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移転しました(2014/1/1)

思わぬ所で

2012-08-03 | ヒストリ:近代MTS

軍艦長門の生涯」を読んでいる。
読んでるといってもお風呂の中で亀のごときスピードですけど。
その上多分最後までは読まないような感じですけど(お風呂で読んでるだけに…)。
 
いやね、長門の最後の艦長が杉野兵曹長の長男(杉野修一)なんですわ。
その関連で絶対広瀬武夫に関する記述があるだろうと思っていたので、あちこち単語拾う感じで一部は見ていたんですが(本当に”見てた”)(もちろん広瀬に関する記述はあります)、ちゃんと読んだ事はない。
  
本当に読み始めた所で、まだまだ最初の方なのですが長門って進水したのが大正8(1919)年だったんですね。
もう少し後の方かと思ってた…
そう言えば正木義太(よしもと)の伝記でもなんか出てたな。米騒動の時だからこの頃か、と思いながら。

当時は日露戦争の頃に第一線で活躍した人々が昇進して書類に責任者としてハンコ押すような立場になっている。
当時の海軍大臣は加藤友三郎、呉鎮の長官が加藤定吉。呉工廠長が小栗孝三郎。 


 
小栗は広瀬の同期で、このブログでも何度か名前を出した事があります。
何で有名かというと、潜水艦。
井出謙治と共に潜水艦の先覚者として知られている人物。
日露戦争前から研究を始め、日露戦争当時は大本営参謀に補されたものの潜水艦(当時は潜水艇)研究の為に参謀を辞めてしまったり…
色々紆余曲折はあるものの、最終的に潜水艇5隻をイギリスから購入している。
 
そういう事位しか知らなかったのですが、「軍艦長門の生涯」にこんな一文があった。

(※小栗は)英国風のおしゃれで、官舎の洗面所にローションやオー・ド・コロンといっしょに安全剃刀を七つおいていて、曜日によって剃刀を使い分けるという噂があった。

おしゃれだったんだー^^
こういう話を見ると急に親近感湧いてくる(笑)
いつも思うのですが阿川さん、この手の話をどこで仕入れてくるんだろう…
米内や山本、井上ならまだしも小栗って一般的にはかなりマイナーだと思うんだよね。
なにかタネになるような回顧録とか追悼録的な本があるのだろうと思うのだけれど。
有終とか水交とかかなあ。


広瀬関連の史跡ページを触っています。もうほとんど終わってるけど。
新しく作っているのでは無くて、今アップしているものをちょっと改訂しつつ…
広瀬関連の史跡はサイト開設初期にアップしたものが多く、当時は容量の制限付きだったので画像は小さいわ、文字詰まって見にくいわ…
気が付いた時に色々触ったりもしていたのですが、自分で見返してつらくなるページが…^^;
それに自分のPCの解像度が1024×768、それにieでしか見ていなかったので、なんというか。
ノートパソコンやfirefoxで御覧頂いている方にはかなり見苦しいサイトではないかと思いますorz
写真を2つ横並びにしていたのにffで見ると2行になってるとか。
テーブルタグを多用しているのでほかのブラウザではどう見えてるんだと。
とりあえずその事に気がついてからは2枚の写真を出す時は1枚の写真として出すことに、テーブルの幅は%での表示にするようにしたので、ちょっとはましかと思うんだけどどうなんだろう。
でもうちのサイト、ページ数がそこそこ多くて全部直すという作業は流石に無理です。ごめんなさい。
今回のように改訂するから、とか、何かのついでがある時とかでないととても^^;
 
自分のサイトが横長高解像度のノーパソでどんな感じか、最近は時々見てみるのですが、うーん、辛いな!
横幅がね…ほんと横幅が…
私のパソコンが1024×768なので、大変バランスの悪い不格好なサイトになっていると思います。
1366 x 768、1280 x 800で見に来て下さる方が多いようなのですが、このサイズ今の私のPCでは設定もできないし。
というかこんな高解像度、私には無理だ。視力が死ぬww
見やすいサイト、というのを目指してるつもりだけど難しい。 



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