気がつけば2010年春。
桜が空気を読み違えて寒気の中咲いている。いや、もしくは我が道を行っているというべきか。
1982年にアーサー・C・クラークはこの年に僕たち人類が木星の衛星エウロパに有人探査船を送り込み、氷の海を泳ぐクジラに出会うと予言した。
二十歳そこそこだった僕はエウロパのクジラが氷の海を蹴って海面に跳躍する様をありありと想像することができた。
でも僕らの知る実際の2010年の世界は木星探査どころではない。
目下、世界は不況にあえぎ、アフリカやアフガンでは出口の見えない紛争が続き、貧困にあえぐ国を自然災害が襲う。
僕らは思いつく限りの善意を掌に集めそれをどこに注げばいいのか考えあぐねている。
時に僕らは楽観的な未来を夢想する。
しかし現実はずっとシビアでシャープだ。
地球は少しづつ体温を上げながら僕らに何かしらの選択を迫っている。
100年後の子供達に僕らはどんな世界を残せるのか。
考えないといけない。
その頃の僕らの子供達はエウロパのクジラに出会えてるだろうか。
今ならどうみるか、クラーク先生。
桜が空気を読み違えて寒気の中咲いている。いや、もしくは我が道を行っているというべきか。
1982年にアーサー・C・クラークはこの年に僕たち人類が木星の衛星エウロパに有人探査船を送り込み、氷の海を泳ぐクジラに出会うと予言した。
二十歳そこそこだった僕はエウロパのクジラが氷の海を蹴って海面に跳躍する様をありありと想像することができた。
でも僕らの知る実際の2010年の世界は木星探査どころではない。
目下、世界は不況にあえぎ、アフリカやアフガンでは出口の見えない紛争が続き、貧困にあえぐ国を自然災害が襲う。
僕らは思いつく限りの善意を掌に集めそれをどこに注げばいいのか考えあぐねている。
時に僕らは楽観的な未来を夢想する。
しかし現実はずっとシビアでシャープだ。
地球は少しづつ体温を上げながら僕らに何かしらの選択を迫っている。
100年後の子供達に僕らはどんな世界を残せるのか。
考えないといけない。
その頃の僕らの子供達はエウロパのクジラに出会えてるだろうか。
今ならどうみるか、クラーク先生。