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哲学カフェ 第69回 「努力すること」 2018.9.25

2018-10-01 21:56:33 | 心理学

Yo-Yo Ma plays Ennio Morricone # Once Upon a Time in the West - Main Theme

  第69回哲学カフェ                             2018年9月25日

                                               担当: 松畑 煕一

「努力すること」の意味を問う

Q1: 「努力に勝る天才は無い」のか?



Q2: 私たち皆が持つ「潜在的能力(才能)」は、どうすれば引き出せるのか?



Q3: 努力すること以上に大切なものがあるとするならば、それは何だろう?


<次のエピソードを参考にして考えてみよう。>

  日本画家、東山魁夷氏の『風景との対話』の書の中に、「風景開眼」という随想がある。

  氏は、若き日に、画家としての道を志しながら、なかなか世間から評価されることがなかった。友人たちが次々に画壇の寵児になる姿を見ながら、一人取り残された思いで道を歩んでいた。

   しかし、その鬱々とした時代のなかで、氏は、終戦間際の軍隊に召集される。そして、爆弾を抱えて戦車に肉薄攻撃する訓練を受ける日々。

   その死を覚悟した日々に、あるとき、熊本城から肥後平野と阿蘇の雄大な風景を見る。それは、見慣れたはずの光景であったが、死を目前にした氏には、その風景が光り輝いて見えた。

        そして、その光景に、涙するほどの感動を覚える。

   そのときの心境を、氏は、こう語る。

   「あの風景が輝いて見えたのは、私に絵を描く望みも無くなったからである。私の心が純粋に  

    なっていたからである。死を身近に、はっきりと意識する時に、生の姿が強く心に映った」

   そして、その深い感動のなかで、氏は、こう思い定める。

   「もし、万一、再び絵筆をとれる時が来たなら、 私はこの感動を、いまの気持ちで描こう」

   もはや、その時はもう来ないだろうとの諦念の中で、氏は、その切なる願いを心に抱く。しかし、氏は、奇跡的に生還し、再び絵の道を歩み始め、才能を開花させる。

       私は生かされている。野の草と同じである。  路傍の小石とも同じである。

         生かされているという宿命の中で、せいいっぱい生きたいと思っている。

 

 

 

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