PAPP GÖRGY

旧ブログ名 モ
期間限定でブログ名を変えてお届けしております。
IEでは文字化けしてますが。
パップ・ギョーリキー

世間的な欲望

2005-03-17 12:40:18 | しんどいなぁ
いつも行く近所のコンビニに新しいバイトが入りました。
彦六師匠っっ!!(『から騒ぎ』の方です)
眼鏡を掛けてもばれてます!
はい!はい!はいはいはい!
こんにちは、モです。

小泉内閣メールマガジン(第179号、3月10日)で首相は
「スローフード」という言葉を聞くのは初めて
と書いています。
テレビや雑誌などで話題になり、我々は少なくとも一回は見聞きしたことがある言葉、それを首相が御存じ無い。
驚くとともに、しかし、バラエティ番組やワイドショーを見たり真面目な雑誌以外のものを読んだりする時間もないだろうから当然のことかもしれないとも思う。
ミーハーだと言われている小泉首相でもこうなのか、と考えさせられる。
そんな生活が、果たして私に耐えられるだろうか?
確かに、プロ野球の結果を知らなくても、誰かのブログを読まなくても、お笑いを見なくても、生活に支障は無いだろう。
しかし、今の私にはできない。
時流についていくのに必死で、それを捨てるだけの勇気が無い、ということ。
時流にすがるのが二流、時流を作るのが一流、なのだろうか。

高校の頃の生徒手帳にこんな記述がある。
――服装規定――
生徒という立場は生計を立てるための繁労から解放されている代わりに、来るべき社会活動に備えて学習することを要求されている。生徒は自ら労働しないのであるから、娯楽とか身を飾るとかの世間的な欲望は、極度に抑制しなければならない。これは当然のことである。従って生徒が、生産活動に従事している社会人と同じような欲望を充たしたいと考えるのは、大変な考え違いということになる。制服制帽等いろいろ規定されてくるとなんだか自由を奪われたように感ずるが、世間の一般的考えに立って勉強はできないもので、戒律が制服という形をとり自己の定めた戒と他からの律により厳しく自己を抑制してこそ、はじめて勉学と取りくむことができるのである。又、凡そ人間なら働くことなしに生存を許されない。生徒は働かない代わりに将来の準備を社会から要求されている。故に勉強をしない生徒というのは在ってはならないことになる。特に複雑化し、高度化した近代社会にあってはそれに適応し得るためには十分な基礎知識が要求される。
以上のことから理解されるように生徒というものの在り方は外には質素な服装と、内にはひたむきな勉学ということに集約される。更に学校という一つの共通の目的をもった場所においては集団として行動するために統一された線というものがなければならない。それを制服という形で表すのである。

この前文の後に、諸注意が続くのであるが、まぁ、こじ付けも甚だしい。
しかし、いいことを言っている部分も無いではないのだが、もう少しうまく書いてくれればそのメッセージを受け取れるものの、これでは全くバカな話である。
驚くような結論へとたどり着いたり、飛躍したり。
生徒にメッセージを伝える意思が見られないことが、教師陣もこのような理念を持って制服を規定しているのではないということを物語っているのだが。
ともあれ、他からの律に期待してはいけない今は、自己で定める戒をどの程度にすべきかに悩む。
少なくとも、あるある探検隊を今度の芸のネタに、などとは思ってはいけない、のだろうか。。

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