原作者スティーグ・ラーソンについては次のようなプロフィルがわかっています。
共産主義者の母親の影響で10代前半にしてトロツキストだったという
早熟なラーソンは、その頃から警察小説などを書き始め、
将来は小説家かジャーナリストになることを夢見ていたという。
20代のラーソンは、活動家として世界中を飛び回る。
77年にはエチオピアで独立を目指す女性兵士部隊のゲリラ活動を支援、
81年にはグレナダでマルクス主義の人民革命政府を支持、
リーダーのモーリス・ビショプと親交を深めるが、
モーリスは2年後に処刑されてしまう。
その直後の米軍によるグレナダ侵攻を目の当たりにしたラーソンは、
ついにスウェーデンに帰国し、その後20年間通信社に腰を落ち着けることになる。
しかし、本国スウェーデンにおいても暴力は眼前にあった。
86年2月オルフ・パルメ首相が映画館前で暗殺されるという事件が起きる。
ラーソンは初めてテレビ画面に登場し、ネオナチの活動を糾弾、
以来生涯に渡るナチズム、人種差別主義、全体主義との闘いが始まることになる。
その頃のスウェーデンは、ホワイトパワーミュージックシーンが隆盛を極め、
ヨーロッパ中にヘイトプロパガンダを撒き散らす本拠地として機能していたことも、
ラーソンらの活動を不可避なものにした。
95年、ネオナチの活動を研究する機関誌EXPOを仲間とともに発刊、
EXPO誌は今現在も紙媒体とWEBで活動を続け、
極右思想、人種差別主義と闘い、民主主義を擁護する専門誌として高い評価を受けている。
劇中の社会派雑誌ミレニアムは、このEXPO誌をモデルにしている。
"闘う"といってもラーソンの場合は、自らネオナチの集会に出向いて行き、
彼らと正面から"議論"を闘わせる。
そして、ネオナチの若者たちについて、彼らは単なる酔っ払いではない、
特別な出自などがあるわけでもなく、
誰もが彼らのように振舞う危険性を孕んでいると語り、
特定の個人を責めるのではなく、彼らの存在を世に知らしめることで、
社会に警笛を鳴らす。
ラーソンは、誰にも正面からフェアに接しようとするが、相手もそうだとは限らない。
EXPOやラーソン、彼らの支援者は、極右組織のターゲットにされ、
同僚の記者は8歳の息子と共に爆弾テロに合い重傷を負ってしまう。
ラーソン自身、いかにしてそうした攻撃から自分や家族の身を守りながら活動を続けるか、
そのノウハウを記したジャーナリストのサバイバル本も著している(日本では未訳)。
昼夜EXPOの編集部で仕事をし、
夜中には「ミレニアム」の執筆にその身を費やしていたラーソンの日々の睡眠時間は
2?3時間、食事もファーストフードばかりの粗末なもので、タバコを1日60本吸い、
コーヒーを大量に飲むという生活だったという。
以下はネタバレとなるので
http://www.cam.hi-ho.ne.jp/la-mer/#day
にて「ミレニアム2 火と戯れる女」の頁をご覧下さい。
mixi(ミクシー)「独身社会人映画ファンコミュニティ」に入ろう!
<form name="mag2-form" action="#">
</form>