(1)これまでにもう何回も書きましたが、このブログは『御料局測量課長 神足勝記日記 ー林野地籍の礎を築くー』日本林業調査会(J-FIG)の宣伝のために始めたものです。関係者に伺ったところ、高価で地味な本なのに、順調に知られてきているとの評価でした。
しかし、天皇とか、皇室財産とか、御料地とか、そのほか、林業関係・測量関係・文学関係・熊本関係・関係自治体の郷土史・関係大学と研究機関など・・・全国にたくさんありますから、そのことを基準に考えると、まだまだ届いていないと思います。これには、図書館の財政事情と関係者・司書の目配りが関わっていると思われます。
高価とはいえ、刊行部数には限りがあります。必要とする所へ確実に届けたい。今どきの投機を煽るつもりはありませんが、あとでは入手困難な稀覯本になります。
(2)ところで、昨晩(21日23時台と22日1時台に)、爆発的に視聴者がありました。どのくらいかというと、25~30人が視聴する時間が続き、それぞれ延べ100人超に達しました。通常は、2日間で100~130人くらいのものです。少ない日は40人台です。それが、短時間にこんなに大きな数字を記録したことはありませんのでおどろきました。
おそらくなにかの集まりがあって、どなたかが言い出したことがきっかけで話題となったものでしょう。『神足日記』についてでも、このブログについてでも、私の方で知っておくべきことやご意見がありましたら、ぜひコメント欄にでもお寄せください。
さて、今日はここまでで終わりです。
以下は付録:小学校1年か2年の遠足の時のことです
(3)弁当のほかに副食物を50円分まで持って行ってよいことになりました。このころの50円は、キャラメルの小箱10円、大箱20円、バス料金は初乗り大人10円、子供5円の頃のことです。
祖母と果物屋に出かけ、当時まだ珍しかったバナナを買おうとすると「35円」でした。祖母は、「買ってもいいけど、あと15円だから、キャラメルくらいしか買えないよ」と。
結局、バナナを初めて食べたのはもうちょっと後になってからでした。
(4)遠足の行き先は高崎の観音様でした。藤岡~高崎間は八高線でした。まだ蒸気機関車で、それでも乗車時間は25~30分くらいです。ところが、1クラス50人ほどで8クラスありましたから全員は座れません。各クラス4~5人が立つ必要がありました。それを誰にするかと真剣に議論しました。子供ですねえ。たしか私は、自主的に手を上げて、立つ側だったはずです。
(5)高崎駅から観音様ヘの途中に水たまりがあって、そこに少しつま先を入れて遊びながら歩く子もいましたが、私がそれをサッと除けると、それを見た隣りの7組の担任の北村先生が、「そういうところに入らないのがえらいんだよ」とほめてくれました。北村先生はオールバックの白髪でビヤダル見たいな体形をされた方でした。昔の歌舞伎役者に似た風貌でした。
(6)観音様の近くの木の下で昼食でした。新島君(じょうじ〔丈司〕といったか?)とそのお母さんたちと一緒しました。
新島君は、体つきはどちらかというと大きいかったと思いますが、小児まひに罹り、そのために歩くときに足の甲が延びて裏返ってしまい大変そうでした。歩けないことはないですが、裏返った足を引きずって歩きますからつま先が擦れ、すぐに靴先に穴が開いてしまいます。
そういう障がいを持っていたので、お母さんが付き添いで来たようでしたが、何を話したか記憶がありませんが、おしゃべりな私がいろいろ話したからでしょう、お母さんが突然「ずっとお友達でいてね」と。
その後しばらくして私は転校しました。彼の消息は分かりません。どうしているか。
ほんの断片です。
〽あとはおぼろ~ あとはおぼろ~
では。
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