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移転しました(2014/1/1)

リブレット 桂太郎と森鴎外

2012-10-27 | ヒストリ:近代MTS

桂太郎と森鴎外―ドイツ留学生のその後の軌跡」という本を借りている。
これは「リブレット 人」という山川出版社から出ているシリーズなのだけれど、刊行が新しいだけあって新しい研究の成果が書かれているものも多く、読み応えがある。
薄くてコンパクトに纏まっていて、今まであれこれ引っかけて読んでいるのだけれどかなり面白い。
つまりお気に入りのシリーズ^^
この本を読みたかったのは森鴎外…ではなくて、桂太郎が目的でした。
森鴎外はぶっちゃけどっちでもええのよ。笑。
そういや東京の森鴎外記念館11月1日オープンだそうです。もうすぐね。
 
桂太郎は初夏にも新しく本が出ていました。まだ読んでない。
軍事情報(※メルマガ)でも桂太郎の連載がされていましたが、どちらも桂太郎を見直すとか、そういう感じの内容ですな。
山縣有朋といい桂太郎といい、ここ数年こうした感じの動きが増えてきているようです。何かあったの?
てか次は寺内正毅の番か。……さすがにそれは少し難しいか…(笑)

桂太郎と言われても多くの人の持つ印象は、やはりと言うか何と言うか『坂の上の雲』だと思うのですが。
どうだろう。
ニコポンとか二流内閣とか、その程度の印象しかないのではない?あーあと山縣有朋の腰巾着とか。
日露戦争後の後始末でこの人も随分苦労してますがな…
それなのにそんな風にしか知られてないのって気の毒やわー。
山縣と同じく幾らなんでも人物の評価低すぎだろうと思ってしまう。

知らなかったのですが、叔父に中谷正亮がいたのですね。驚いた。
中谷は吉田松陰の友人で、久坂玄瑞や高杉晋作を松下村塾に引っ張ってきた人。
調べてみたら吉田松陰の1歳下、そして中谷自身も松下村塾の塾生だった。
桂太郎は明治初期にドイツに留学し、帰国後木戸孝允の家に寄宿、その木戸の後押しで陸軍に奉職するんですけど、そこまでしてくれる関係って一体何なのかと少し思ってた。
 
身分的には桂は上士のボン。
年齢的にも木戸と桂では一回り以上の開きがあるので、どういう繋がりがあるのかと思っていたのだけれど、恐らく中谷のラインですな。
木戸と中谷、友人でしょ?
中谷は維新より随分前に亡くなっているので、友人の親族の面倒を見ているという感じだったのではないかと。
木戸は高杉晋作の遺児東一を預かってもしているし。
 
そう言えば少し前に『侯爵家のアルバム -孝允から幸一にいたる木戸家写真資料-』の図録を見る機会があったのだけど、木戸と東一が一緒に写っている写真があって驚きました。
あまり知られていないだけで色んな写真が残っているもんですね。
あれは本当に面白い図録だった。



山口県萩市の桂太郎旧宅。現在観光地。
上士なのにかなり辺鄙な所に屋敷がある。火事で家の場所が変わったとか何とかだったかな…

西南戦争後の明治11年、参謀局が参謀本部と名前を変え統帥部が独立することになりますが、それに桂が深く関与したということがよく知られていると思います。
それはそれで重要なのだけど、個人的には留学から帰って来た後、ドイツ式の軍政と経理を陸軍に導入した事の方が重要だったと思う。
桂はドイツ留学で主として軍政と軍制を学んでいた。
 
明治初期は藩ごとに軍隊を持っている状態で、新政府直属の軍というのは存在していませんでした。
各藩が軍を提供している、という形。
各藩イギリス式、フランス式、ドイツ式、オランダ式とバラバラの兵制を参考にしていてややこしい状態だったのですが、それが統一されたのが明治3年。
陸軍はフランス式を採用した(※当時は兵部省でまだ陸軍省は存在しない)。
旧幕府がフランス式を採用していた点が大きかったと思われます。


  
それが明治10年代にドイツ式に一気に転換したようなイメージがありますが、決してそうではなかった。
陸軍軍政軍制の確立に関わった桂自身、
 
日本兵制の本領は仏式でも無く独式でも無い
欧州兵制の模範である独式を採り、その短所を捨て長所を取り、日本独自の兵制を作らなければならない

 
こういうことを言っていて、つまり彼方此方の国の良い所を取って、日本独自の軍を作ろうとしていた。
これは桂だけの主張ではなく兵部省の時代からこうした流れがあったようです。

『坂の上の雲』では秋山好古が「騎兵はフランス式で」と唱え、それがドイツ式に移行しつつある中で疑問視されたけれども結局は採用された、といった旨の話がありました。
うーん、これなあ…ちょっと話盛り過ぎじゃないかなーという気がする。
まあ小説ですので、あまり真面目に受け取ってはいけない。
 
実は騎兵(馬政)に限らず、兵器関係の技術はイタリアだったりフランスだったりが採用されていて、工兵とか砲兵とかそういった分野もフランス式が採用されている。
ちなみに日露戦争で第4軍の参謀長になった上原勇作(工兵の父)はフランス式の工兵・砲兵を学んだ人でした。
陸軍の骨になる部分(軍政・軍制)はドイツ式だけれども、他国の優れた所も取り入れている、という形になってる。
「秋山兄が熱心に上申した」、そういう事もあって騎兵はフランス式になったということもあると思うのだけれど、秋山兄のアクションだけでフランス式になった訳ではないだろうとは思う。
 
陸軍がドイツに傾斜していくのはドイツを参考に軍政軍制が整えられてきてからだけれど、重傾斜したのがメッケルが来日してから(明治18年)。
本書にもメッケル採用が、「たとえば、師団編成、参謀本部制、教育制度、一般徴兵令において大局的にはドイツ式に傾く契機となったのは否めない」とあります。
まあ確かに教育と制度がドイツ式になると組織全体に及ぼす影響が強すぎて、イコールドイツ式、となるのは当然だなとは思うのだけど。
上記した事は随分昔にこちらで書いた事があるけれど、実は一般書ではほとんど触れられていない。
「陸軍=ドイツ式」の認識が一般的になり過ぎて、もはや論議すらされない…^^;
この本ではこう言う事がちょっと触れられていたので、それが嬉しかったです。

ちなみに桂太郎には桂次郎という弟がいまして、サッポロビールの前身であるビール会社を作っています。
サッポロビールにはエビスというビールがありますが、エビスは明治に販売されたビールの名前。
かなり人気のあったビールであったようで、工場があった所に出荷専用の駅が作られた。
それが東京の恵比寿駅。駅の名前の由来はビールのブランド名!

で、その桂次郎、経営が中々うまく行かなくて兄ちゃんの家屋敷を担保に三井から融資を受けていた。
しかし経営は上手くいかず、結局桂太郎の家は再三の督促の末取り上げられてます。oh…
当時名古屋師団長であった桂の許まで督促に行ったのは藤山コンツェルンの創始者、藤山雷太。
当時の桂の地位や立場を考えると中々すごい肝っ玉ですなー^^;
桂太郎も面白い話が結構あるんだけどなあ 。

ちなみに本は借り換えを続けて既に2ヶ月超家にある。
読み進めるのが本当に遅くて、同じ所を何回も読んでたり全然頭に入ってなかったりいい加減嫌になってきた。
鴎外の辺りは大体知っている話だったので殆ど読み飛ばし状態…
著者に鴎外の日記は鴎外を知るための重要史料だけれど、「自分に都合の悪い所は記述されていない面がある」とはっきり書かれていて笑った。
そんなもんだよ。笑。



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2 Comments

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Unknown (ジゴロウ)
2012-10-29 09:16:11
桂太郎といえば、戊辰の秋田戦争で、庄内の軍に追われた…という記述がありまして、

明治の有名どころは、探してみると、みな戊辰のどこかしらにいて、生き方が一変したり、そのままエキスパートになったりと、それが面白いですね。

若手の頃の元勲をみると、明治になっての成長に、びっくりすること、多々です。
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>ジゴロウさん (ヒジハラ)
2012-10-29 21:52:27
そうですね~明治を知ってから幕末に戻ると、こんな所に、と思う人が結構います。桂もそんな中のひとりでしょうね。

旧幕府の頃と明治とで比べると同一人物?と思うような人もいて、それだけでもどれ程時代の変転が激しかったかが分かるような気がします。
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