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未来を信じて

ダンナは私たちの太陽!

入院21日目

2009-08-19 22:34:07 | 退院~大阪の病院に入院

今日も病院へ行ってきました。
日中はものすごい日差しでとけそうでした。

病室へ入ると目を開けているようなので「おはよう!」とそばに行くと
半分目が開いた状態で寝ていたのでした。
今日は、何回呼びかけてもしっかりした覚醒はなく…
「手を握ってみて」と言っても全く力が入らずだらっとした状態でした。

今朝から、鼻にチューブを入れて、胃まで留置して栄養剤を注入する
経鼻経管栄養法というのを始めました。
経口で食事をすることは大切な事だけど、栄養がほとんど取れない状態に
なってきたので、お願いしました。
手術した傷跡の治癒にもたんぱく質等必要な栄養分が体内に入ってこない事は
望ましくありません。

それに飲み込むという動作が本当に難しくなってきているようで、自分の唾液すら
飲み込めず口にたまっている時があります。
吸引も初めてやってもらいました。
鼻にチューブを入れることは少し抵抗があったのですが、この状況では
してもらわないわけにはいきません。

昨日まではまだかろうじてコミュニケーションは取れていたのですが…
今日は全く反応がありませんでした。

顔、手など拭いたり、マッサージ、髭剃り、口からは食べてないけど口から水分も
取れてないので、口の中を潤す意味でも歯磨きをしたりしました。


病院へついてしばらくしてから、先生が来て「いいニュースと良くないニュース」を
話してくれました。
いいニュースは、手術前から少しずつ白血球数と炎症反応が上がってきてて
術後2日後から熱が出だしたのですが、このときに数値がかなり上がっていました。
すぐに違う抗生剤に変えていただいて様子を見ていたのですが、
それがあたって数値が下がってきてるとの事でした。
傷口の治癒を目指して今頑張っているのに、炎症反応なんか上がってもらっては
困ります。
このまま落ち着いてくれる事を願います。

良くないほうは、以前に検査を出していたWT-1ワクチンの結果。
適合なしとなってしまいました。
これで1つ治療法が消えてしまいました。

現実問題、あと残っているのは1つの治療法。
でもこの治療法もすんなりやらせてくれません。

混合診療の問題です。
これを避けるためには退院して、外来で治療を受けるしかありません。
でも今でこんな状態のダンナ。後1.2週間後に退院して外来に来る事が
出来るかどうか…
袋小路に迷い込んだ気分です。


入院16日目~18日目

2009-08-16 21:18:32 | 退院~大阪の病院に入院

まず TOSHIさん そよかぜさん ぽっちゃん みっちいママさん Nの知人Yさん 
みぃねえさん コメントありがとうございます。
コメントを読んで涙してしまいました。

ダンナの前では泣かない。
子供達の前では泣かない。
と決めてここまできました。

人前で泣く事がイヤな私。
これは昔からで、今現在ムリして頑張っているというわけではありません。

それなのに最近は油断するとじわっと目が潤んでくる時があります。

泣いてしまうとそこで時間が止まるような気がして…
悲しい、辛いという気持ちでいっぱいになり、前向きに気持ちを持っていけないような
気がして。
それに泣く事が止まらなくなりそうで…

まだ今は泣く時ではないと思っています。
泣いているヒマなんてない。
できる事なんて何もないかもしれないけど、面会に行ってダンナと同じ時間を
過ごしたいと思います。

術後の8月12日13日はお義父さんとお義母さんが病院に行ってくれました。
反応がとても薄く、術後というせいかほとんど寝ていたそうです。
食事も2割食べられたかなという感じだったそうです。

8月14日 2日ぶりに私が面会に行きました。
お昼ごはんの最中のようでしたが、座ったまま寝ていました。
2口くらいは調子よく食べたらしいのですが、それから疲れたのか寝てしまい、
少し休憩してから様子見ましょうとなりました。
30分位して目を開けたので起こして2口ほど食べましたが、結局ごっくん出来ずに
口に残ったまま、寝てしまいました。
誤嚥すると危ないので、口の中のものをかき出し、声を掛けましたが何処か遠くへ
行っている様で私の声は届いていませんでした。

その後はいつもなら寝たままなのに、今日は寝られないのか物音や話し声に
敏感に反応してよく起きていました。
ラジオを一緒に聞いたり、昔懐かしの曲を聴いて昔の話をしたり、子供の様子を話したり。
特に返事はないけれど。
聞いているのかいないのかよくわからないけど、私の顔をジッと見たり、
手を握ってくれたりしていました。

これだけ夕方に起きていたから夜ご飯の時はやばいなぁと思っていたら
案の定寝てしまい…
起きたときを見計らって3口ほど食べましたが、口の中に残っていたり、こぼれたりで。
薬を飲むのも一苦労でした。

首を支えるのがつらいのか左へ傾き、口の閉まりも悪くなってきているようで
水気のものはほとんどこぼれてしまいます。
食べ物、飲み物が口に入ると自然にくちびるを閉じてこぼれないようにするけど、
それができないようです。
全くできないわけでもなく、出来る時もあるのですが。
口に物が入ってる感覚はあるようだけど、閉じないとこぼれるという感覚がマヒしているのか?
とにかく経口で食事する事がかなりむずかしくなってきています。

8月15日16日
お義母さんとお義父さんが面会に行きました。
日曜日はお義姉さん夫婦も一緒に行ってくれました。
熱が出ていてしんどそうで、やはり食事は1口2口くらいしか取れていないようでした。
食事に関してはギリギリまで経口でと考えてくれているようで、日曜日現在経口食でしたが、
何も食べられない事を看護師さんとお義母さんが話したようで、もしかしたら月曜からチューブとかに変わるかもしれません。


入院13日目 手術当日

2009-08-11 23:39:11 | 退院~大阪の病院に入院

午後からの手術だったのでいつもより少し早めに着くように出かけました。

予定ではお義父さんに留守番をしていてもらって、子供達3人とお義母さんと私で
病院に行く予定でしたが、台風接近の影響で雨が降っていた事と早朝に静岡で
地震があったことで不安になり、やはり子供達は置いていく事に。
いつも快く助けてくれるお姉さんに子供達を預けて、二人で行きました。

11時過ぎに到着し、ダンナの様子は…
オヤスミ中でした。
ここ最近、傾眠がひどくなってきています。
9日、10日はお義母さんが付き添っていてくれたのですが、食事中にも何回も寝て
それ以外でもよく寝ていたそうです。

声を掛けると反応して目を開けてくれるときもありますが、なかなかあけてくれません。
タイミングよくしっかり頭が起きている時に声を掛けて「私わかる?」と聞くと
かすかにうなづいてくれました。

12時半に手術室入室予定でしたが、2時間遅れで14時半に入室となりました。
手術が終わったのが18時半頃。

形成外科の先生が来て下さり、手術自体はうまくいった事。
選択肢が少ない中からでもできるだけの事はしてきてくださったようです。
処置や術後のCTをとって、病室に戻ってきたのは20時頃になっていました。

頭は包帯でグルグル巻き。
酸素マスクをつけ、頭のキズの所には細い管が繋がり、血やもし膿がまだ出るようなら
排出できるようにしてあります。

ダンナは目を開けて帰ってきました。
私たちの声だとわかっていたかどうか判断できませんが、安心できる材料の
一つになります。
看護師さんの呼びかけには反応して手を握り返していたようです。

手術が成功した事が何よりです。
まだこれから傷口が塞がる事や、ダンナの意識レベルを保つ事など、いろいろと
超えていかなければいけない難関があります。

正直どうなるかわかりません。
不安で一杯です。
でも一つずつクリアしていかないといけません。
今できる事をしていくほかありません。

子供達はとってもがんばってかしこくしていたそうです。
お兄ちゃんは特にだと思います。
明日起きたら「もういいよ」というくらい褒めてあげようと思っています。



入院10日目

2009-08-08 23:19:37 | 退院~大阪の病院に入院

毎日片道2時間、電車で病院まで通っています。
最初は乗り換え等でドキドキしていましたが、もう慣れたものです。
毎日となると大変ですが、それでもこの移動の時間は私にとって一人になれる
唯一の時間です。
いろいろ考えたり、本を読んだり、大阪の景色を眺めたり。。。
いい時間になっています。
今日は大阪の淀川花火大会があって、ちょうど帰りに電車から見る事が出来ました。


ダンナの様子は、入院した最初の時に比べると、やはり反応が落ちてきたように
思います。
たとえばジュース2種類をどちらが飲みたいか聞いたら、指差して答えて
くれていたのに最近は返答がありません。
「おはよ!私わかる?」と言うとウンとうなずきはするけど、「名前言って!」と
言っても返答はなし。

食事をしていても、急にスイッチが切れるみたいでスッと寝てしまいます。
5~10分するとフッと起きて何もなかったかのように、口をモグモグ動かして
食べています。
座った状態で、首を支えている事も難しくなったようで、左へ傾きます。

飲み込みはしっかりしていて、今も普通のご飯におかずを食べてくれています。
しっかり起きている時は、車椅子に乗り病棟を回ったり、洗面所で髭剃りをしたり
しています。
ずっとベットの上はイヤだもんネ!

ボーッとしているダンナを見ると、かなり進行しているんだ…と思ったり、
しっかり起きている時は元気な時と変わらない感じで嬉しくなったり。。。
一喜一憂しています。


手術は来週火曜日の午後からになりました。
主に形成外科の手術になります。
膿んでいる部分の皮膚を切り取り、膿を洗浄し、皮膚を寄せて縫い、足りない
皮膚は太ももの皮膚を移植するそうです。
4時間ほどの手術になるとの事でした。

簡単な手術ではありません。
この手術で膿がキレイに無くなるのか、傷口はしっかりと塞がるのか、
やってみないとわかりません。
でもやるしかありません。

この手術を決めるにあたっても選択を迫られました。
脳外科の先生は、感染元である頭の骨をはずし、中をキレイに洗って骨を
除いたまま縫ってとじる。
数ヵ月後、細菌がいなくなってから骨を戻すと言っていました。
が、形成外科の先生は、骨をはずすなら脳を包んでいる硬膜もはずしてキレイに
するべき、と意見が割れたのです。
脳外科の先生は、硬膜をはずす事に反対でした。
その理由は、硬膜をはがす事によって、脳内に膿が入り込んでしまう可能性が
あるから。そうなれば脳内に膿を撒き散らす事になるから、何のために
手術するのかわらないと。
それに重要な静脈が走っている近くらしく、何回も手術で縫い直している硬膜を
はがす事がかなり困難だということでした。

すんなり事は進みません。

今回の手術をして、膿がキレイになくなって傷口が塞がる可能性が半分しかありません。
それでも手術しない事には先には進めないのです。
幸いな事に家族で意見が分かれることはありませんでした。

手術の翌日は姫の誕生日です。
みんな笑顔で姫のお祝いが出来ていますように。。。


入院2日目

2009-07-31 23:45:43 | 退院~大阪の病院に入院

お昼ごはんに間に合うようにと出かけましたが、少し遅刻でした。

ダンナはご飯を食べ始めた所でした。
左手におにぎりを持って食べています。
「おはよ!少し遅れたわ。ごめんなぁ」
というとフッと笑ってくれました。

昼食は介助をして1時間かけてほぼ完食!

朝食は半分しか食べられなかったそうです。

「私誰かわかる?」と聞くと、また何しょうもない事聞くねんと言わんばかりの顔で
ちゃんと名前を言ってくれました。
質問してもムシされる事が多いのでとっても嬉しかったです。

昼食後は車椅子に乗って病棟探検&髭剃りをしました。
1時間もしないうちに眠くなったようで、看護師さんにベットに移動してもらうと
すぐに眠りについていました。

夕方、形成外科の先生が傷の状態を見に来てくれて、これから相談の上
手術日を決定するとの事でした。
このときはしっかり起きて、先生のガンバろうね!の言葉にハイ!と返事してました。

18時から夕食でしたが、寝ていて起こしてもなかなか起きず、30分遅れで
やっと起き、食べ始めてくれました。
食べだすと早くて40分くらいで食べ終われました。
夕食もほぼ完食!

朝晩服用している痙攣止めのお薬…デパケン2錠にリボトリール1錠
リボトリールは小さくていいんだけど、デパケンが大きくて最近すごく
飲み込みにくかったんです。
その話しを看護師さんにすると、すぐにシロップの状態のものに変えてくださいました。
イチゴ味でとっても甘いそうです。
カキ氷にかける蜜みたいなにおいがしました。

歯磨き、身支度を整えて寝る用意万端で今日もお別れです。
昨日は、お別れの時、寝てしまっていたので、すんなり帰れたんだけど
今日は起きているから、いつまでも話して、そばにいたくて…
でも帰らなきゃ!

じゃあ

また明日ネ!


明日入院

2009-07-29 23:34:28 | 退院~大阪の病院に入院

今朝、病院から電話があり明日に入院となりました。

病院へ入れる事に安堵の気持ちと、離れてしまう寂しさ、これから先の不安
いろんな気持ちが入り乱れています。

明日はダンナの姉とお義父さんも一緒に行ってくれます。
介助をしてもほとんど歩行が難しくなっているので、お義父さんがいてくれると
助かります。

手術日はまだ決まっていません。
また先生からお話しを伺いたいと思います。

ここからが正念場!とある方に言っていただきました。
家族で力をあわせ、踏ん張っていく思いです。

ダンナも毎日頑張ってくれています。
少し動くだけでも、相当疲れるようですが、嫌な顔せず、泣き言も言わず
昔のダンナと何も変わらない強い心を持ってくれています。

記憶に残らなかったり、話しがかみ合わない事もありますが、根本は
何も変わっていなくて、今でもしっかりと家族を支え、一つにまとめようと
してくれているように思えてなりません。

何事にも感謝の思いで!進んでいきますよ!


コメント読ませて頂いています。
お返事できなくてごめんなさい。
ありがたく、胸にきざんでいます。。。


7月22日の診察以降。。。

2009-07-26 21:45:50 | 退院~大阪の病院に入院

7月22日の診察には、車の乗り降りや、会計等でダンナに一人で待っていてもらう事に
不安があったので、ダンナの姉にも同行してもらいました。
運転までしてくれてホントに助かりました。

血液検査の結果を待って先生の診察です。
今日は覚醒状態が悪く、ボーッとしていたので、看護師さんがベットを貸してくださいました。
1時間ほどして先生が来られ、ダンナはまだ寝ていたので姉と二人で別室にて
お話しを伺いました。

まず血液検査の結果は白血球数が上がってきている事。
キズはまだ膿が出ている状態で、直径2.3ミリの穴が開いてしまっている状態でした。
このまま抗生剤で膿は治まったとしてもキズは塞がらないとの先生の判断でした。
キズが塞がらないということは、腫瘍への治療ができないという事です。

こうなると究極の二択しかありませんでした。
 このまま何もせず3ヶ月と宣告された日を家族でともに過ごすか。。。
 膿の手術をして傷を治し、もしかしたら治療できるかも知れない可能性を残すか。。。

何もしなければ一緒には過ごせるけど、確実に日は制限されてしまいます。
それにもしかしたら治療できるかもしれないのに、その芽を摘む事になる。
膿の手術をすれば、また入院となり家族は離れてしまう。
それに状態が悪すぎれば治療できない事もあり、手術は無駄、一緒に過ごせたであろう時間も消えてなくなる。。。

前回の診察の時からずっと考えていました。
ダンナの両親にも話し相談もしました。
みんな結論は出ず、どちらかを選ぶなんて…という思いでした。

姉が、「自分(ダンナ)が決断を出せなくなった今、妻であるまひろちゃんの思う
とおりにしたらいいと思うよ」と言ってくれてふっと軽くなり、やはり何もしないなんて
選択はできないと思い、治療への道に希望を持って膿みの手術をしてもらう事に
決めました。
きっとダンナも私と同じ思いでいてくれているはずです。

すぐに入院の手続きをとり1週間以内の入院の段取りをしていただける事になりました。
手術は早くしてもらいたいところですが、手術予定も詰まっているし、脳外科と
形成外科の先生にも入ってもらうので調整等で2.3週間後に手術となるようです。

ダンナの様子は…
まだかろうじて、部屋の中は支えて歩行できていますが、かなり自分の体を
支えきれなくなっているようです。
着替え等も声かけをしながらでないと、だんだんおしりが下がってきて
立っていられなくなります。
声はほとんどでず、笑顔も見られなくなってきました。

でも、先週は仲良しのお友達が日替わりでダンナに会いにきてくれて、このときは
笑顔が出たり、顔が生き生きとしていたり、見違えるようで。。。
高校からの付き合いのお友達。
楽しい時間をありがとう。


ずっと書けずにいました。。。

2009-07-25 22:17:39 | 退院~大阪の病院に入院

7月15日 大阪へ診察に行きました。
近くの違う病院でMRIをとり、データーを持って先生の元へ。
ダンナの様子は、この間診察へ来たときよりも状態が悪く、駐車場から外来まで
車椅子で向かいました。

30分ほど待つと先生が来て下さり、私だけ呼ばれて診察室に入りました。
撮った画像を見ると、腫瘍がかなり大きくなっていました。
5月20日に手術をしてからほぼ2ヶ月。
無治療状態の腫瘍はモヤモヤと広がり、手術で摘出した空洞部分が埋まりそうな
勢いでした。
それに膿もあるとのこと。

ダンナの状態が日に日に悪くなっていくのは、やはり腫瘍のせいでした。
先生は、「僕の考えが外れる事を期待しますが、あと3ヶ月。」とおっしゃいました。

もし膿の手術となれば、1.2ヶ月の時間はかかり、家族で過ごす時間がなくなります。
かといって治まらなければ髄膜炎になる事も考えられます。

一番いいのは抗生剤で膿が治まり、傷口が塞がれば治療へ進めます。
ダメなら手術。
この決断を22日しなければいけません。

今はただひたすら、治療へ進める事を祈るばかりです。

ダンナはよく寝るようになりました。
体もジッとしてると右へ右へ傾きます。
筋力がなく力が入らないせいか、自分で起き上がることも歩く事もままならなくなりました。
食事はかろじて自分で食べていますが、1時間以上もかかり、そのうち寝てしまい
そうになるので、少し手伝っています。

という内容を19日に書くもののアップできず…でした。



新たな決断

2009-07-11 18:32:27 | 退院~大阪の病院に入院

7月9日 無事に退院してきました。
安心して移動できた事、本当に姉夫婦に感謝で一杯デス。
筋力の衰えか腫瘍のせいなのか、歩行にも問題ありな状態だったので、車で大正解
でした。

7月10日
退院したすぐで大丈夫かなと思いながら、大阪の病院へ診察に行ってきました。
ダンナも行くと言ってくれたし、体調も大丈夫そうだったので強行しました。
自宅から2時間くらいの距離でした。

予約をしていたので、それほど待つことなく先生の診察へ。
これからの治療についてお話を伺うつもりでした。
まず先に傷口のチェックをしていただきました。
大きな絆創膏のようなものをはずして先生が「奥さんちょっと見てくれますか」と
おっしゃるので傷口を見ると膿んでいました。
前の病院でも絆創膏にしみているのは確認していて、看護師さんに聞いたところ
消毒のイソジン等の色と少し浸出液があってそのせいでしみていると。
あまりガーゼの交換をするとそのせいで感染症になっても困るので
頻繁にはガーゼ交換していないんですというお返事だったので大丈夫な範囲なんだと思っていました。
でもそれが膿んでいたということだったんです。

こんな状態ではとてもじゃないけど腫瘍に対しての治療は出来ない。
とにかく膿みの治療をしないといけないという事になりました。

膿みの状態を1度見ただけだからなんともいえないので、15日にもう一度診察する。
それまで抗生剤を服用してこれで落ち着けば手術はなし。
抗生剤で対応できなければ膿みを取り除く手術をしなくてはいけません。

今後の治療をどうするか決めようと思っていたのに、思いもよらない手術の話し。
どうして前に進めないんでしょう…
手術をしてもうすぐ2ヶ月。それに膿みの手術をすれば更に1.2ヶ月は時間が
かかります。
その間腫瘍は無治療状態。いつ増大してもおかしくない。
もうすでに大きくなりつつあるのかもしれない。
でもどうする事も出来なくて、今できる事は膿みの治療をする事。

しょうがない。今できる事をするしか。
同じ時間を過ごすなら思い悩んでもしょうがない。
何とかなると思い、過ごさないと私自身もしんどくなる。
こう自分自身に言い聞かせてます。
がんばる事で今の自分を維持している感じなので、ダンナ・家族・自分のために
しっかりやっていきたいと思います。

ダンナの最近の様子は…新しい記憶がほとんど残りません。
昔の事は覚えていても昨日の夕飯は思い出せません。
先生の説明も一緒に聞いていましたが、今どれだけ記憶に残っているか…
私が話せばそうやったなぁという感じで思うみたいですが、また手術という話しを
理解(記憶)しているかどうか話すのがなんだか辛いので確認してません。

動作が鈍い事。
筋力がないせいもありますが、瞬時に脳からの指令がされていない様に思います。
会話でもYes、Noの返事は比較的よくても、なぜと理由を聞かれたりすると
かなり時間がかかって返事をしてくれるか、考えたまま時間が経ってそのまま
スルーという事もよくあります。

お風呂も今までは子供達とみんな一緒に入っていましたが、傷口の事もあり
バシャバシャする子供達とは怖くて入れず、ダンナ一人で私が軽い介助をして
入ります。
片足で立つことがかなり危険なので支えになっています。
なるべく手を貸さず、ダンナもされるよりも自分でやると言ってくれるので
大変そうですが、洗ったり着替えたりを頑張ってやっています。

食事は明らかに今までとは違いますが、自分で食べられています。
違う所は、お箸を持つのに力がうまく使えていないようで、ぎこちない感じで、
そのつかんだものを口に運ぶのもぎこちなく、スッと持っていくことが出来ません。
食欲は少しずつ戻りつつある感じです。
病院食よりは確実に量を食べていると思います。

病院では昼間でもよく寝ていたようなので、日中はなるべく起きていて、話しをして
子供達とも遊んで、自分でできる事は自分でやってもらう。
これで筋力や気持ちの面もいい方向へいくといいなと思っています