SKY DREAM

日々のことを書いています

帰国の日に起こった地震

2011年04月29日 | 日記
3月10日にアメリカを出発して、シカゴ経由で日をまたいで成田に到着。
到着したのは3月11日のあの地震がある直前でした。

成田空港に飛行機が着陸しても空港建物のそばに移動しません。
どうしたのかな?混みあってる?くらいに思ってたのですが、
長い時間待たされて、機長の放送で地震を知りました。
しばらくすると建物内から人が続々と出てくるのが見えました。
余震も続き、大きな飛行機がゆっさゆっさと揺れます。

機内では家族や知人、会社に連絡を取るためにみんなが携帯を
片手にイライラしています。全然繋がらないのです。
私達はアメリカから帰ってきたばかりで、携帯電話も持ち合わせていません。
機内には公衆電話もありません。
実家で心配しているだろうから、とにかく無事ということだけでも伝えたくて
見ず知らずの人に携帯を借りました。快く貸してくれた人に感謝。

結局、建物内の安全確認が終わった夕方になって飛行機を降りれました。
空港内はガラスが割れて散乱していたり、水道管が破裂したのか
水漏れがひどくジャージャーと流れてたり、天井や壁にひび割れがあったり。

その日は空港機能が麻痺し、飛行機も飛べません。
みんなロビーで支給された寝袋や毛布に包まって一夜を過ごしました。
幸い、トイレも使えたし、食料や水も支給されました。

すぐ近くにいたフランスから来たという男の人が
iPadで子供にゲームをさせてくれました。
他にも外国人を何人か見かけましたが、海外に来て、
いきなりあんな大きな地震があり、空港で足止めを喰らい、
しかも毛布に包まって一夜を過ごすなんて、さぞ不安だったでしょう。
修学旅行なのか高校生の集団も見かけました。

夜も余震は続き、揺れるたびにドキドキしました。
大きな窓ガラスはゆさゆさと揺れるし、
天井から吊ってある蛍光灯はブラブラと揺れ、今にも
天井から外れて落ちてきそうな部分もありました。


朝になって、周りの人が寝袋をたたみ、移動する身支度を始めたので
名古屋までの飛行機が出るのかも、とカウンターの様子を見に行きました。
カウンター周辺はたくさんの人でごった返し、列を作っています。
しばらくして、名古屋行きは飛行機が出る事が分かり一安心。
列に並び、チケットを振り替えてもらい、午前中には成田を経つ事が出来ました。

名古屋まで来ると、あの騒ぎはなんだったのか、というくらい普通の状態。
もちろん、ニュースなどでは知られていたのでしょうが、空港ではみないつも通り。
名鉄電車に乗って、自宅の最寄り駅まで帰って来れました。

とにかく、空港で一泊しただけで帰って来れたので本当に良かったです。
新幹線も電車も動いていなかったので、飛行機が飛ばなければ
空港で何泊も過ごす事になっていたかも!?
帰ってきた日はホテル泊でしたが、ベッドで寝れる事が有難かったです。
無事に帰宅できた事に感謝。