
原作の序章は主人公のひとり、如月行(きさらぎ こう)の氏素性の紹介から始まります。
一見して、原作では行が主人公で、相手役の仙石はドラマの語り部のように読めます。
映画では行は若手の勝地涼、仙石に先任伍長・仙石に「ラストサムライ」の真田広之が配役され、
仙石の「生きろっ」が予告でも、宣伝コピーとしても使われ、仙石が主人公であることは疑いの余地もありません。
情報機関の工作員である行は言ってみれば超人であり、
仙石は平凡な一自衛官。
その仙石がテロリスト相手に船の中で戦う「ダイハード」のような構造で
作品世界が語られています。
原作の序章で語られる行の少年時代は、母の自殺、父の殺害、警察に逮捕される経緯などが、
映画では中盤にフラッシュバックでイメージとして手短に登場しており、
原作で母に次いで行の精神成長に大きな影響を残している父に殺された祖父は登場しておらず、
出身町も明らかにはなっておらず、したがって実は宮津と護衛艦と岸辺で手を振った少年としての出会いも出てきません。
脇役になったしまった以上、ふるさとの海で、
護衛艦に少年が手を振る場面は切られても致し方ありませんが、
行という人物と海とのかかわりを端的に示すシーンだけに残念です。
原作の序章では次に宮津の氏素性が語られます。
父もまた海上自衛官の船乗りという生粋の軍人一家なのですが、
映画ではそれらのいきさつは飛ばされ、彼の息子の葬式の後、
対日工作員のホ・ヨンファ(中井貴一)がイージス艦副長・宮津二佐(寺尾聰)の
家を雨の晩にひとり訪れる場面が映画のトップシーンとして採用されています。
原作では艦長ですが、映画では副長になっており、「いそがぜ」のっとりの際は、
艦長が殺害されているという風に変更されています。
ドラマ上特に変更の必要は無いはずですが、防衛庁、自衛隊に撮影を協力してもらう上での配慮ではないでしょうか?
原作ではホ・ヨンファに息子が防衛大学時代にまとめた論文「亡国のイージス」を
突きつけられるのですが、映画はここで論文は登場せず、
息子の交通事故の場面がインサートされます。
その事故場面で防衛庁の渥美(佐藤浩市)が顔を見せています。
で、防衛庁内の渥美のオフィスに画面が変わって、
渥美が自分の机のパソコンの画面を見つめるところでイメージとして、
論文が登場します。
序章の三番手に出てくる仙石も氏素性から語られますが、映画では当然カット。
先任伍長として上陸した「いそがせ」の若手と地元の若者の喧嘩で警察にわびを入れる
ところが映画のセカンドシークエンスとして登場しています。
ここで仙石(真田広之)は行と出会っています。
如月行はイージスシステムの経験者として艦に新たに乗り込んだメンバーです。
映画では回想場面として仙石が妻に見送られて官舎を出て行く場面に
小学生の娘が出ています。
あとの「いそかぜ」艦内でのセリフによると、妻はその後亡くなり、
娘は祖父母の下に預けられ、仙石は仕事の合間にむすめの佳織(かおり)に電話する
場面が出てきます。
説明が無いので、トップシーンで妻子が出てくる場面が回想シーンであることは
見ていてとっさに判断しにくくはありますが。
原作では、娘は大学受験とともに上京するつもりで、
妻も仙石と別居して娘についていく気でいます。
「ダイハード」の主人公さながら家庭不和にあるようですが、
映画では孤独な父というだけの設定になっているようです。
原作の第一章は、訓練航海中の「いそかぜ」の様子から始まりますが、行、仙石、宮津がおなじ「いそかぜ」に乗り合わせていることが明らかになるところです。
映画ではイージスシステムのFTG(教育指導隊)の溝口二佐(中井貴一)が何やらオーバーな荷物とともに
桟橋から乗船、「いそがせ」が軍港を出港するところから始まっています。
ところで映画では「いそがせ」はイージス艦として最初から登場していますが、
原作では普通のミサイル艦がミニイージスシステムを導入した
改装イージス艦という設定になっています。
システムそのものはミニイージスもイージスも差は無いとなっていて、
戦闘場面などでも同じように演出されています。
映画では視覚的にもわかりよく、
イージス艦がテロリストに乗っ取られるということに変更されています。
原作では仙石はターター発射機のオーソリティーですが、
その設定は映画では外されていますね。
古い海の男気質の仙石が旧式の迎撃システムの専門家というのも、
なかなか意味深の設定です。
改装型のミニイージスなら新旧武装の混在という設定はありですが、
映画では最初から舞台が新鋭イージス艦なので、
この設定を生かすのは無理があります。
原作は冒頭のドラマは、…
以下はネタバレになるので、この続きはhttp://www.cam.hi-ho.ne.jp/la-mer/pro-aegis.htmlにて映画原作、映画脚本対比レビューの頁をご覧下さい。
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一見して、原作では行が主人公で、相手役の仙石はドラマの語り部のように読めます。
映画では行は若手の勝地涼、仙石に先任伍長・仙石に「ラストサムライ」の真田広之が配役され、
仙石の「生きろっ」が予告でも、宣伝コピーとしても使われ、仙石が主人公であることは疑いの余地もありません。
情報機関の工作員である行は言ってみれば超人であり、
仙石は平凡な一自衛官。
その仙石がテロリスト相手に船の中で戦う「ダイハード」のような構造で
作品世界が語られています。
原作の序章で語られる行の少年時代は、母の自殺、父の殺害、警察に逮捕される経緯などが、
映画では中盤にフラッシュバックでイメージとして手短に登場しており、
原作で母に次いで行の精神成長に大きな影響を残している父に殺された祖父は登場しておらず、
出身町も明らかにはなっておらず、したがって実は宮津と護衛艦と岸辺で手を振った少年としての出会いも出てきません。
脇役になったしまった以上、ふるさとの海で、
護衛艦に少年が手を振る場面は切られても致し方ありませんが、
行という人物と海とのかかわりを端的に示すシーンだけに残念です。
原作の序章では次に宮津の氏素性が語られます。
父もまた海上自衛官の船乗りという生粋の軍人一家なのですが、
映画ではそれらのいきさつは飛ばされ、彼の息子の葬式の後、
対日工作員のホ・ヨンファ(中井貴一)がイージス艦副長・宮津二佐(寺尾聰)の
家を雨の晩にひとり訪れる場面が映画のトップシーンとして採用されています。
原作では艦長ですが、映画では副長になっており、「いそがぜ」のっとりの際は、
艦長が殺害されているという風に変更されています。
ドラマ上特に変更の必要は無いはずですが、防衛庁、自衛隊に撮影を協力してもらう上での配慮ではないでしょうか?
原作ではホ・ヨンファに息子が防衛大学時代にまとめた論文「亡国のイージス」を
突きつけられるのですが、映画はここで論文は登場せず、
息子の交通事故の場面がインサートされます。
その事故場面で防衛庁の渥美(佐藤浩市)が顔を見せています。
で、防衛庁内の渥美のオフィスに画面が変わって、
渥美が自分の机のパソコンの画面を見つめるところでイメージとして、
論文が登場します。
序章の三番手に出てくる仙石も氏素性から語られますが、映画では当然カット。
先任伍長として上陸した「いそがせ」の若手と地元の若者の喧嘩で警察にわびを入れる
ところが映画のセカンドシークエンスとして登場しています。
ここで仙石(真田広之)は行と出会っています。
如月行はイージスシステムの経験者として艦に新たに乗り込んだメンバーです。
映画では回想場面として仙石が妻に見送られて官舎を出て行く場面に
小学生の娘が出ています。
あとの「いそかぜ」艦内でのセリフによると、妻はその後亡くなり、
娘は祖父母の下に預けられ、仙石は仕事の合間にむすめの佳織(かおり)に電話する
場面が出てきます。
説明が無いので、トップシーンで妻子が出てくる場面が回想シーンであることは
見ていてとっさに判断しにくくはありますが。
原作では、娘は大学受験とともに上京するつもりで、
妻も仙石と別居して娘についていく気でいます。
「ダイハード」の主人公さながら家庭不和にあるようですが、
映画では孤独な父というだけの設定になっているようです。
原作の第一章は、訓練航海中の「いそかぜ」の様子から始まりますが、行、仙石、宮津がおなじ「いそかぜ」に乗り合わせていることが明らかになるところです。
映画ではイージスシステムのFTG(教育指導隊)の溝口二佐(中井貴一)が何やらオーバーな荷物とともに
桟橋から乗船、「いそがせ」が軍港を出港するところから始まっています。
ところで映画では「いそがせ」はイージス艦として最初から登場していますが、
原作では普通のミサイル艦がミニイージスシステムを導入した
改装イージス艦という設定になっています。
システムそのものはミニイージスもイージスも差は無いとなっていて、
戦闘場面などでも同じように演出されています。
映画では視覚的にもわかりよく、
イージス艦がテロリストに乗っ取られるということに変更されています。
原作では仙石はターター発射機のオーソリティーですが、
その設定は映画では外されていますね。
古い海の男気質の仙石が旧式の迎撃システムの専門家というのも、
なかなか意味深の設定です。
改装型のミニイージスなら新旧武装の混在という設定はありですが、
映画では最初から舞台が新鋭イージス艦なので、
この設定を生かすのは無理があります。
原作は冒頭のドラマは、…
以下はネタバレになるので、この続きはhttp://www.cam.hi-ho.ne.jp/la-mer/pro-aegis.htmlにて映画原作、映画脚本対比レビューの頁をご覧下さい。
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原作を半年ほど前に読んでいたので映画も見たいなと思っていましたが,忙しくて映画の方はまだ見れていません.
原作の方は内容構成ともに何か惹かれるものがあり,特に如月行の内にある冷静さと熱さのギャップといったものが非常に伝わりやすく書いてあったのかなぁという気もします.
福井晴敏氏著の「終戦のローレライ」を映画化した「ローレライ」は原作と映画のギャップが激しく,映画では物語の柱である人間関係や,人間臭さといったものが再現されていなかったのが残念でした.
そんな経緯から映画「亡国のイージス」を見れていないので,このブログを見てローレライの失敗を繰り返しているのでは?という印象を受けました.
それから映画脚本対比レビューの続きを読ませていただきました.気になったところのみ指摘させていただきます.
>ワイヤーは熱したナイフのようなもので故意に傷つけられたようですが
上記とありましたが原作では,「ジョンヒがライフルの銃弾を命中させ切断した.その銃弾の擦過痕が熱したナイフの切断痕のように見えた」と記憶しています.
それとも順を追って説明しているからそのように表記しているのでしょうか?
と少し気になったので書かせていただきました.
問題があれば消去していただいて結構です.
全体としては映画と原作の雰囲気の差のようなものを感じることができました.
映画も一応見に行ってみようと思います.
ありがとうございました.
>>ワイヤーは熱したナイフのようなもので故意に傷つけられたようですが
>上記とありましたが原作では,「ジョンヒがライフルの銃弾を命中させ切断した.その銃弾の擦過痕が熱したナイフの切断痕のように見えた」と記憶しています.
>それとも順を追って説明しているからそのように表記しているのでしょうか?
その通りです!
マガジンには、”実はー”と種明かしがあるのですが、それをここで書くのは野暮というものですから。
でも他の部分で先行してネタ晴らししているものもあり、これはコンテンツの作成上の都合を優先してます。
「ローレライ」については小説版は原作ではありません。
製作裏話「ローレライ」に企画検討のいきさつも触れていますので、そちらをご覧ください。
そういえば何かで読んだ気もします.w
なんと言いますか福井晴敏の「終戦のローレライ」の良さは読んでいて容易にシーンの想像ができる.というところにあった気がします.
映画と小説にギャップを感じてしまうのも,福井晴敏さんが,米新聞で日本のトムクランシーと紹介されたほどの小説家ですから当然かもしれません.
(トムクランシーの小説も背景描写がうまい!)
ちなみに私はトムクランシーの作品が好きで,特に「ジャックライアンシリーズ」はほぼ全て読みました.(最新作:国際テロは未読…)
「レッドオクトーバーを追え」は潜水艦物の映画の中でも大作として未だに人気のようですね.
基本的に原作を読むと映画は面白くなくなってしまいがちですが,このサイトを見ると原作を読んでこその楽しみが増えそうです.
これからも頑張ってください.
これだけすばらしい俳優陣による迫真の演技と自衛隊の全面協力による空前のスケールがありながら、こんなにひどい映画になったのは、ひとえに脚本のひどさにあると思います。
まず、反乱した側の動機が中国工作員やそれに従った副長についても映画の上では、まったく不明です。
「命を大切に」というヒューマニズムにも一貫性も説得力もありません。「撃つ前に考えろ」と言われて考えたために撃たれてしまうシーンでは笑ってしまいました。
撃たれた人間がしつこく生き返るのは、ハリウッド映画や最近の中国映画の悪いところと同じです。
こんな映画は、米国や韓国に売り込んでもブーイングだと思います。ハリウッド映画や韓国映画に負けない日本映画を期待していたのに、本当にがっかりです。
私は、原作を読んでいませんが、延々と時間をかけて背景を描ける小説とせいぜい2時間で完結しなければならない映画とでは、同じものにならないのは当然です。それを踏まえて、脚本家は、まったく新しいストーリーを作るつもりで取り組む必要があります。こうした脚本を許したプロジューサーにも責任があります。こんな脚本を与えられて熱演した俳優陣が本当にかわいそうでした。
金と時間を返して欲しい気持ちで一杯です。
当ブログは独身社会人映画ファンメーリングリストの参加者募集、並びに参加者
やMLに関心のある方々のコミュニケーションを図る場です。
ブログの趣旨に関わりなく、とにかく、ひたすら作品の不備不満を世間に訴えた
いという事でしたなら、こんな小さな場所で叫ばずに、公式サイトやプロバイダ
等が開いている映画コンテンツの掲示板、2チャンネル等に書き込まれた方が、
ずっとたくさんの方に見てもらえますよ。