Forth!

移転しました(2014/1/1)

ブラザーズ

2007-04-11 | ヒストリ:近代MTS
サイト更新ですー

◆『弾丸は降り注ぐ雨の如く』 更新
  広瀬武夫SSS「For Whom the Bell Tolls 5」
穴があったら入りたくなってきた!(爆笑)

これが終ったら薩摩の話行きます。薩摩。
書いて読み直したら笑えるくらいみんな別人でした!という薩摩の人々の話(笑)
しかもオチがない!!救いようねーなー(笑)

最近自分の中で野津兄弟の出現率が高まっております。何故か。
野津兄 → 鎮雄
野津弟 → 道貫
何となく地味なイメージなんですけど、幕末~明治に掛けての戦で要になる所に何時も一緒に登場するんですよね。

戊辰戦争では野津兄は小銃第五番隊長、野津弟は同じく六番隊長。
緒戦の鳥羽伏見の戦い、小枝橋でいっちばん最初の戦線を切ったのがこの兄弟です。
10年後、西南戦争の時は政府軍の指揮官、参謀として登場します。
最大にして最後の内乱、西南戦争。
この時政府軍は九州に第一旅団及び第二旅団を急派いたします。
その時の第一旅団の指揮官が野津兄。
第二旅団の指揮官は三好重臣で、その参謀が野津弟です。
因みに、日本の陸軍史で旅団が編制されたのは西南戦争が始めて。
軍の編制には平時編制と戦時編制があります。
当時戦時編制で旅団という単位の規定はあったようですが、実際に動いたのはこの戦争の時が初めてです。
しかもこの時は大阪や東京の連隊がごっちゃになった混成旅団です。
さらに当時はまだ軍の所管区が師団ではなく鎮台(笑)
混乱…というか、本当にまだ生まれたての"軍"ともいえない"軍"のようなイメージ(笑)
そんな軍を野津兄弟が率いて、熊本籠城軍の救援に向うわけですが。
兄は田原坂の戦い、弟は吉次峠の戦いの指揮を執り、多くの知己友人と対峙することになります。
見てて哀しくなる…


んですが。
この兄弟。見てると実は妄想が止まりません。
とりあえず野津弟が野津兄をどう呼んでいたのか。
「兄さぁ」だったのか「兄(あにょ)」だったのかとか。
分かってます。本気でどうでもいいことばかりです。
あとイエモンの「創生児」聞いていると何となくこの兄弟思い出します。

 ("性質の悪い僕の弟"が)
♪夢にいつも現れては僕の息の根を止めるよ
 げらげらあざ笑いながら OH OH


兄弟の歌ではなく、自分ともう一人の自分の歌なんですが、何となく…
な、何となく。

なぜ?


野津弟にはなんら悪いイメージは無いんですが。


>拍手いただきました方、ありがとうございますv


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