巨人戦スポーツ解説

プロ野球の巨人戦の解説です。

2015年9月6日。巨人戦。雨天中止。4. U-18W杯決勝       

2015-09-06 21:40:09 | Weblog
    2015年9月6日
作曲家、
坂本龍一
坂本 龍一(さかもと りゅういち、Sakamoto Ryūichi、1952年1月17日 - )は、日本のミュージシャン、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、ピアニスト、キーボーディスト、反原発活動家。東京都出身。

目次 [非表示]
1 人物
2 来歴
3 社会活動
4 音楽活動
5 出版活動
6 「教授」という愛称
7 ディスコグラフィー 7.1 スタジオアルバム
7.2 シングル
7.3 ミニ・アルバム
7.4 ベスト・アルバム
7.5 リミックス・アルバム
7.6 ライヴ・アルバム
7.7 セルフカヴァー・アルバム
7.8 非売品レコード・CD・ファイル
7.9 TVなどのサウンド・トラック
7.10 映画音楽
7.11 バンド・ユニット・コラボ活動
7.12 その他アーティストとのコラボレーション
7.13 映像作品

8 書籍 8.1 主著
8.2 監修・聞き書き等
8.3 フォトグラファー

9 出演 9.1 俳優としての出演作品 9.1.1 映画
9.1.2 CM
9.1.3 ミュージック・ビデオ
9.1.4 コンピュータゲーム

9.2 TV・ラジオ
9.3 コンサート

10 脚注・参照
11 関連項目・人物
12 外部リンク

人物[編集]

世界的に活動している日本人ミュージシャンである。その音楽性は幅広く、クラシック音楽が根幹にあるものの、民俗音楽、現代音楽にも造詣が深く、ヘヴィメタルとカントリー音楽以外はすべて演奏分野の範疇にある[1]。

幼いころから作曲を学び、東京藝術大学在学中にスタジオ・ミュージシャンとして活動を開始。1970年代後半よりソロとして活動する一方、メンバーとして参加した音楽グループ「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」が国内外で商業的成功を収め、人気ミュージシャンとなる。YMO時代にテクノポップやニュー・ウェイヴの分野で活動したことは広く知られているが、その後は一つのところに留まらず、現代音楽の手法を使った作品の発表、ロックとテクノの融合、ワールドミュージック、ヒップホップやR&Bなどのブラックミュージックを織り交ぜたポップス、オペラの作曲およびプロデュース、クラシックやボサノヴァのユニットを結成してのワールドツアー、近年はアンビエントやエレクトロニカの作品を発表するなど、ジャンルを超越して多彩な作品を発表している。

自身の音楽活動のほか、プロデューサーやアレンジャーとしても活動し、他のアーティストへの楽曲提供も数多く行っている。また、映画『戦場のメリークリスマス』で映画に俳優として出演し、映画音楽も手掛け、日本人初の英国アカデミー賞の作曲賞を受賞した。1987年公開の『ラストエンペラー』[2]では日本人初のアカデミー作曲賞を受賞し、また同曲でゴールデングローブ賞、1989年第31回グラミー賞最優秀オリジナル映画音楽アルバム賞など世界的な音楽賞を総なめした。1990年、映画『シェルタリング・スカイ』のサウンドトラックを担当しロサンゼルス映画批評家協会賞の作曲賞、1991年にゴールデングローブ賞 作曲賞を受賞した。以降、国内外の映画音楽を手掛け、映画音楽家としての地位を築いた。

代表曲に、エリック・クラプトンやマイケル・ジャクソンらにカヴァーされた「ビハインド・ザ・マスク」、『戦場のメリークリスマス』のテーマ曲「メリー・クリスマス・ミスター・ローレンス」、覆面ボーカリスト「Sister M」を起用して話題となった「ジ・アザー・サイド・オブ・ラブ」、そしてテレビCMのために書かれたピアノソロ曲「エナジー・フロー」などがある。

音楽家としての活動のほかに、いくつかの映画や映像作品には俳優としての出演歴がある。テレビCMにも多く出演しており、ときには、ダウンタウンなどとお笑い番組やバラエティ番組に出演する。

近年は各メディアで環境問題や平和問題をはじめとした諸問題について発言する機会も多く、最近はPSE問題において、坂本も中心人物として参加した反対運動が実を結んだ。また「エコ」や「ロハス」といったキーワードを口にすることが多く、マクロビオティックの実践者でもある。長年喫煙者であったが、針治療を通じて禁煙に成功した[3]。一時期はベジタリアンでもあったが、これは「人としての闘争本能がなくなりそうだから」という理由で後に挫折している。2008年の9月には作家村上龍との対談で、現代の「夢があるということは素晴らしい、だから君も夢を持て」という風潮に疑問を抱いている発言をしている。

無類の猫好きである。一人っ子だった坂本が生まれたときから15歳の時まで一緒に住んでいた猫と兄弟のように生活していたことが影響している[4]。また無類のジャージ嫌いであり、昔よく遊んでた友達がジャージをはいていた日、その瞬間に絶交したことがあるほどで、「僕の前でみんなはかないでね」と発言している[5]。

「教授」「世界のサカモト」とあだ名される。左利き。血液型はB型。現在はアメリカ合衆国ニューヨーク州在住。歌手の坂本美雨はシンガーソングライターの矢野顕子との間に生まれた娘で、坂本にとっては次女。

来歴[編集]

1952年東京都中野区に生まれた。父は河出書房の編集者で、三島由紀夫や野間宏、中上健次などを担当した坂本一亀。母は帽子デザイナーで銀座の宝石商に勤務。祖父は実業家、第五高等学校と京大とで池田勇人と同級で生涯の親友として付き合い、池田首相の葬儀に友人代表として弔辞を読んだという[6]。通っていた幼稚園が「全員ピアノを習う」所だったため、3歳からピアノを習いはじめる。自由学園幼児生活団に準じた世田谷幼児生活団において作った「うさぎのうた」が最初の作曲。10歳で東京藝術大学教授の松本民之助に師事し作曲を学び始める。なお、作曲を勉強し始めて最初に興味を持った作曲家はストラヴィンスキーであった。この頃は特にピアノが好きではなく、むしろ苦痛だったという。しかし14歳の頃は「自分はドビュッシーの生まれ変わりだ」と半分信じていて、サインの練習までしていた。人生で最も影響を受けた音楽家も、ドビュッシーとバッハである[7]。

1959年から東京都世田谷区給田に育つ。世田谷区立祖師谷小学校から世田谷区立千歳中学校[8]を経て、1970年に東京都立新宿高等学校を卒業[9]。新宿高校時代には読書が趣味で、常に学校図書館の貸出ランキング10位以内に入っていた。また風月堂などにたむろするフーテンたちに影響を受け、ジャズを聞くようになり、自分でも演奏する。ロックも好きであったが、フォークは大嫌いであった。また学生運動にも、のめり込む[10]。

1970年東京藝術大学入学[11]。大学在学中、民族音楽学研究の泰斗小泉文夫の講義を受け、その内容の深さに坂本はそれまで培ってきた音楽観の根底を揺さぶられるような大きな衝撃を受けたという。さまざまに変遷してきたと見られる坂本の作風であるが、そのベースには、小泉から学び得た民族音楽学の知識や思想がたしかにあるようである。ただし小泉自身は作曲をしなかったので、坂本に作曲技法上の影響を与えたというわけではなかった。また坂本は、大学在学中、一年ほど作曲家三善晃にも学んでいる(ただし一度直接指導を受けただけ、と坂本は発言している。しかも、三善から「理論的すぎる」の如き指摘を受けたとも)。さらには、渋谷で開かれていた高橋悠治の勉強会にも高校・大学を通して顔を出していた。坂本が電子音楽に出会ったのは、そんな大学学部在学中のことである。1974年東京藝術大学の音楽学部作曲科を卒業し、同大学院音響研究科修士課程に進む。1976年修了。

1975年、大学院在学中に新宿ゴールデン街で意気投合したという友部正人の『誰もぼくの絵を描けないだろう』にピアノで参加。スタジオ・ミュージシャンとしてのキャリアをスタートさせる。翌1976年、竹田賢一と「学習団」という芸術-実践の運動体を組織し、竹田のプロデュースの下、はじめてのアルバム『ディスアポイントメント-ハテルマ』(土取利行とのコラボレーション)を発表。以降、りりィのバックバンド(バイバイセッションバンド)に所属した後、当時のりりィのマネージャー(現株式会社365代表)が細野晴臣のマネージャーに坂本を紹介、YMO結成の足がかりとなる。また初期の山下達郎の楽曲(「2000トンの雨」「パレード」など)、大瀧詠一のアルバム『NIAGARA TRIANGLE Vol.1』などにキーボードとして参加。また、大貫妙子のLP『サン・シャワー』『ミニヨン』『ロマンティック』などにアレンジャー、プロデューサーとして参加。この時期を、後に坂本はアルバイト時代と呼んでいる。

1978年2月、細野晴臣のアルバム『はらいそ』に参加。細野の誘いにより、高橋幸宏とともに「イエロー・マジック・オーケストラ」(YMO)を結成、活動を開始する。10月、坂本初のソロアルバム『千のナイフ』をリリースし、ソロ・デビューも果たす。11月、YMO名義の『イエロー・マジック・オーケストラ』を発売、続く『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』で爆発的人気を博す。またこの年、風の旅団の前身となるテント劇団「曲馬館」の音楽にも参加した。翌1979年にはYMOと並行する形で渡辺香津美、矢野顕子、小原礼、村上秀一、本多俊之らとセッションユニットKYLYNや、ほぼ同じメンバーで、各パート二人ずつで演奏技術を競わせるというコンセプトのカクトウギセッションでの活動を行う。また一部の楽曲で第二ピアノを演奏した高橋悠治のLP『新ウィーン楽派ピアノ音楽集成』が発表された(後に『新ウィーン楽派ピアノ作品集』としてCD化。また参加楽曲シェーンベルク「四手のための六つの小品」は坂本のアルバム『フェイヴァリット・ヴィジョンズ』にも収録されている)。同年から1980年にかけて、YMOは2度にわたるワールドツアーを実施。

1979年12月、アレンジを手掛けたサーカスのシングル「アメリカンフィーリング」で、日本レコード大賞編曲賞を受賞する[12]。

YMOとしての活動の傍ら、1981年よりNHK-FMにて「サウンドストリート」のパーソナリティを務める。担当していた火曜日ではアマチュアミュージシャンから送られるテープを番組内で放送する「デモテープ特集」が不定期に行われていた[13]。また、パンクバンドTACO (タコ)のオムニバスにな・い・し・ょのエンペラーマジックで参加。同曲をサウンドストリートで放送したが、放送禁止用語が含まれていたため、すぐにオンエア中止になった。メジャーシーンの活動と平行して、TACO以外にもアンダーグラウンドロックシーンとは交流があり、自主レーベルである、パス・レコードでフリクション、PHEWのプロデュースなど]]などをピアノ演奏。YMOのライブを期待していた観客から野次られると「うるさいぞ、この野郎!」と怒鳴り返した等のエピソードもある。またこの頃、立花ハジメ、沢村満、鈴木さえ子らと「B-2UNITS」という名前のユニットを結成、ライブ活動を散発的に行っている。1982年には、RCサクセションの忌野清志郎と組んでシングル『い・け・な・いルージュマジック』をリリース。資生堂'82春のキャンペーンソングとしてヒットする。TVでは、どぎつい化粧をした男同士でキスをするなど、過激なパフォーマンスを展開した。またこの年、矢野顕子と結婚。

1983年公開の映画『戦場のメリークリスマス』には、大島渚監督の依頼により、ヨノイ大尉役で出演し、デヴィッド・ボウイ、ビートたけしと共演。出演の条件として音楽を担当した。同作がカンヌ国際映画祭に出品された際に、映画監督ベルナルド・ベルトルッチと出会い、これが映画『ラストエンペラー』への布石となる。この年、デヴィッド・シルヴィアンと組んでシングル「Forbidden Colours(英語版)」(禁じられた色彩)をリリースした。同年、YMOは「散開」(解散)する。

1984年、矢野顕子らと「MIDIレコード」を設立し、同レコード内にレーベル「school」を立ち上げる。1986年には初のソロ・コンサート「メディア・バーン」を全国24カ所(28公演)で行う。翌1987年、映画『ラストエンペラー』公開。坂本は甘粕正彦満映理事長役で俳優として出演し、音楽をデイヴィッド・バーン、コン・スーとともに担当。これによりゴールデングローブ賞を日本人で初めて受賞し、アカデミー賞作曲賞も受賞する。以後、映画音楽作家としての地位を確立する。溥儀役のジョン・ローンとは、敵役同士という間柄の役作りのために、撮影中は一言も口を利かなかったという[14]。

1989年、海外戦略のためヴァージン・レコードに移籍するが、セールス的な成功を収めることはなかった。後にEMIのヴァージン・レコード買収により契約を主導したヴァージン・アメリカの社長の辞任に伴って契約を解消。

1990年4月からは、音楽の拠点をニューヨークに移す。別の女性と暮らしはじめ、男児をもうける[15]。

1992年にはバルセロナオリンピック開会式のマスゲームの音楽を作曲(坂本のスケッチに基づく管弦楽編曲は作曲家鈴木行一が担当)、自らも会場でオーケストラを指揮した。この依頼の当初「ナショナリズムを高揚させるスポーツイベントは嫌い」と一度は断ったが、プロデューサー Pepo Solなど制作側から熱心なオファーがあり最終的には引き受けることになる。契約金は他の出演者とともに1ドルであった[16]。このときの楽曲は後に「El Mar Mediterrani」として発表された[17]。

1993年、YMO「再生」(再結成)。アルバム『テクノドン』を発表し、6月には東京ドームにて2日間のライブを行う。

1994年には契約地域を分割し、日本ではフォーライフ・レコードに移籍し、レーベル「güt(グート)」を設立。日本国内での活動を活発にした。日本以外の海外地域ではエレクトラと契約。

1995年、ダウンタウンの変名音楽ユニット「ゲイシャガールズ(GEISHA GIRLS)」をプロデュース。以降、彼らとの親交を深め「ダウンタウンのごっつええ感じ」ではコント「アホアホマン」に出演、アホアホブラザー役でエキセントリックな一面を見せた。

1998年、エレクトラとの契約を解消し海外地域ではSONY CLASSICALと契約、日本ではワーナーミュージック・ジャパンに移籍。

1999年、製薬会社三共(現:第一三共ヘルスケア)リゲインのCMに用いられたピアノソロ曲「エナジー・フロー」を収録したマキシシングル「ウラBTTB」がミリオンセラーとなり、インストゥルメンタルとしては初のオリコンチャート1位を記録した。また、自身初となるオペラ『LIFE a ryuichi sakamoto opera 1999』(以下、LIFE)を公演。この頃には矢野顕子との夫婦仲は実質的に破綻していたとされ、テレビ番組「おしゃれカンケイ」において愛人(ニューヨークで行動を共にしているマネージャー)とその女性との間にいる子供(次男)の存在を認め、長男と坂本美雨に「お父さんが好きな人はお母さん(矢野顕子)ではない」と告げたというエピソードも披露している。また「子供は4人」と語り、矢野顕子との結婚前に学生結婚していた女性との間にも子供(長女)がいることも明かしている[18]。

2001年、TBS50周年特別企画番組「地雷ZERO 21世紀最初の祈り」に出演。同番組の企画において、親交のある国内外のアーティスト達を起用し、地雷除去のためのチャリティーソング「ZERO LANDMINE」を作曲、リリースした。同年にはボサノヴァトリオ「Morelembaum2/Sakamoto」を結成し、アルバム『Casa』を発表。このトリオとしての活動、および坂本がこれまで自身の音楽にボサノヴァを取り入れてきたことなどが評価され、翌2002年、日本とブラジルの友好に寄与したとして、ブラジル政府より国家勲章を授与される。

2003年には、この年4月にオープンした六本木ヒルズのテーマソング「the land song-music for Artelligent City」を発表。また、小林武史、桜井和寿らと非営利組織「ap bank」を設立。

2006年11月6日、エイベックスと新レーベル「commmons」を共同設立。この年、矢野顕子と離婚。

2007年3月10日-5月28日、高谷史郎と共に、オペラ「LIFE」をベースにしたインスタレーション作品「LIFE - fluid, invisible, inaudible ...」を山口情報芸術センターにて展示。3月10日にはオープニング・コンサートを行った。9月15日-11月4日、東京のNTTインターコミュニケーション・センターでも展示。9月15日には、浅田彰、中沢新一を交えてのアーティスト・トークに加え、オープニング・コンサートを行った。またこの年は細野晴臣と高橋幸宏との活動が活発になる。2月にキリンラガービールのCMにYMOとして出演。同時に「RYDEEN 79/07」をリリース。5月19日には「ヒューマン・オーディオ・スポンジ」(HAS)としてチャリティーライブを行う。さらに7月7日には「ライブ・アース」にYMOとして出演。8月22日には「HASYMO(ハシモ)」名義で新曲「RESCUE」をリリース。

2009年7月16日、芸術家として文化の多様性を豊かにしたことなどが評価され、フランス政府から芸術文化勲章「オフィシエ」を授与された。

2010年3月12日、芸術分野での優れた業績を評価され、文化庁より芸術選奨「大衆芸能部門」の文部科学大臣賞を授与された。

2012年11月23日、アジア太平洋映画賞国際映画製作者連盟賞を受賞。

2013年2月8日、米カリフォルニア大バークレー校日本研究センターから「バークレー日本賞」を授与された[19]。オリエンタリズムを感じさせる作風と初期の作品に見られた現代音楽の手法を用いた斬新さ、独特の風貌と知的な発言が固有の存在感を生み、多くのファンを獲得。これまでに映画やCMにも多数出演している。同年、「第70回ヴェネチア国際映画祭」のコンペティションの審査員を務める。

2014年、札幌国際芸術祭のゲストディレクターに就任。

2014年7月10日、所属事務所エイベックス・ミュージック・クリエイティヴから中咽頭癌であること、療養に専念するためにコンサート活動などを中止する旨が発表された[20]。かつてはインタビューなどで度々自身の健康状態や体力に自信を表しており、コンサート等公演スケジュールを自身の健康に起因する理由でキャンセルしたことがなかった。

2015年8月2日、映画『母と暮せば』(監督・山田洋次、主演・吉永小百合、2015年12月12日公開予定)の音楽で仕事復帰することが明らかになった[21]。
1. DeNA対巨人戦【横浜】
対で勝利。雨天中止!

先発、
【ÐeℕA】ビロウ左腕、
【巨人】大竹 寛右腕、


【巨人】
1番 中 立岡 宗一郎2番 二 片岡 治大3番 遊 坂本 勇人
4番 一 阿部 慎之助5番 右 長野 久義6番 三 村田 修一
7番 左 大田 泰示8番 捕 加藤 健 9番 投 大竹 寛
【DeNA】
1番 中 荒波 翔2番 二 内村 賢介3番 右 梶谷 隆幸
4番 左 筒香 嘉智 5番 一 ロペス 6番 三 バルディリス
7番 遊 倉本 寿彦8番 捕 黒羽根 利規9番 投 ビロウ

1回表、1番、2番、3番、
1回裏、1番、2番、3番、4番、
2回表、4番、5番、6番、
2回裏、番、番、番、番、
3回表、番、番、番、番、
3回裏、番、番、番、番、
4回表、番、番、番、番、
4回裏、番、番、番、番、
5回表、番、番、番、番、
5回裏、番、番、番、番、
6回表、番、番、番、番、
6回裏、番、番、番、番、
7回表、番、番、番、番、
7回裏、番、番、番、番、
8回表、番、番、番、番、
8回裏、番、番、番、番、
9回表、番、番、番、番、
9回裏、番、番、番、番、
戦評。
1. DeNA対巨人戦。
対で勝利。【横浜】
先発、
【ÐeℕA】ビロウ左腕、
【巨人】大竹 寛右腕、

2. ヤクルト対広島戦。
6対0でヤクルト勝利。
先発
【ヤクルト】館山昌平右腕、
【広島】戸田隆矢左腕、
【広島】
1 中 丸佳浩 .263 2二 菊池涼介 .263 3 一 新井貴浩 .283
4 左 エルドレッド .238 5 右 松山竜平 .308 6 遊 田中広輔 .271
7 三 梵英心 .245 8 捕 石原慶幸 .266 9 投 戸田隆矢 .143
【ヤクルト】
1 中 比屋根渉 .249 2 三 川端慎吾 .335 3 二 山田哲人 .329
4 一 畠山和洋 .269 5 左 ミレッジ .219 6 右 荒木貴裕 .270
7 遊 大引啓次 .220 8 捕 中村悠平 .239 9 投 館山昌平 .222

戦評
9月6日(日)ヤクルト vs. 広島 21回戦

ヤクルトは2回裏、大引の適時打で先制に成功する。その後は5回にミレッジの適時打などで3点を加えると、続く6回には雄平と上田の連続適時打で2点を挙げた。投げては先発・館山が7回無失点の好投で今季5勝目。敗れた広島は、投打ともに振るわなかった。

責任投手/本塁打

勝利投手、[ ヤクルト ] 館山(5勝2敗0S)

敗戦投手、[ 広島 ] 戸田(3勝2敗0S)

セーブ

本塁打、[ 広島 ]
[ ヤクルト ]

広島バッテリー
戸田 、一岡 、ヒース 、今村 、江草 - 石原 、會澤。

ヤクルトバッテリー
館山 、秋吉 、徳山 - 中村。

3. 中日対阪神戦。【ナゴヤドーム】
5対0で中日勝利。
先発、
【中日】若松駿太右腕、
【阪神】岩崎 優左腕、

【阪神】
1 遊 鳥谷敬 .279 2 二 上本博紀 .256 3 左 マートン .295
4 右 福留孝介 .276 5 一 ゴメス .277 6 三 今成亮太 .290
7 中 伊藤隼太 .267 8 捕 藤井彰人 .169 9 投 岩崎優 .190
【中日】
1 中 大島洋平 .261 2 二 荒木雅博 .264 3 三 ルナ .303
4 右 平田良介 .289 5 左 和田一浩 .296 6 遊 エルナンデス .266
7 一 赤坂和幸 .433 8 捕 杉山翔大 .207 9 投 若松駿太 .036

戦評
9月6日(日)中日 vs. 阪神 23回戦

中日は0-0のまま迎えた7回裏、代打・森野の適時打と代打・藤井の適時打で2点を先制する。続く8回には、平田の3ランが飛び出しリードを広げた。投げては先発・若松が7回無失点の好投で今季8勝目。敗れた阪神は、打線が5安打無得点と振るわず、連勝は3で止まった。

責任投手/本塁打

勝利投手、[ 中日 ] 若松(8勝3敗0S)

敗戦投手、[ 阪神 ] 岩崎(3勝7敗0S)

セーブ

本塁打、[ 阪神 ]
       [ 中日 ] 平田 13号(8回裏3ラン)

阪神バッテリー
岩崎 、安藤 、高宮 、福原 、二神 - 藤井

 中日バッテリー
若松 、浅尾 、バルデス - 杉山。


4. ソフトバンク対楽天戦。【ヤフオク】
延長12回5対3でソフトバンクサヨナ勝利。
先発、
【スフㇳバンク】帆足和幸左腕、
【楽天】横山貴明右腕、
【楽天】
1 中 聖澤諒 .250 2 三 銀次 .302 3 指 ペーニャ .275
4 左 ウィーラー .231 5 一 サンチェス .222 6 右 北川倫太郎 .308
7 捕 嶋基宏 .236 8 二 藤田一也 .281 9 遊 西田哲朗 .224
【ソフトバンク】
1 二 川島慶三 .261 2 一 明石健志 .267 3 中 柳田悠岐 .363
4 左 内川聖一 .281 5 指 李大浩 .300 6 三 松田宣浩 .285
7 右 中村晃 .305 8 遊 今宮健太 .211 9 捕 高谷裕亮 .154

戦評
9月6日(日)ソフトバンク vs. 楽天 18回戦

ソフトバンクが熱戦を制した。ソフトバンクは2点を追う4回裏、今宮と高谷の連続適時打で同点とする。そのまま延長戦に突入し迎えた12回には、2死一塁から松田が2ランを放ち試合を決めた。7番手・岩嵜が今季初勝利。敗れた楽天は、打線が終盤の好機を生かせなかった。

責任投手/本塁打

勝利投手、[ ソフトバンク ] 岩嵜(1勝0敗0S)

敗戦投手、[ 楽天 ] 入野(0勝1敗0S)

セーブ

本塁打、[ 楽天 ] ウィーラー 9号(3回表2ラン)
       [ ソフトバンク ] 松田 31号(12回裏2ラン)
楽天バッテリー
横山貴 、福山 、武藤 、クルーズ 、青山 、松井裕 、入野 - 嶋 。

ソフトバンクバッテリー
帆足 、森 、五十嵐 、サファテ 、柳瀬 、飯田 、岩嵜 - 高谷 、細川 、細山田。

5. ロッテ対西武戦。【QVⅭマリン】
9対3で西武勝利。17:00
先発、
【ロッテ】大嶺祐太右腕、
【西武】高橋光成右腕、
【西武】
1 中 秋山 翔吾 .363 2 右 脇谷 亮太 .309 3 二 浅村 栄斗 .274
4 三 中村 剛也 .280 5 一 メヒア .238 6 指 森 友哉 .283
7 左 栗山 巧 .273 8 捕 炭谷 銀仁朗 .193 9 遊 鬼 裕司 .194
【ロッテ】
1 左 荻野 貴司 .279 2 中 加藤 翔平 .240 3 右 清田 育宏 .314
4 指 デスパイネ .254 5 一 福浦 和也 .254 6 二 クルーズ .267
7 遊 鈴木 大地 .260 8 捕 田村 龍弘 .174 9 三 濱 卓也 .182

戦評
9月6日(日)ロッテ vs. 西武 23回戦

西武が降雨コールド勝ちで同一カード3連勝。西武は2点を追う2回表、炭谷の3ランが飛び出し逆転に成功する。続く3回には、中村の適時二塁打などで3点を加えた。投げては先発・高橋光が5回2失点で今季5勝目。敗れたロッテは、先発・大嶺祐が6失点と誤算だった。

責任投手/本塁打

勝利投手、[ 西武 ] 高橋光(5勝1敗0S)

敗戦投手、[ ロッテ ] 大嶺祐(7勝7敗0S)

セーブ

本塁打、[ 西武 ] 炭谷 1号(2回表3ラン) 、森 15号(7回表ソロ)
       [ ロッテ ]

西武バッテリー
高橋光 、野上 、岡本洋 、高橋朋 - 炭谷。

 ロッテバッテリー
大嶺祐 、松永 、阿部 、イ・デウン 、益田 - 田村 、吉田。

6.オリックス対日本ハム戦。【ほっと神戸】
対で勝利。雨天中止!
先発、
【オリックス】ディクソン右腕、
【日本ハム】中村 勝右腕、

スポーツ、

1. ヤクルト・山田30盗塁、トリプルスリー確実に 史上9人目、13年ぶり
デイリースポーツ 9月6日(日)16時15分配信

ヤクルト・山田30盗塁、トリプルスリー確実に 史上9人目、13年ぶり

6回、二盗を決め、今季通算30盗塁を達成した山田は、送球がそれる間に三進する=神宮(撮影・吉澤敬太)

 「ヤクルト-広島」(6日、神宮)

 ヤクルトの山田哲人内野手(23)が六回、今季30個目となる盗塁を決め、打率3割、30本塁打、30盗塁達成による「トリプルスリー」をほぼ確実にした。打率についてはシーズン終了まで確定しないが、すでに規定打席に達していることや現在の成績から、3割以上をキープする可能性が非常に高い。決定すれば史上9人目の快挙となる。

 打率・329、33本塁打、29盗塁でこの日の試合を迎えた山田は六回、二死走者なしからこの日3本目の安打で一塁に出た。続く畠山の打席で、広島の3番手・ヒースから二盗を決めた。内野手がベースカバーに入れず、送球が外野へ抜けた間に三塁まで進んだ。

 トリプルスリーは打撃の確実性、長打力、走塁力と多岐にわたる能力が求められるため、非常に難易度が高い。過去8人しか達成しておらず、最近では02年に松井稼頭央(当時西武)が達成した。セ・リーグでは00年に金本知憲(当時広島)が記録している。
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2. 【高校野球】U18日本代表、小笠原先発に見た世界一への「教訓」
webスポルティーバ 9月6日(日)14時0分配信

【高校野球】U18日本代表、小笠原先発に見た世界一への「教訓」

2次リーグ最終戦のキューバ戦で先発した甲子園優勝投手の小笠原慎之介

 意外な男が先発のマウンドに上がった。1次リーグからここまで7連勝で、すでにU18ワールドカップ決勝進出が決まっている日本にしてみれば、2次リーグ最終戦のキューバ戦は消化試合である。しかし、西谷浩一監督(大阪桐蔭)は、甲子園優勝投手である151キロ左腕・小笠原慎之介(東海大相模)をマウンドに送り出した。

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「うれしい誤算ですが、この試合まで先発投手が頑張ってくれて、投手をつないでいく試合が少なかった。登板間隔の空いた選手が多かったので、今日しっかり投げて、明日の決勝は全員がスタンバイする形をとりたかった」

 西谷監督はそう振り返った。しかし、全勝優勝に向かって、惜しみなく左腕エースを投入したのは、前回大会の教訓に思えてならない。

 2年前に台湾で行なわれた前回大会でも、日本は2次リーグ最終戦まで無敗だった。最終戦の相手はアメリカで、今回と同様、その時点で、決勝で再戦することが決まっていた。西谷監督は決勝を睨んで主戦だった松井裕樹、安樂智大らの登板を避けた。いわば手の内を隠し、文字通り消化試合にしようとした。

 国際試合では定石の戦い方だろうが、一発勝負に慣れた日本の高校球児は、慣れない試合運びにエラーが続出し、4対10と大敗を喫してしまう。無敗で勝ち進んできた勢いは消え、決勝では2対3と接戦を演じたものの、アメリカに優勝をさらわれてしまった。

 日本開催となった今年の大会では、初めての世界一に向け、まるで甲子園を戦うように、負けられない戦いを西谷監督は若きサムライたちに強いたのである。

 先発の小笠原は2回を投げ、無安打2奪三振。2番手には今秋のドラフト上位指名が確実視される高橋純平(県岐阜商)が上がり、2回を無失点。成田翔(秋田商)、高橋樹也(花巻東)、森下暢仁(大分商)らも好救援し、5人の投手陣がキューバ打線を0点に抑えてみせた。

 小笠原は試合後、こう話した。

「今日の朝、先発を言われました。(決勝で先発したかったのでは?)僕としては、いつでもいいかなと思っていました。(アメリカの印象は?)ブンブン振ってくる。甘い球だけは投げないように。真っ直ぐが一番有効だと思います」

 日本は決勝までの8試合でエラーがわずか1つしかなく、急造チームながら鉄壁の守備が攻撃に好影響をもたらしている。西谷監督は言う。

「守りが安定していることによって、攻守にわたって粘り強いチームになっていると思います」


打撃陣で好調を維持するのは、清宮幸太郎(早稲田実)のあとを任される5番の平沢大河(仙台育英)だ。木製バットも苦にせず、力強い打球を逆方向(左方向)に運んでいく。キューバ戦では2安打3打点を記録し、4試合連続の打点となった。

 注目のスピードスター・オコエ瑠偉(関東一)は、2次リーグの韓国戦でダイビングキャッチを試みた際、自らのスパイクで負った裂傷により、キューバ戦の出場はなかった。

「決勝は行く気でいます。日本の野球をして、世界一を獲りにいきたい。(日本の野球とは?)スモールベースボール。足を使って、細かいところまで徹底する野球。それでここまで相手を圧倒してきたわけですから」

 決勝の先発は、1次リーグの米国戦で、5安打9奪三振で完封した佐藤世那(仙台育英)が有力視されているが、小笠原の連投も十分に考えられるだろう。

 また、大舞台になればなるほど勝負強さを発揮する清宮のバットにも期待したい。西谷監督は言う。

「優勝と準優勝では天と地ほどの差がある。アメリカも、リーグ戦の前半は調子が上がってなかったようですが、ここにきて(3試合連続逆転勝ちで)状態が上がってきている。なんとか、1点でも上回って、世界一を獲りたい」

 万全の準備を終え、高校日本代表は悲願の世界一に挑む。
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柳川悠二●文 text by Yanagawa Yuji


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3. ソフトバンク 松田の“マジかよ”弾でM12!「これが今季の野球」
スポニチアネックス 9月6日(日)19時19分配信

ソフトバンク 松田の“マジかよ”弾でM12!「これが今季の野球」

<ソ・楽>マッチくんとお立ち台で「1、2、3、マッチ!」と叫ぶ松田

 ◇パ・リーグ ソフトバンク5―3楽天(2015年9月6日 ヤフオクD)

 ソフトバンクは松田が今季3度目のサヨナラ本塁打を放ち、優勝へのマジックを12とした。

 5時間を超える熱戦にケリをつけたのは、やはりこの男の一振りだった。試合は4回まで両軍が3得点ずつ挙げるも、5回以降はスコアボードに「0」が並ぶ展開。ソフトバンクは延長戦に入っても、走者すら出せず、楽天救援陣を攻めあぐねた。

 12回を無失点で切り抜け、負けがなくなったその裏の攻撃、楽天の7番手・入野の前に簡単に2死となり、引き分けが濃厚。しかし、李大浩が四球を選び、打席には「マジかよ」と自身に回ってくるとは考えていなかった松田が立った。

 背番号「5」は初球のスライダーを強振すると、打球は左中間のテラス席に飛び込む31号2ラン。4回以降、8イニングぶりの得点により、一瞬にして勝負が決した。

 「疲れました」。マイクを向けられた松田は長時間となった試合に開口一番、そう答えると、「残ってくれたファンに勝ちをプレゼントできてよかった」とコメントを続け、安どの表情を浮べた。

 チームは先制を許すも、下位打線の適時打などで中盤に試合は振り出し。終盤、そして延長戦では救援陣が得点圏に走者を背負うも、何とか踏ん張り相手に得点を与えなかった。「こういう試合は今年一年やってきた野球」。そう胸を張る松田の姿が何より今季の強さを表していた。

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4. U-18W杯決勝
日本対米国
2対1で米国勝利
先発、
【日本】佐藤、上野、
【米国】プラット,ギャレット,ジェファーソン、
米国
1 二 マッカロー 2 中 モニアク 3 一 バクスト
4 捕 アムダイティス 5 投 プラット 6 遊 ストッブ
7 右 ベンソン 8 三 クインダナ 9 左 ラザーフォード
日本
1 左 杉崎 2 二 津田 3 右 勝俣
4 DH 清宮 5 遊 平沢 6 中 オコエ
7 一 伊藤 8 三 篠原 9 捕 郡司

3回表 米国

米国の攻撃は、韓国戦で逆転ホームランを放った9番・ラザーフォードから。

9:ラザーフォード 初球、外角のストレートをはじき返し二遊間を破るヒット。

1:マッカロー 無死一塁。初球からバントを試みるも一塁線へファウル。2球目、3球目はバントの構えから見てボール。カウント2−1から4球目は一塁前へ転がし送りバントを決める。

2:モニアク 1死二塁。初球ボールからの2球目も高めにフォークが浮きボール。3球目、外角に大きく外れて3ボールとなる。1つストライクを取って、カウント3−1から5球目を打つもピッチャー正面のゴロ。二塁走者が飛び出し佐藤から三塁へ送るも、これが悪送球になる。二塁走者が一気に本塁へかえって米国が1点先制。

西谷監督がマウンドへ行き、間を空ける。

6回裏 日本

上野の好投を攻撃につなげたい日本は、8番のキャプテン・篠原涼(敦賀気比)から。
ベンチ前で円陣が組まれ、観衆から大きな拍手が送られる。

8:篠原 初球、内角の球を見送ってボール。2球目、外角高めの変化球を打つも自打球でファウル。3球目、外角の球をファウル。カウント1−2から4球目は外角低めのボール球。5球目、低めのチェンジアップを見てボール、フルカウントになる。最後は高めに変化球が浮き四球で出塁。

9:郡司 無死一塁。初球、バントをするもファウルになる。2球目はバントの構えで高めの球を見てボール。3球目、内角の球にバントをしにいくが空振り。カウント1−2、バントの構えから内角低めの球を見送るが見逃し三振。

1:杉崎 1死一塁。1ストライクからの2球目、三塁方向への鋭い打球もファウル。3球目、低めのチェンジアップにうまく合わせライト線へのツーベースヒット。一塁・篠原は三塁ストップ。

2:津田 1死二、三塁。甲子園が手拍子で津田を後押し。初球は外角の変化球に手が出て空振り。2球目、外角の球をキャッチャーがはじいて三塁・篠原が果敢にホームを狙うもタッチアウト。2死三塁に変わる。カウント2−2からの5球目、外角低めのチェンジアップに合わせるようなバッティングでライト前に運ぶ。タイムリーヒット。日本、1点を返し、津田は一塁ベース上でガッツポーズ。

3:勝俣 2死一塁。初球、高めのストレートを打ち詰まりながらセンター前に運ぶヒット。

米国はマウンドに集合。ピッチングコーチがマウンドへ向かう。

4:清宮 2死一、二塁。この日一番の歓声が起こる。初球、内角の変化球を見てボール。2球目、外角高めの変化球を見逃しストライク。カウント1−1、外角のストレートを打つもファウル。カウント1−2からの4球目、外角の球をファウルで逃げる。5球目、外角低めの球を見てボール。カウント2−2からの6球目、外角の球にフォームが崩れながら、ボテボテの打球も飛んだ場所がよくセカンド内野安打。

5:平沢 2死満塁。1ボールからの2球目もボール。1球に球場が沸く。3球連続ボールで3ボール。4球目は外角低めのストレートがストライク。5球目、内角低めの球を引っ張る。一塁強襲の打球でピッチャー・プラットとの競争。平沢、ヘッドスライディングを見せるが、わずかに及ばずアウトの判定。3アウト。
ニュース、

1. <オーストリア>独へ難民の列 「希望」背負い歩く
毎日新聞 9月5日(土)21時47分配信

<オーストリア>独へ難民の列 「希望」背負い歩く

ハンガリー国境に近いオーストリアのニッケルスドルフで、降りしきる雨の中、ウィーン行きの列車が待つ駅へと向かう親子連れ=2015年9月5日、坂口裕彦撮影

 【ニッケルスドルフ(オーストリア東部)坂口裕彦】「あと少しだ」。降りしきる雨が疲れ切った難民から体力を奪う。内戦が続くシリアなどを逃れ、ハンガリーの首都ブダペストで足止めされていた人々が5日、隣国オーストリアに徒歩でたどりついた。オーストリアとその先のドイツは4日深夜(日本時間5日午前)、相次ぐ難民の事故を受け、国境を開放すると発表。特別列車がドイツに到着した。せきを切ったように新天地を目指す人々に同行した。

【別カット】降りしきる雨の中、駅へと向かう親子連れ

 首都ウィーンから東へ約70キロの国境の町・ニッケルスドルフ。道路を難民が抱えきれないほどの荷物と共に、人々がウィーン行きの電車が待つ駅へと歩いていた。1キロはある長蛇の列だ。時折、自家用車が難民家族を乗せ、走り去っていく。欧州ではトルコ側海岸に漂着した3歳男児の遺体の映像に同情が広がり、市民が自家用車で難民を最寄り駅に送迎するなど支援の動きが目立ち始めた。

 「あと少しでドイツだ。仕事もあるだろう。今は幸せだよ」。びしょぬれで歩いていたシリア人のバシェール・アルタハさん(23)は白い歯をみせた。毛布でくるんだ1歳の息子を両手で抱えている。ブダペスト東駅で6日間、妻子と野宿をしてチャンスを待った。

 国際列車の発着を停止するなど、難民を越境させないための強硬姿勢を続けていたハンガリーを一変させたのは、人々の行動だ。業を煮やした人々は4日夕、ブダペスト東駅から約170キロ西にあるオーストリア国境へ歩き始めたのだ。

 ハンガリーは5日未明に人々をバスでブダペストからオーストリア国境へと運んだ。人々はその後、徒歩で国境を越えて約5キロ先のニッケルスドルフ駅へ。ほとんど徹夜だ。駅では、国際赤十字の職員が「ウィーンまで着けば、医者がいる」と必死に励ましていた。

 シリア人のマザン・アイドさん(47)は「(ハンガリー政府が用意した)バスに乗せられるまで、高速道路を10時間も歩いた。2時間は雨にも打たれた。でも最後にドイツに行くことができればいいんだ」と語った。

 約500人と一緒に記者もウィーン西駅行きの列車へ乗り込んだ。「ようやく国境を越えられた」。隣席のイラク人のエンジニア、アリ・アドナンさん(28)は、スマートフォンを手に故郷バグダッドにいる兄のフシャムさん(37)に現状を報告していた。トルコからギリシャ、マケドニア、セルビア、ハンガリーを経た旅は、故郷のバグダッドを出発してから73日目だという。電車が動き出すと車内では人々の拍手が起きたが、20分ほどすると大半が眠りに落ち、静寂が訪れた。

 5日夕までにハンガリーからオーストリアに6500人が入国。オーストリアから特別列車で独ミュンヘンに到着した難民は1000人に達した。独警察当局は難民登録センターにアラビア語の通訳を派遣し、手続きを支援している。次々と後続列車が着いており、当局は同日中に約1万人が独に入国するとみている。

 【ことば】欧州への難民

 内戦や政情不安を逃れ、中東や北アフリカから密航船で欧州を目指す難民が後を絶たない。国際移住機関(IOM)によると、今年1月から9月3日までに36万4183人が地中海を渡って欧州に到着したが、途中で2701人が死亡。経済的に豊かで難民を積極的に受け入れるドイツを目指す難民の約7割はバルカン半島を北上するルートを使うようになり、オーストリアでは8月に保冷車から多数の遺体が見つかった。欧州連合(EU)は対応策を協議している。
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2. <G20閉幕>市場安定化遠く 株安収束に不透明感
毎日新聞 9月5日(土)23時48分配信

 トルコで開催された主要20カ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議で、世界的な金融市場の混乱を収束させるために各国がどのようなメッセージを打ち出すかに市場の関心が集まっていた。しかし、中国経済の減速や、米国の利上げに対する具体的対応が示されたとは言えず、市場では「週明け以降も金融市場の不安定な動きはしばらく続く」との見方が大勢だ。【神崎修一、ワシントン清水憲司】

 「中国経済の先行きや、米国の利上げ時期の不透明感が金融市場の不安定化につながっている。G20が市場との対話を重視する姿勢を見せ、市場を落ち着かせる必要がある」(ニッセイ基礎研究所の井出真吾チーフ株式ストラテジスト)。中国を震源地とする世界同時株安に翻弄(ほんろう)された市場関係者は、中国や米国が今回の会議を通じて政策の方向性を明確にすることを期待していた。

 今回のG20で各国は「中国経済の低迷は新興国のリスクになる」との世界経済への危機感を共有した。しかし、中国政府からは今後の景気対策や人民元改革などの方向性は明確に示されなかった。このため、「不透明感だらけ。G20でサプライズが打ち出せる状況ではなく、すぐに市場が明るくなるのは難しい」(野村証券の松浦寿雄チーフストラテジスト)と冷めた受け止めが支配的だ。

 米国の利上げに対する警戒感も依然として根強い。米国がこれまでの金融緩和から利上げに転じれば、世界の投資マネーが高い利回りが期待できるドルに流入し、新興国や資源国の資金流出を招くなど市場の混乱に拍車をかける恐れがあるためだ。市場関係者は、米連邦準備制度理事会(FRB)が今月16、17日に予定する連邦公開市場委員会(FOMC)で、利上げに踏み切るかどうかを注視している。

 利上げの「最大の手がかり」とされた8月の雇用統計は強弱入り交じる結果となり、4日のニューヨーク株式市場は先行き不透明感から大幅に下落した。米調査会社IHSチーフエコノミストのナリマン・ベラベシュ氏は最近の市場動向を踏まえ、「環境が変わってしまった。9月利上げはありそうにない」とみる。

 一方、雇用統計で失業率が前月比0・2ポイント低下して5.1%まで改善したことで「9月利上げの可能性が高まった」(三菱東京UFJ銀行の主任金融エコノミストのクリス・ラプキー氏)との声も一部にある。市場関係者の見方が分かれていることも、当面の市場の不安定要因になりそうだ。

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