(1)もう一昨日になりますが、日本測量協会の機関誌『測量 The journal of survey 地理空間情報の科学と技術測量』(2024年4月号)が送られてきました。(以下では副題を略して『測量』とします。)
(2)『測量』が送られてきたのは、88ページ以下の書評欄「Survey Library」に『御料局測量課長 神足勝記日記 ー林野地籍の礎をきずくー』の書評を山岡光治氏が書いてくださったからです。
山岡氏は、長く国土地理院の技官として勤務され、退職後はゼンリンに勤務され、さらに、地図の楽しみ方を知ってもらいたいと、『地図を作った男たち ー明治の地図の物語』(原書房)、『地図に訊け』(ちくま新書)、『地図を楽しもう』(岩波ジュニア新書)などの著書が多数ある人です。著書はわかりやすく、すでに測量関係では知られた人です。
その山岡氏が、『神足日記』について注目してくださったのは次のところでした。
(3)まず、私は『神足日記』の編纂にあたって、「解題を導入部として日記本体を直に読む努力をしてもらう」ことがこの日記を最も生かすことになると思って編纂しました。ですから、できるだけ私見は述べないようにし、理解に役立つ資料や説明を付けました。そのことを山岡氏は次のように書いてくれています。
「本書は、・・・御料局の測量事業に関わる部分を主に報告するものである。神足勝記と御料局の業務をたどるには、704ページ、約80万字に及ぶ本書を一々読み解くことになる・・・」
そうです。あれほど面白い日記もそうはありません。それを私が読み砕いてしまっては、エキスを伝えられたとしても、いちばんよいところを奪ってしまうと考えたわけです。「大変でも、読破してほしい」、この一念です。
そのために編纂にあたっていくらかの工夫をしましたが、それについて、次のように書いてくれています。
「そこには、公務出張のようす、日々の公私の出来事、広範な人との出会いなども淡々と記述する日記に沿うばかりでなく、関連文献や史料を基にした追記編集が適宜・適切になされて理解を容易にする配慮がある。」
(4)「配慮」が「適宜・適切」であったかは、今後も検討していくつもりですが、読者には読む努力求め、その努力をする人が一人でも二人でも出て来ることが、この分野の研究を先に進めることになる、その確信が自分にはあります。山に登り切った人だけが見られる世界です。
山岡氏はそれについても書いてくれました。
「・・・著者が解題でも述べるように、「これまでは外から観察していた御料局とその事業を、内側から生き生きとした動きとして見られるようになり、現場の目線で考えることができる」研究者には必須の一冊となっている。」
そうです。情報公開法によって研究者は研究姿勢を改めなくてはならなくなりました。これまでは、資料の制約から、どうしても手に入り易い高官や著名人の書き残したものから断片的に推測する方法しか取れませんでした。しかし、いまは違います。明治天皇の手許書類まで閲覧請求をすることができます。研究者は、高所からでなく、現場の目線でとらえ直す必要に迫られる時代に入りました。そして、そこで自分の居場所を見失わない学問的方法論が要求される時代になっているのです。一級資料を見て二級三級のレベルにならない努力が求められています。前より格段に大変な時代になっているのです。
(5)ところで、いただいた『測量』4月号は「令和6年能登半島地震」の特集号になっていました。さっそく巻頭の2論文を拝読、興味深く読みました。
ひとつは、私の専門の財政学から見た公共事業費の在り方の件です。
従来のゼネコン型の大規模公共事業ではない、災害多発国日本の国土保全としての公共事業をどう形成すべきか、このことをもっと考えるべきと思いました。
もう一つは、この国の研究体制です。
よく、対米従属・大企業優先といわれますが、また軍事ばかり突出した予算編成がなされていますが、主権者である国民福祉と科学研究にもっと力を入れ、それに裏付けられた環境整備や国土計画が必要となっていますから、それに早く気付くべき時だということです。
これまでの災害に続いて今度の地震もその警告になっている、これは明らかです。
おっと、またまた脱線。長くなりました。
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