前述の清宮の111本だ。以下は2位・山本大貴氏(107本)、3位・黒瀬健太選手(97本)と続く。埼玉西武の中村剛也選手は83本で歴代8位、北海道日本ハムの中田翔選手は87本で同5位である。

 ところが、高校通算本塁打10傑の中でプロ入りしていない選手も複数おり、3位に入っている福岡ソフトバンクの黒瀬はプロ通算0本。10位の巨人・岡本和真はプロ通算1本と、まだ結果を残せていない。

 そこで、図2を見てほしい。縦軸はプロ通算、横軸は高校通算本塁打。灰色の点は、高校通算本塁打ランキング上位15選手のうち、プロ入りした11選手(清宮を除く)を散布図にしており、上位選手自身の位置を表す。

 そして、青い線(回帰直線)は、「高校通算で●本を打った選手がいたとして、プロでは通算●本を打つだろう」ということを予測している。高校通算で●本を打ったなら、プロ通算●本塁打を打てる「可能性」があるということを示しているのだ。

 しかし、見ての通り青い線はほぼ水平で、高校通算本塁打が増えてもプロ通算本塁打は増えない。高校通算本塁打ランキングの上位選手がプロでも大成するとは言い難く、清宮や安田がどのような選手に成長するのかは、素直に「分からない」と言うしかない。

岩見はプロ通算250本? 六大学大砲がプロで残す成績とは

 それでは、「大卒大砲」の場合はどうだろうか。

 今回は、岩見が所属していた東京六大学野球の選手に絞って見ていきたい。六大学通算本塁打ランキング上位選手を見てみると、歴代トップは高橋由伸氏(23本)、2位は田淵幸一氏(22本)、4位は岡田彰布氏(20本)と、そうそうたる顔ぶれが並んでいる。

 では図1を見てほしい。ここでも上位選手のうち、プロ入りした16選手(岩見は除く)を散布図にした。「六大学通算で●本を打った選手がいたとして、プロでは通算●本を打つだろう」ということを予測した青い線(回帰直線)は、右上に向かって伸びている。

 つまり、「六大学通算本塁打が多いほど、プロ通算の本塁打も多くなる」のだ。そしてこのモデルから導くなら、大学通算21本の岩見選手の「将来的な」位置は、図1に示している通り。彼はプロ通算で250本以上を打つ「可能性」がある大砲なのである。

 以上、アマチュアの大砲の「将来的な記録」を、回帰分析で見てきた。

 しかし、あくまで今回の分析で使用したデータはごくわずかで、名前の挙がった選手の将来を保証するものではない。

 清宮や安田、岩見などのアマチュアの大砲は、これまで与えられた場所で素晴らしい成績を残してきた。尊敬すべきOBに続き、彼らも球史に残る選手になることを期待している。

(記事提供:パ・リーグ インサイト)
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「パ・リーグ インサイト」福島龍一

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4. 主将で金! 小平が一夜明けて会見、ライバルとの友情と亡き友への思い
スポーツナビ 2018/2/19 16:35

会見で金メダルを取った喜びを語った小平会見で金メダルを取った喜びを語った小平【写真:長田洋平/アフロスポーツ】
 平昌五輪スピードスケート女子500メートルで金メダルを獲得した小平奈緒(相澤病院)が19日、一夜明け会見に臨み、夢を実現させた心境や、銀メダルを獲得したイ・サンファ(韓国)との友情、日本選手団の主将を引き受けた思いなどについて語った。

 小平は18日に36秒94の五輪新記録をマークし、レース後には3連覇を逃したイ・サンファを慰めるなど、注目を集めていた。

「病院の方と一緒に喜びたい」

――メダルを首に掛けて一夜明けた今の気持ちをお聞かせください。

 まだ500メートルのメダル授与式は明日(20日)なので金メダルはないんですけれど、一夜明けてあらためて私が夢に描いていたものを成し遂げることができたと、とてもうれしい気持ちです。

――昨日金メダルを決めた後、ご家族とは何か話しましたか?

 まだ連絡は取っていなくて。昨夜レースが終わってドーピング検査を終えて、宿に帰って来たのが12時を過ぎていました。そこから今朝も結構早い時間だったので、まだ連絡は取れていません。(家族は)良かった時もダメだった時も、成績だけでなく私がやっていることを常に認めてくれていたので、その点に関して本当に感謝したいということを伝えられたらと思います。

――今手元にあるのは(1000メートルで獲得した)銀メダルですが、早く金メダルに触りたいという思いはありますか?

 金メダルをもらうことはとても名誉なことですしうれしいことですけれど、メダルよりも私自身の中では、このメダルを通してどういう人生を生きていくかが大事になってくると思うので、メダルに対してどうという思いはないです。けれど、メダルという形は、周りの皆さんにとって、私が戦ってきた証しでもありますし、皆さんに支えていただいた証しでもあるので、早く見ていただきたいという思いの方が強いです。

――お父様が、「今の彼女の人間形成は周りの皆さんのおかげだ」とおっしゃっていました。お母様も「人とのめぐり合わせはうらやましくなるくらいだ」とおっしゃっていました。ずっとサポートしてくださった相澤病院に対して、また金メダルを見たいと思っている患者さんも多いと思いますが、一言お願いします。

 私は本当に人に恵まれた人生だったなと思います。本当に相澤病院とのめぐり合わせは、必然であり偶然でもあったのかなと思います。本当に苦しい時も、成績よりも私の夢を応援してくれたのが相澤病院だったので、患者さんや職員の方たち、皆さんで一緒に喜びを分かち合えるような機会があればいいなと思っています。

「サンファの気持ちに寄り添っていたいなと」

順位が確定し、ライバルのイ・サンファを慰める小平(右)順位が確定し、ライバルのイ・サンファを慰める小平(右)【写真は共同】
――イ・サンファ選手との友情が日韓でかなり話題になっているようですが、あらためてイ・サンファ選手への思いを教えてください。

 彼女は私がワールドカップ(W杯)にデビューした時からすごく仲良くしてくれて。年下ですけれど、スケートに対する思いは素晴らしいものを持っていて、私も見習わないといけないなと。すごく彼女から学ばせていただきました。私が本当にダメだった時、クーリングダウンで一人で泣いていた時に、彼女は(その大会で)優勝したと思うんですけれど、私のもとに来てくれて一緒に泣いてくれたので、私もサンファの気持ちに一緒に寄り添っていたいなと昨日は思いましたし、彼女から力をもらって次のステップに進める機会が何度もあったので、そういった恩返しというか、彼女との友情のきずなはけっこう深まってきたのかなと思います。

――泣いたのはいつ頃?

 いつだったかは忘れてしまいましたが、ソチ五輪の前のシーズンかソチのシーズンか、すごく転倒が続いたシーズンがあって。スケートが怖くなってしまったというか、そういう時期があって、そういう時も「こうしたらいいよ」などアドバイスをくれたので、良かったなと思います。

――(今年1月に亡くなった、ソチ五輪日本代表で信州大で同級生の)住吉都選手の悲劇があって、五輪に臨むということになりました。住吉選手のご両親から「精いっぱいここで頑張ってほしい」という言葉を小平選手はお受けになったと聞いています。1000メートルの銀メダル、500メートルの金メダルを獲得されましたが、レース後に住吉選手のことが思い浮かんだり、彼女に対する思いが湧いてきたようなことはありますか?

 そうですね……正直、あの……(涙を浮かべ言葉に詰まる)正直彼女のことは何度も何度も思い出すことが多くて、やっぱり考えないようにしていても、常に頭に浮かんできていました。それでも、やっぱり主将としてはレースに集中して臨まなければと感じていました。これは言ってもいいか分からないですけれど、住吉の関係者の方に生前、「奈緒が金メダルを取ったら、私が金メダルを取ったのと同じだと思う」と話してくれたというのを五輪前に聞くことができて、すごく救われたような気持ちだったんですけれど……。実際こうして金メダルを取ることができて、本当は本人の目の前で「金メダル取ったよ」と報告したかったんですけれど、それができないのは本当に残念だなと思います。

「結城先生と積み上げたものが一番」

――五輪は選手の物語がもっとも表れる場所だと思います。スケートを通しての他国の選手との友情もありますし、国を代表する誇りもあると思います。それぞれについて、小平選手はどのような思いを持っていますか?

 国に対しての誇りというものについては、日本でスポーツに対して勉強している専門家の方々がたくさんいたり、日本独特の知恵や工夫を通してスポーツを高めようというところに、日本らしさがあるのかなと思っています。それは、それぞれの国にもあると思っていますが、日本人の勤勉さみたいなところには、すごく誇りを持っています。

(他国の選手との友情については)スポーツは言葉のいらないコミュニケーションだと思っています。スポーツは世界の人たちの心を動かすものですし、他国の選手と競い合って、高め合っていく中で、スポーツの究極の姿がたくさんの人の心を動かすと思うので、お互いの国の文化や言葉を知ることで、さらにスポーツの楽しさが増すと言いますか。他の国の選手はこのスポーツに対してどういう思いや文化を持っているのかを知ることは、競技を高める上ですごく必要なのではないかと思っています。

――今回の五輪に対してどんなアプローチがあって金メダル、銀メダルを取れたのか、何が鍵になったのか。一夜明けてご自身が思うことを教えてください。

 やはり大学1年から結城(匡啓)先生と積み上げてきたもの、またチームメートと積み上げてきたものが、やはり一番キーになったかなと思います。

――その積み上げてきたものを具体的に言うと?

 やはり気付きや発見をしっかりとチームメートと共有しながら、お互いのいいところ、悪いところを指摘し合いながら、自分たちの発見を伸ばしてきたというか。そういったところが学び合いや高め合いにつながったのかなと思います。

主将は「覚悟を持って引き受けた」

――主将は金メダルが取れないという嫌なジンクスがあったと思います。どういった思いで主将を引き受けたのか。また、そのジンクスを破った今、主将として他の競技を見る機会や、この後の五輪の過ごし方を教えてください。

 正直、主将の打診を受けた時は、本当に恥ずかしがり屋ですし、人前に出ることは苦手だったので、また主将になると金メダルが取れないと遠くから聞こえていたので、正直あまり受けたくないなという気持ちはありました(苦笑)。でも、結城先生に説得されまして、「今の奈緒にしかできないことだと思う」と言われた時に、主将として私が学べることは何だろうなともう一度考えた時に、選手としてだけではなくて、将来に生きてくるなということを何となく想像できたので、そこは覚悟を持って引き受けました。その後はもう、金メダルを取れないというジンクスはあまり気にせず、気にならないくらい、自分のやるべきことに集中できたと思っています。今、実際に自分自身の競技を終えて、次はチームの応援に回りたいと思っています。まずは今日行われるスピードスケートの男子500メートルをしっかり観戦して応援に行きたいと思います。

――小平選手はずっとノートをつけていらっしゃいますが、今回の1000メートル、500メートルについて、どんなことを書くことになりそうですか? そのノートはいつまで続きそうですか?

 滑りのビデオは振り返りで見てはいたんですけれど、まだ書いていません(笑)。これからゆっくり振り返りたいと思っています。ただ、1500メートルや1000メートルは、すごく学びが多くて。500メートルに向けて修正しなければいけない点は1000メートルのレースからしっかりと得ることができましたし、1500メートルをやったことで1000メートルに何を生かせるか考えることができたので、その辺はしっかりとノートに書いて、次の挑戦につなげていきたいなと思っています。

――「次の挑戦」という言葉がありましたが、この先に見据えていくところ、今考えていることを教えていただけますか?

 やはり500メートルの世界記録を塗り替えたいという思いがあります。シーズン最後に(カナダの)カルガリーで試合が行われるので、その大会に出場して、今シーズンできる限りの挑戦はやってみたいと思っています。

――そういう小平さんなので、やめるということはないと思いますが、4年後を見据えてという意味ではどう考えていますか?

 まだ所属先と話をしていないので何とも言えませんが、私としてはスケートはもう少し滑りたいなと思っています。

サングラスに気づかないほど集中

スケート靴は五輪カラーで臨んだスケート靴は五輪カラーで臨んだ【写真は共同】
――レース後に、(金メダルを獲得した)フィギュアスケートの羽生結弦選手(ANA)から勇気をもらったと話していましたが、彼の金メダルの瞬間をどう知り、それがどうレースにつながったか。もし、羽生選手と話す機会があったらどんな話をしたいですか?

 羽生選手の演技はテレビで見ました。リンクに立った時、演技に向かう姿勢がもうすでに違うというか、多分何も考えなくても技が決まりそうなたたずまいをしていたので、「私もこんな雰囲気でいけたらいいな」と感じていました。話す機会があれば、ケガをしていた期間にたくさん論文を読んだということなので、どんな論文を読んだのか聞いてみたいと思います。

――スケートができる環境が減ったり、競技に取り組む子どもも減ってきていると思います。スケートに限らず、スポーツを頑張ることが何につながり、何に生きるのか。また、練習用のサングラスでレースをされたと聞きましたが、レース前に平常心でないこともあったのかを教えてください。

 まず一つ目の質問ですが、子どもたちがスケートというスポーツに興味を持って、やりたいと思い始めてくれるといいなと思っています。やはりどんなスポーツでもそうですけれど、私が長野五輪で大きな感動をいただいたように、きっかけ一つで「やりたい」という好奇心が生まれると思うので、その好奇心の芽を親御さんたちがしっかりと伸ばしていってあげるといいなと願っています。

 サングラスについては……相当集中していたんだと、自分で思います。いつもリンクに上がる前に、気持ちのスイッチの入れ替えで違うものに変えているんですけれど、体を温めたその集中力のまま氷に立ってしまいました。眼鏡をなくしたと思ってつけていた、みたいな感覚で(気付かなかった)。表彰式の時に「サングラスはつけちゃいけないよ」ということで外して、関係者に渡した時に、「あ、私このサングラスしていたんだ!」ということに気付いて。「すいません!」という思いでした(笑)。

――小平さんはこれまでさまざまな努力をされて金メダルにたどり着いたと思いますが、自分がやってきた中でこれだけは誇れる、他の人にはこれだけは負けないということがあれば教えてください。

 他の方々を見ても、それぞれどんな人を見ても、皆さんすごいなと思う部分があるので、「これだけは負けない」という部分を探すのはすごく難しいです。ただ、負けないというよりも、自分が自信を持っているのは、自分の生き方は自分で決める、自分で選択するという部分に対しては、本当に曲げずに歩んで来られたので、覚悟を持って自分の進みたい道に行くという意味では、すごく自信を持っています。

「日本語はあまり得意では…」

――金メダルを取って景色や世界が変わったと思うところがあったら教えてください。また、日本に帰ってしたいことがあれば教えてください。

 まずはメダルを取ったことで景色が変わったかということですが、日本でどのような報道をされているかまだ見ていないですし、周りの皆さんの目がどうなのかはまだ実感していないので、分かりません。ただ、こうして記者の皆さんに集まっていただいて、その前で話せることはなかなかないので、とてもありがたいことだと思っています。

 日本に帰ったらという話ですが、帰って解団式を終えてからすぐに世界スプリントで中国へ行くので、しばらくはゆっくりできないのかなと思いますが、まず帰って家族と話をしたいです。

――昨日のサンファの選手とのやり取りや、オランダでオランダ語を学ばれたりしていますが、今話せる言葉は? 昨日のサンファ選手とのやり取りは何語で?

 韓国語は本当に少しです。単語であいさつとか、「チャレッソ(よくやった)」「チュッカヘヨ(おめでとう)」など、そういう言葉は要所要所で使うことができます。英語は苦手です。オランダ語は、最近オランダのテレビ局からインタビューを受けることも多いのですが、最低限の受け答えはできるんですけれど、もうそろそろ語量に限界が来ているかなというのを感じているので、もう少し勉強したいと思います。昨日は中国の方からも取材を受けて、自己紹介くらいは中国語でできます。日本語は、ちょっとまだ、あまり得意ではありません(笑)。(サンファ選手には)最初の「よくやったね」という(意味の)「チャレッソ」は韓国語で、あとは英語です。

今回の五輪は「また成長」

金メダリストがかぶるという帽子をかぶって喜ぶ小平金メダリストがかぶるという帽子をかぶって喜ぶ小平【写真は共同】
――靴の配色が五輪カラーになっていたと思います。どういういきさつ、思いで決めたのですか? また、レース後に帽子を渡されてかぶっていたと思います。おそらくオランダからだと思いますが、その辺を聞かせてください。

 なかなか私のシューズが五輪カラーと気付いてくださる方はいないんですけれど、五輪をイメージして作ってもらいました。実はあの靴は大学1年の時に型を取って2年でできた靴を、革をリメークしながら長く使っているもので、かなり年寄りのスケート靴です。最初は黒とシルバーで、その後は何色だったかは忘れてしまいましたが、直接リメークするのに、(シューズメーカーの)マーケージさんに行ってお願いする時に「カスタマイズできるよ」ということだったので、使える色は全部使おうと思って、五輪カラーにしました。

 帽子は自分でもよく分かっていなくて、確かバンクーバー(五輪)の時にサンファ選手ら金メダリストがかぶっていたなと思って、「これは金メダリストがオランダ人からもらってかぶるものなんだな」という暗黙の了解があって。サンファ選手がそれを知っていて「これ、奈緒がかぶるやつだよ」と言われて、「あ、これか」と思って、オランダ人の前でかぶったら喜んでくれていたので、良かったなと思っています。

――五輪は3度目の出場ですが、過去2度の五輪がどういう五輪で、今回金、銀とメダルを取って目標のタイムも出して、どんな五輪になったかを教えてください。

 一言で言えば、バンクーバー五輪は「成長」だったなと。ソチ五輪は「屈辱」。今回の五輪は、また「成長」なのかな。やっぱり成長するということは学びの多い大会になったということだと思うので、ソチ五輪は本当に苦しかったんですけれど、今回、またスケートの楽しさを思い出させてくれる五輪だったのかなと思います。

自身を表現する言葉は「求道者」「情熱」「真摯」

――自分自身と、アスリートとしての小平奈緒を表現する言葉を3つ、教えてください。

 うーん、私を表すことばを3つですよね?「求道者」「情熱」「真摯」。

――昨日36秒台を(低地では)初めてマークしましたが、今季に世界記録に挑まれた時と(世界記録との)距離や見え方が変わったかどうか教えてください。

 でも、そう簡単には出せない世界記録だなと思っています。低地で36秒台という記録は出せたんですけれど、韓国のリンク自体がとてもいいコンディションだったので、これが高速リンクに行った時にどうかなというのはありました。でも、気圧の条件や気温などがそろえば高速リンクで十分狙えるチャンスはあるのかなとすごく感じています。

――スケートの楽しさがこの五輪でまた増したような気がするとおっしゃっていましたが、スケートの楽しさとは具体的にどういったことですか?

 スケートを通して氷に呼びかけると、その声がちゃんと返ってくるというのがスケートの楽しさだなと思っています。やっぱり自分から一方的に押し付けるような声掛けをするとまったく返ってこないんですよね。すごく人との関わりみたいな例えになってしまうんですけれど、よくサッカーで「ボールは友達」と言いますけれど、人と接するようなやり取りが氷との間にあるので、氷を制することができれば友達も制することができるのかなというふうに感じます。それがスケートの楽しさです。

――昨日結城コーチからはどんな言葉がありましたか? コーチとはどんな将来設計を描いていますか?

 昨日は「立派だったぞ」と、そのような一言でした。あとはチームメートの山中(大地/電算)もレースを控えていたので、もうそちらに結城先生は集中がいっていたかなと思います。今後については、まだ結城先生と高めていきたい部分があるので、今回の経験も踏まえて、またお互いステップアップしていけたらいいのかなと思っています。

――いつも究極の滑りを目指すという話をされていますが、金メダルを取ってイメージが湧いてきたでしょうか? また、男子選手に勝ちたいと普段からおっしゃっていますが、金メダルを取ってその気持ちはどうですか?

 金メダルだったり、いい記録を出したことが究極の滑りかというとそうではなくて。やっぱり氷とどんなやり取りができたか、自分の中に残るものが、その新しい感覚だったり新しい景色だったりという部分で、なかなか言葉では伝わらない……本当に皆さんに伝えたい部分なんですけど、それを表現できない楽しさというのが、究極の滑りなんじゃないかなと思っています。それは今回、会場の雰囲気で少し感じられたものかなと思っています。ただ、それがゴールだと思ってしまうと楽しさがなくなってしまうので、また新しい景色を見に行きたいという思いがあります。

 男子に勝ちたいというのは、実際にタイムで男子に勝ちたいという意味ではなくて、何と言えばいいか……男子と競えるぐらいの意気込みで臨みたいという意味で、女子のレベルをとにかく引き上げたいと思っているだけなので、男子に勝つにはまだ何十年もかかるのかなと思っています。

――先ほどゴールという言葉がありましたが、小平奈緒というスケーターの最終的な到達点はどこにあるのでしょうか?

 今はまったく想像ができません。駆け抜けている途中なので、まだゴールは見えてきません。でも、突然、その日が来るのかなと思っています。

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【試合詳細】スピードスケート女子500m


ニュース、
1.千葉・印西の1人死亡火災 放火殺人疑いで16歳少女ら4人逮捕 
2/19(月) 11:10配信 、産経新聞

千葉・印西の1人死亡火災 放火殺人疑いで16歳少女ら4人逮捕 

全焼し遺体が見つかった民家=18日、印西市竜腹寺(橘川玲奈撮影)(写真:産経新聞)

 17日夕、千葉県印西市竜腹寺の木造平屋建て民家が全焼し、焼け跡から性別などが不明の1人の遺体が見つかった火事で、県警は19日、現住建造物等放火と殺人の容疑で、東京都墨田区東墨田在住の職業不詳、仲内隼矢(20)容疑者ら男女計4人を逮捕した。

 他に逮捕されたのは、いずれも職業不詳で、印西市草深の金崎大雅(20)と住居不定の菅野弥久(20)の両容疑者、東京都在住の少女(16)。県警は4人の認否について明らかにしていない。

 逮捕容疑は、4人は共謀して17日、印西市竜腹寺の民家に殺意をもって火を付け、1人を殺害したとしている。県警は今後動機などを調べる。

 県警によると、この家に住む海老原よし子さん(55)と連絡が取れておらず、県警は遺体は海老原さんの可能性があるとみて身元を確認するとともに、20日にも司法解剖を行って死因特定を進める。

 容疑者4人は静岡県富士市のドライブインの駐車場にいるところを、18日昼に県警の捜査員が発見し、身柄を確保した。

 火災現場は、北総鉄道北総線印西牧の原駅から東に約1キロの住宅と雑木林などが混在する閑静な地域。

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2. 記者に紛れ飛びかかる=元警官、逮捕の瞬間証言―金嬉老事件から50年・静岡
2/19(月) 7:07配信 、時事通信

 静岡県で1968年、在日韓国人の男が暴力団員2人を射殺し、88時間にわたり温泉旅館に立てこもった「金嬉老事件」から、20日で50年を迎える。

 籠城中にテレビの生中継に出演するなどし、事件史に名を残した金嬉老元受刑者。元警察幹部が取材に応じ、逮捕の瞬間を証言した。

 68年2月20日に射殺事件を起こした金元受刑者は、大量のダイナマイトなどで武装。温泉客ら13人を人質に取り、県警による民族差別を訴えるため事件を起こしたと主張した。刑事を名指しし、テレビ番組を通じて本部長らに謝罪させた。

 静岡中央署長などを務めた根来礎夫さん(82)は当時、機動隊員だった。柔道が得意な根来さんは23日夜、捜査本部に呼び出され、本部長と刑事部長から「必ず逮捕してくれ」と命じられた。

 「失敗は許されない」。その夜は眠れなかった。24日早朝、同僚と向かった旅館の玄関前には大勢の記者が座り込んでいた。金元受刑者が断続的に開く「記者会見」に目をつけた県警は、記者を装った捜査員を送り込んでおり、根来さんも合流。報道陣の後方で身構えた。

 昼すぎ、人質の男性1人が解放されることになり、元受刑者が戸を開け顔を出した。記者たちが人質に気を取られている隙に、捜査員らは近くへとにじり寄り、戸を閉めようとした瞬間、一斉に飛びかかった。根来さんは元受刑者の右腕をつかんで背後に回り込み、引き倒して玄関奥までなだれ込んだ。

 元受刑者が、自決のため腹にボタン式のダイナマイトを巻いているとの情報もあり、起爆させないよう必死に押さえ込んだという。その後、自殺防止を図りながら、清水署まで護送した。

 根来さんは、戦後は在日韓国・朝鮮人への差別はよく聞いたと話す一方、「捜査員として殺人事件から民族問題にすりかわったことは残念だった」と振り返る。護送車に石が投げ付けられたのをよく覚えているが、狙いが犯人なのか、(民族差別を糾弾された)警察なのかは「いまだに分からない」と語った。 

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3遺族「妻子の人生は何だった」 熊谷6人殺害、死刑求刑
2/19(月) 12:05配信 、朝日新聞デジタル

 埼玉県熊谷市で2015年、民家3軒で6人を殺害したなどとして、強盗殺人などの罪に問われたペルー国籍の無職ナカダ・ルデナ・バイロン・ジョナタン被告(32)の裁判員裁判の論告求刑公判が19日、さいたま地裁(佐々木直人裁判長)で開かれ、検察側は死刑を求刑した。弁護側は最終弁論で、被告が当時精神疾患だったとして無罪を主張する方針だ。

 ナカダ・ルデナ被告の起訴内容は、15年9月14日に田崎稔さん(当時55)と美佐枝さん(同53)夫婦、15~16日に白石和代さん(同84)、16日には加藤美和子さん(同41)、長女美咲さん(同10)、次女春花さん(同7)をいずれも包丁で刺すなどして殺害し、現金を奪ったなどというもの。

 この日は論告に先立ち、被害者の遺族の意見陳述があり、加藤さんの夫(45)は「妻の人生、娘の人生は何だったのか。自分の家族が殺されて突然一人になったらどう思いますか」と裁判員らに訴え、「被告を許せない」と述べた。

 公判で検察側は、被告が遺体を浴槽やクローゼットに隠したり、生活資金や逃走のために現金や車の鍵を盗んだりしたと指摘。被告が違法行為と認識し、目的に沿った行動をとっているなどとして責任能力があると主張してきた。

 一方弁護側は、当時被告が妄想にとらわれ、記憶もないなどと主張。弁護側請求による鑑定留置で被告の精神鑑定を実施し、統合失調症だったと診断した男性精神科医は、事件に関する被告の証言が少ないことなどから、善悪の判断能力の有無は「判断できない」と述べ、妄想がなければ「事件に至ることはなかったと思う」などと証言した。(笠原真)
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朝日新聞社

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