今年の正月まで時間を戻す。神速Jrが年末に足首の遊離軟骨(ネズミ)の
除去手術を受けたあと、初めて走った3日のこと。リハビリを兼ねて練習を
したいというので、近くの昭和の森の芝の上で久々のキャッチボールをした。
(僕は野球をしていたので、ラグビーのパスをするのはキャッチボールだと
思っています。心が通い合う特別なことなのです。)
その前に、一応ラグビーのできる格好で行こうということになったのだが、
実家である彼の部屋には、適当なラグビージャージがなかった。かといって
僕のジャージでは、彼には大きすぎるので困っていたところ、
「これでいいや。」と、Jrが袖を通したのは日本代表のレプリカジャージだった。
今のタイプでなく、伝統のヨコシマの桜のジャージ。そのジャージは、確か
2000年にオールブラックスが来日した時に、秩父の宮で買った思い出の
ジャージで、Jrがまだ小学5年生のころ。当時、大人のMサイズを買ったので
ダボダボだったのだが、なぜか家で一度着たきりその後一度も袖を通して
いなかった。スクールの練習に着ていけばと言っても、頑として受け付けなかった
代物。彼は当時子供なりに「ジャパンのジャージの重み」を理解していたようで
レプリカとはいえ、袖を通すことすらできなかったのだ。
ところが、そのジャージをお遊びの練習に着て行くというのだから、
こっちのほうが驚いて「いいのか?それ着ても?」と思わず聞いてしまったくらい
だった。それどころか、今ではまるでピチピチジャージなのにお構いなし。
結局、ジャパンのジャージは買ってから約7年後にラグビーに連れて行って
もらえたわけだ。本人にとっては、それは「夢の終わりの瞬間」だったように
思う。小学校の卒業文集に夢はラグビーの日本代表と書いた彼が、現実は
その夢に届かないと理解した瞬間であって、これでも一応親として、彼がたぶん
うやむやにして先送りしたかった現実をひょんなことから受け入れることになった
場面に立ち会うことになってしまい、なんだかばつの悪い出来事だった。
でも、それはつまり彼の夢が「子供のただの憧れ」から現実を見据えた上での
夢にシフトしたことでもあり、まさに成長の瞬間に立ち会えた貴重な経験だった。
彼の現在の夢は「花園に行くこと」。どうかその願いが叶いますように。
短冊に記しておきましょう。
除去手術を受けたあと、初めて走った3日のこと。リハビリを兼ねて練習を
したいというので、近くの昭和の森の芝の上で久々のキャッチボールをした。
(僕は野球をしていたので、ラグビーのパスをするのはキャッチボールだと
思っています。心が通い合う特別なことなのです。)
その前に、一応ラグビーのできる格好で行こうということになったのだが、
実家である彼の部屋には、適当なラグビージャージがなかった。かといって
僕のジャージでは、彼には大きすぎるので困っていたところ、
「これでいいや。」と、Jrが袖を通したのは日本代表のレプリカジャージだった。
今のタイプでなく、伝統のヨコシマの桜のジャージ。そのジャージは、確か
2000年にオールブラックスが来日した時に、秩父の宮で買った思い出の
ジャージで、Jrがまだ小学5年生のころ。当時、大人のMサイズを買ったので
ダボダボだったのだが、なぜか家で一度着たきりその後一度も袖を通して
いなかった。スクールの練習に着ていけばと言っても、頑として受け付けなかった
代物。彼は当時子供なりに「ジャパンのジャージの重み」を理解していたようで
レプリカとはいえ、袖を通すことすらできなかったのだ。
ところが、そのジャージをお遊びの練習に着て行くというのだから、
こっちのほうが驚いて「いいのか?それ着ても?」と思わず聞いてしまったくらい
だった。それどころか、今ではまるでピチピチジャージなのにお構いなし。
結局、ジャパンのジャージは買ってから約7年後にラグビーに連れて行って
もらえたわけだ。本人にとっては、それは「夢の終わりの瞬間」だったように
思う。小学校の卒業文集に夢はラグビーの日本代表と書いた彼が、現実は
その夢に届かないと理解した瞬間であって、これでも一応親として、彼がたぶん
うやむやにして先送りしたかった現実をひょんなことから受け入れることになった
場面に立ち会うことになってしまい、なんだかばつの悪い出来事だった。
でも、それはつまり彼の夢が「子供のただの憧れ」から現実を見据えた上での
夢にシフトしたことでもあり、まさに成長の瞬間に立ち会えた貴重な経験だった。
彼の現在の夢は「花園に行くこと」。どうかその願いが叶いますように。
短冊に記しておきましょう。