物語の舞台は、多島海世界”アースシー“。
映画は荒れる海の中をローリングしてくる一隻の帆船の甲板上から始まります。
船長は
風の司に海を鎮めるよう命じるのですが、
司は、どうしても海と風の真の名を思い出すことができません。
そして、突如、暗雲の中から二匹の竜が現れます。
二匹は共食いをはじめます。
西の果てに棲む竜が、人間の世界である東海域に現れ、
さらに食い合うなどあってはならぬことでした。
世界の均衡が崩れつつあったのです。
多島海世界というのは、原作小説では“アーキペラゴ”というルビが振られていますね。
これまで映画化された大作ファンタジー小説は、
「指輪物語」「ナルニア国物語」にせよ、ひとつの大陸が唯一の舞台で、
主人公は徒歩で移動し、軍勢が動く時に騎馬が出てくるものでしたが、
この作品については島々が舞台で移動手段は船です。
魔法使い達が高い社会地位を持っているのは一緒ですが、
「ゲド戦記」にきわめて特徴的なのはこの魔法使いの魔法のありようです。
ゲドというのは、主人公の真実の名前です。
彼にはハイタカという呼び名があります。
ここでいう呼び名というのは、普段使われている名ですが、
あだ名やニックネームといった、軽い意味での通称ではなくて、
通常、本名として通用する名の事で、
ゲドという真実の名は、生涯においてそう幾たびも呼ばれる事の無い、
秘密の本名です。
ゲドは幼い頃、ダニーという幼名があり、
いずれ真実の名が名づけられる事となっており、
かれに大魔法使いの素質を見出した恩師オジオンより命名された名前です。
この小説世界では、
真実の名を知れば、その名を通じて相手を支配する事が出来ると設定されていて、
魔法使いとは、多くの真実の名を知る人、
魔術というのは真実の名で相手に語りかける事という風に定義付けられています。
ですから、映画の冒頭で風の司、と呼ばれる魔法使いが、
風の真実の名を忘れてしまったがために術を掛けられないという展開になっています。
「陰陽師」「帝都物語」等では同様の設定があり、
安部清明や怪人・加藤は己の真実の名を隠して、
如何にして相手の名を知るかで攻防戦を繰り広げています。
陰陽道の思想は東洋のものとばかり思っていたのですが、
それがアメリカ人作家の原作者によって長編小説の基本設定に採用されるとは
不思議です。
また竜の位置づけは重要ですね。
「指輪物語」「ナルニア国物語」に出てくる様々なモンスターたちとは、
決定的に違っています。
最初筆者はもっと大きな力とカリスマ性を持った
ナウシカのオームのごとき存在ではないかと考えたのですが、
映画のこのあと、竜同士の共食いが報告されたエンラッド国の王宮で、
国王(小林薫)が述べている通り、
かつて人と竜はひとつのものであり、
自由を求めた竜は、空と火を手にいれ、
所有を求めた人は海と大地を所有し、
それぞれの領域に立ち入らぬようになって行った、という伝承が信じられています。
竜は力と古代魔術の象徴として大いに人間に恐れられていますが、
もとは同一のものであり、古代の神聖語により人と対話が可能ということになっています。
国王と側近達は王宮で、世界の秩序に異変が生じつつあることを報告しあい、
国王は情報収集と原因究明を命じ、席を立ちます。
退席した女官達が国王を取り囲んで、
王子が、昨夜から姿が見えないと訴えます。
現れた王妃(夏川結衣)は、王を煩わせるのではない、と女官達を追い払ってしまいます。
王妃と女官達が去り、ひとりとなった国王は物陰に潜んでいた若者に短剣で刺されます。
その若者こそ、王子アレン(岡田准一)…
以下はネタバレになるので、この続きは
http://www.cam.hi-ho.ne.jp/la-mer/#k
にて原作映画比較レビューの頁をご覧下さい。
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映画は荒れる海の中をローリングしてくる一隻の帆船の甲板上から始まります。
船長は
風の司に海を鎮めるよう命じるのですが、
司は、どうしても海と風の真の名を思い出すことができません。
そして、突如、暗雲の中から二匹の竜が現れます。
二匹は共食いをはじめます。
西の果てに棲む竜が、人間の世界である東海域に現れ、
さらに食い合うなどあってはならぬことでした。
世界の均衡が崩れつつあったのです。
多島海世界というのは、原作小説では“アーキペラゴ”というルビが振られていますね。
これまで映画化された大作ファンタジー小説は、
「指輪物語」「ナルニア国物語」にせよ、ひとつの大陸が唯一の舞台で、
主人公は徒歩で移動し、軍勢が動く時に騎馬が出てくるものでしたが、
この作品については島々が舞台で移動手段は船です。
魔法使い達が高い社会地位を持っているのは一緒ですが、
「ゲド戦記」にきわめて特徴的なのはこの魔法使いの魔法のありようです。
ゲドというのは、主人公の真実の名前です。
彼にはハイタカという呼び名があります。
ここでいう呼び名というのは、普段使われている名ですが、
あだ名やニックネームといった、軽い意味での通称ではなくて、
通常、本名として通用する名の事で、
ゲドという真実の名は、生涯においてそう幾たびも呼ばれる事の無い、
秘密の本名です。
ゲドは幼い頃、ダニーという幼名があり、
いずれ真実の名が名づけられる事となっており、
かれに大魔法使いの素質を見出した恩師オジオンより命名された名前です。
この小説世界では、
真実の名を知れば、その名を通じて相手を支配する事が出来ると設定されていて、
魔法使いとは、多くの真実の名を知る人、
魔術というのは真実の名で相手に語りかける事という風に定義付けられています。
ですから、映画の冒頭で風の司、と呼ばれる魔法使いが、
風の真実の名を忘れてしまったがために術を掛けられないという展開になっています。
「陰陽師」「帝都物語」等では同様の設定があり、
安部清明や怪人・加藤は己の真実の名を隠して、
如何にして相手の名を知るかで攻防戦を繰り広げています。
陰陽道の思想は東洋のものとばかり思っていたのですが、
それがアメリカ人作家の原作者によって長編小説の基本設定に採用されるとは
不思議です。
また竜の位置づけは重要ですね。
「指輪物語」「ナルニア国物語」に出てくる様々なモンスターたちとは、
決定的に違っています。
最初筆者はもっと大きな力とカリスマ性を持った
ナウシカのオームのごとき存在ではないかと考えたのですが、
映画のこのあと、竜同士の共食いが報告されたエンラッド国の王宮で、
国王(小林薫)が述べている通り、
かつて人と竜はひとつのものであり、
自由を求めた竜は、空と火を手にいれ、
所有を求めた人は海と大地を所有し、
それぞれの領域に立ち入らぬようになって行った、という伝承が信じられています。
竜は力と古代魔術の象徴として大いに人間に恐れられていますが、
もとは同一のものであり、古代の神聖語により人と対話が可能ということになっています。
国王と側近達は王宮で、世界の秩序に異変が生じつつあることを報告しあい、
国王は情報収集と原因究明を命じ、席を立ちます。
退席した女官達が国王を取り囲んで、
王子が、昨夜から姿が見えないと訴えます。
現れた王妃(夏川結衣)は、王を煩わせるのではない、と女官達を追い払ってしまいます。
王妃と女官達が去り、ひとりとなった国王は物陰に潜んでいた若者に短剣で刺されます。
その若者こそ、王子アレン(岡田准一)…
以下はネタバレになるので、この続きは
http://www.cam.hi-ho.ne.jp/la-mer/#k
にて原作映画比較レビューの頁をご覧下さい。
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