
ひまわり 2008年5月
12月6日。穏やかに晴れた青空の中を、ひまわりはたくさんの友人たちに見守られて、天に帰ってゆきました。16年前の10月10日 僕たちの結婚式の日、二次会の時に着たグレーのドレスを着て、前回のブログでお話しした友人から贈られた素敵なブーケを胸に抱いて...。
葬送式が始まる直前に、ふと思いついて、彼女のブーケから白い花を一輪だけもらって、僕もそっと自分の胸のポケットに挿しました。
ブートニア...
彼女が16年前と同じウエディングの装いで旅立つのなら、僕もそうするのが一番ぴったりだと感じたのです。
胸に挿したばかりの頃はつぼみだった白い花が、葬送式が終わる頃に見たら、すっかり咲いていました。
花びらは一枚ずつ、螺旋階段のように開いてゆくのですね。
もう一つ驚いたのは、ずっと僕たちを支えてくれている友人の一人で、いずみの同級生のママが、ひまわりの花束を持ってきてくれたのです。
この時期にひまわりがあるとは....。
感激しつつ、そのひまわりの花を、棺に納められた彼女の周りに入れてあげました。
彼女の顔が、ひまわりに照らされて、ぱっと明るくなりました。
出棺の時、参列してくださったみなさんに、僕は思わず『拍手で送り出してください!』と叫んでしまいました。
そして、みなさんがひまわりの出発を、空まで届くような拍手で送り出してくださいました。
本当に彼女にふさわしい旅立ちの瞬間だったと思います。
葬儀も無事に終わり、静けさが戻った我が家の部屋で、過ぎ去ったこの数日間を思い起こすと、今でもこの一連の出来事が夢だったような気がしてなりません。
しかし、部屋にたくさん飾られたお花と、額に入った彼女の写真と、彼女を納めた白い箱が、この一連の出来事が夢ではなかったことを、静かに語ります。
最期の頃病室でずっとかけていた友人のピアニストの小林真人君、そしてkelly Yostのピアノ曲を、今も途切れることなく小さく流しています。
11年という闘病生活は、長いようであっという間に過ぎていった時間でもありました。
1995年に僕たちは結婚し、翌1996年にいずみが生まれ、1999年には大地が生まれました。そして、ひまわりの病気がわかったのが2000年....。
その意味で、僕たち家族の歩みは、ほとんどそのまま脳腫瘍という病気との歩みと重なります。この病気も家族だったのではないかと...感じることさえあるのです。
なぜ?という想いも、なかったわけではありません。でも、病気であれ出来事であれ、それ自体は良くも悪くもないのだと思います。
むしろその一つ一つのことをどう意味づけるのか、そしてそこから何を選び取り、歩んでゆくのか...。
その選択の連続を人生と呼ぶのかもしれませんね。
ひまわりは、当時5歳くらいだったいずみに宛てて病院のベッドで書いた手紙の中で、
「さみしいことやつらいことがあっても いいことやたのしいことをかんがえるようにね」
「いつでもたのしいことをかんがえていくことがたいせつなんだよ」と書いていました。
僕もそう思うのです。
どんなことがあっても、いつも小さな喜びを見つけてゆこう。
その小さな喜びがたくさん集まれば、それは希望という花束になるのだと...。
ひまわりへ.....。
39年5ヶ月という人生を、あなたは風のように駆け抜けていってしまった。でも、一緒に歩いた16年という時間の中には、数え切れないほどたくさんの想い出がキラキラと輝いているね。その一瞬一瞬の中に、あなたは生きている。
あなたの勇気と笑顔が、どれほどたくさんの人に、生きる希望をもたらしたことか...。
あなたと過ごした一瞬一瞬は、僕たち家族にとって、かけがえのない宝物だよ。
決して平坦ではなかったけれど、素敵な人生だったと思うよ。
いつかまた会えることを楽しみにしている。
そう。いのちは決して終わることがないのだから...。
あなたが天に帰った翌日、ぼくは我が家の真上の空に虹を見つけた。それは、あなたが今も幸せであることを伝えるサインだね。
この人生であなたに出会えて、ぼくは、とても とても 幸せだった。
人生の旅立ちの時の姿も、16年前二人で歩き始めたあの日と同じように、美しかったよ。
心から、ありがとう。
またね。
人生でもっとも気高く美しい記念日に