Shpfiveのgooブログ

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Yahoo!知恵袋で見かけたトンデモ議論番外編「昭和天皇のいわゆる戦争責任論」についての知恵袋での珍論 その1

2018-08-06 08:00:40 | 政治・社会問題
別の用事で知恵袋を覗いたのですが、このような質問を見かけました。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13194138118


今さら知恵袋に回答する気にもなれませんが、黙っている気にもなれないので、ここに回答者たちに対する批判を書いておこうと思います。

が、その前に

昭和天皇の、いわゆる「戦争責任」についての議論そのものはあっていいと思っていますし、実際に論壇あたりでは歴史学者などによるハイレベルな議論がなされてもいます。

が、これが知恵袋あたりだと

例えば近衛上奏文や、昭和天皇の特攻隊についての「よくやった発言」などの

どう考えても過去の議論で決着済みのもの、いや

ハッキリ言ってしまうと、それこそトンデモレベルの主張が幅を効かせているのが現実のようです。
(しかも、そのようなトンデモがBAに選ばれたりもする…)

繰り返しますが、昭和天皇のいわゆる「戦争責任」についての真面目な議論はあっていいと思いますが

明らかに「おかしな主張」をしている側が、反対意見の相手を「嘘つき呼ばわり」するような「議論」であるなら、やはり誰かが、その「おかしさ」を指摘しておく必要があると思いました。

その上で、閲覧者の皆様のご判断をいただければと思います。

以下、なるべく客観的に書くつもりですが、筆の滑りはご容赦ください。

まずunk********さんの回答より

>「帝国憲法の中に「天皇は政治の結果責任は及ばない」と規定されていますよ(第三条)これは【天皇無答責】として憲法学者は説明しています。」

そんなことはない。ただの学説のひとつ。尾藤正英は「日本史上における近代天皇制」の中で天皇を含めた無答責の命令権者などありえないとしている。また3条は何も天皇の無答責を規定したのではなく天皇制という日本の国体の絶対性を規定したもので無答責を規定したものではないというのも学説のひとつとしてあるのだよ。そもそも憲法に権力者の免責が規定されているから実際に免責できるなら世界中の独裁者は憲法に同じこと書くよ。それで彼らはどんなことやっても免責できるとでも言うのかい? こんな幼稚なことを言うから笑止千万なんだよ。

「天皇が戦争拒否したら殺された」というのは天皇自身が「天皇独白録」の中でマッカーサーとの会談で言っていることを知らないのかね?


そもそも天皇の戦争責任否定派はいつも御前会議や重臣会議で天皇は何の発言もしていない、だから責任がなくそんな責任は立憲君主制ではないと説く。しかし同じ立憲君主制のプロシア王国のヴィルヘルム2世が第一次大戦で連合国から訴追されたことは知らない。憲法で大権をもつ主権者なのはプロシア国王も天皇も同じなのだ。なぜプロシア国王には責任があり天皇にはないのか? なぜ天皇が憲法上の大権に基づいて決めることが「そんな事をしたらそれこそ独裁制」なのか? 立憲君主制と絶対君主制の区別もできてないではないか?

そして法治国家というのは法的根拠があってはじめて効果があるという基本的なことがわかっていない。だから憲法上何の根拠も権限もないそんな会議での参加者が責任があると説く。天皇の勅令には国務大臣の輔弼と副署が必要だ、それがなければ有効な勅令でも法律でもない、だからそれらに責任があり、天皇にはないと説く。そもそ天皇はそれらをクビにできるが彼らは天皇をクビにできないという一方的な主従関係にあり、天皇の勅令には天皇の署名である親署と御璽がでかでかと天皇が押して、副署はその下に小さく書いてある。そのちいさな副署をした者に全責任があり、でかでかと勅令に親署と御璽を押した天皇に何の責任もないというのは法治国家の否定であるというのは子供でもわかる。いいかげん自分の詭弁に気づくべきだね。


→まず

>そんなことはない。ただの学説のひとつ。尾藤正英は「日本史上における近代天皇制」の中で天皇を含めた無答責の命令権者などありえないとしている。また3条は何も天皇の無答責を規定したのではなく天皇制という日本の国体の絶対性を規定したもので無答責を規定したものではないというのも学説のひとつとしてあるのだよ。そもそも憲法に権力者の免責が規定されているから実際に免責できるなら世界中の独裁者は憲法に同じこと書くよ。それで彼らはどんなことやっても免責できるとでも言うのかい?

→についてですが

そもそも論として帝国憲法第3条の立法意思は「天皇の無答責」を定めたものであり、これは伊藤博文による「帝国憲法義解」にも書かれていることです。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1441516/1

(参考のための現代語訳)

第三条 天皇は神聖にして侵すべからず(天皇は神聖であり、侵してはならない)

謹んで思うには、天地が別れて神聖位を正す[古事記]。蓋し、天皇は天が許された神慮のままの至聖であり、臣民や群類の上に存在され、仰ぎ尊ぶべきであり、干犯(干渉し権利を侵すこと)すべきではない。故に、君主は言うまでも無く法律を敬重しなければ成らないが、法律は君主を責問する力は持っていない。しかも、不敬をもってその身体を干涜(干渉し冒涜すること)のみならず、指差して非難したり議論したりする対象外とする。


第五条 天皇は帝国議会の協賛を以て立法権を行う(天皇は帝国議会の協賛により立法権を行使する)

謹んで思うには、立法は天皇の大権に属しており、そして、これを行使する時は必ず議会の協賛の上で行使する。天皇は、内閣に起草させ、或いは議会の提案により、両院の同意を経た後に、これを裁可して始めて法律を作る事が出来る。故に至尊は独り行政の中枢であるばかりでなく、また立法の淵源でもある。

附記:これを欧州の状況を参考すると、百年以来、偏理の論(偏った理論)が時の移り変わりと投合して、立法の事を主として議会の権利に所属させ、或いは法律を以て上下の約束として君民共同の事柄とすることを重点にするのは、要するに主権統一の大義を誤るもので有ることを免れない。我が建国の体にあって国権の出所は、一があって二が無いのは、たとえば、主の一つの意思は、よく百骸(体全体)をしし指使(指揮して人を使うこと)するようなもので有る。議会の設置は、元首を助けて、その機能を完全にし、国家の意思を精錬強建(よく鍛え、強くすること)にしようとする効用を認めるのにほかならない。立法の大権は、もとより天皇の統合掌握されるところであり、議会は協翼参賛(共同し力をあわせて賛同すること)の任にある。本末の関係は厳然として、乱れるようなことをしては成らない。


→また、「神聖不可侵」の規定について、戦前昭和を代表する憲法学者である美濃部達吉は、このように解説しています。

美濃部達吉『逐條憲法精義』(pp115~116)より
(一部現代風に表記されています、なお原典はこちら)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1280004

参考URLより
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1329166963?__ysp=576O5r%2BD6YOo6YGU5ZCJ44CO6YCQ5qKd5oay5rOV57K%2B576p44CPIOWkqeeah%2BeEoeetlOiyrCDnn6XmgbXooos%3D

憲法以前においては責任政治の原則が未だ認められず、
天皇の御一身のみならず、天皇の詔勅をも
神聖侵すべからざるものとなし、
詔勅を非議論難ずる行為は総て天皇に対する
不敬の行為であるとせられていた。

憲法はこれに反して
大臣責任の制度を定め、
総て国務に関する詔勅については
国務大臣がその責に任ずるものとした為に
詔勅を非難することは即ち
国務大臣の責任を論議するゆえんであって
わずかも天皇に対する不敬を意味しないものとなった。

それが立憲政治の責任政治たるゆえんであって
此の意味において、天皇の詔勅は
決して神聖不可侵の性質を有するものではない。

『天皇は神聖にして侵すべからず』という規定は
専ら天皇の御一身のみ関する規定であって
詔勅に関する規定ではない。

天皇の大権の行使に付き、詔勅に付き
批評し論議することは
立憲政治においては国民の当然の自由に属するものである。

要は

「神聖不可侵」と
大臣責任制とがあいまって
国民は大権の行使や詔勅について自由に議論できる

というのが美濃部による解釈だったわけです。

→で、重要なことは戦前昭和において、この「天皇無答責」は帝国憲法起草者の立法意思であり、憲法学上の通説であったということです。

尾藤正英氏などによる否定論(?)は先の大戦による敗戦後に出てきたものであり、いわば後知恵解釈でしかありません。
(ちなみに尾藤正英氏は歴史学者であり、憲法学は専門外)

少なくとも、帝国憲法第3条による「天皇無答責」が

>そんなことはない。ただの学説のひとつ。

→などと簡単に言えるようなものではないということは、客観的に見ていただける閲覧者の皆様には伝わったことと思います。

少なくとも帝国憲法起草者による立法意思であり、同時代における憲法学上の通説だったのは確かですから。

>そもそも憲法に権力者の免責が規定されているから実際に免責できるなら世界中の独裁者は憲法に同じこと書くよ。

→いや、同時代の立憲君主国の憲法は多くの場合、そうなっていたんですけどね。

例えばオランダ王国憲法(1815年)第55条、デンマーク王国憲法(1958年第13条)、ベルギー王国憲法(1831年)第63条など

だから、これを否定しようとする歴史学者(例えば山田朗氏など)は、

>大日本帝国憲法における天皇の地位は、西欧・北欧と同様の立憲君主というよりも絶対君主に近いものであり

(『大元帥 昭和天皇』P318~319)

という方向性で話を進めようとするわけです。
(その是非については、ここではコメントしません)

立憲君主国において、君主の「無答責」という規定が設けられるのは

君主は政策の裁可に際しては、基本的には政府の決定に従い、政策の決定権は持たないというのが前提になっています。

故に政策の結果責任も持つことはできませんから「無答責」となるわけです。

なお、念のためですけど、これはあくまでも決定権についての話であって、君主が政策に口を出す権利まで否定されているわけではありません。

実際にベルギー国王などは今でも政策に口を出しているのは有名な話です。

だから

>そもそも憲法に権力者の免責が規定されているから実際に免責できるなら世界中の独裁者は憲法に同じこと書くよ。

→などというのは憲法について何にも知らない人の戯言と評するしかないでしょう。


まあ、「天皇無答責」についての話はこれくらいにしておきます。


>「天皇が戦争拒否したら殺された」というのは天皇自身が「天皇独白録」の中でマッカーサーとの会談で言っていることを知らないのかね?

→思わず、私は手元の『昭和天皇独白録』を読み返してしまいました。

『昭和天皇独白録』を読んだことがある方なら、すぐにお気づきのことと思いますけど、『昭和天皇独白録』における「昭和天皇からの聞き書き」は終戦までで終わっており、マッカーサーとの会見など出てきません(笑)。

確かに結論の部分に

>開戦当時に於る日本の将来の見通しは、斯くの如き有様であつたのだから、私が若し開戦の決定に対して「ベトー」したとしよう。国内は必ず大内乱となり、私の信頼する周囲の者は殺され、私の生命も保証出来ない。それは良いとしても結局狂暴な戦争が展開され、今次の戦争に数倍する悲惨時が行はれ、果ては終戦も出来ぬ始末となり、日本は亡びる事になつたであらうと思ふ。

→という昭和天皇のご発言はありますが、これはマッカーサーとの会見の時の発言ではありません(笑)。

なお、この時代は近くにロシア革命などがあったこともあり、それまで磐石の君主国と思われていたのが、革命による政変で君主が追放、場合によっては弑逆などということもあり得た時代だったというのは考慮する必要があると思います。

>しかし同じ立憲君主制のプロシア王国のヴィルヘルム2世が第一次大戦で連合国から訴追されたことは知らない。

→念のためですけど

ヴィルヘルム二世は「ドイツ皇帝」として、連合国から訴追されています(笑)。

ヴィルヘルム二世は確かにドイツ皇帝であると同時にプロイセン(プロシャというのは、あくまでも英語読み)国王でもありましたが、プロイセン国王としての彼はベルサイユ条約第227条による訴追は受けていません。

そもそも第227条による訴追は「ドイツ帝国の国家元首」に対するものです。

プロイセン国王は、バイエルン国王などと同じく国家元首ではありませんので。


>そして法治国家というのは法的根拠があってはじめて効果があるという基本的なことがわかっていない。

→はい、帝国憲法義解第5条の件ををきちんと読みましょう。

天皇は、内閣に起草させ、或いは議会の提案により、両院の同意を経た後に、これを裁可して始めて法律を作る事が出来る。

法的根拠、ありませんか?

ついでに言いますが、憲法というのは「慣習法的性格」を持ちます。

で、大日本帝国当時も、今の日本国もそうですけど、我が国は「法治国家」ではありません。

「法の支配」に基づく国家です。

基本に属することですが英米法的な「法の支配」と、大陸法的な「法治主義」は概念として別のものです。
(憲法について議論するなら、最低でもここは押さえておく必要があります)

大さっぱにいうと

法の支配は司法の判例(コモンローと呼ばれます)、慣習法、不文律の三つで国を運用する考え方

法治主義というのは成文法に基づく考え方であり、例えば法治主義に基づくなら第9条に基づき自衛隊は即刻廃止、戦前昭和であれば、御前会議による決定などもっての他となります。

帝国憲法は、確かにドイツ帝国憲法(プロイセン憲法じゃないよ)を参考に起草されましたが

その運用、というより実態については、むしろ英米法的な「法の支配」に近い考え方だった。

それだけの話です。

長文になりましたので、続きは後ほどあらためて書きます。

ここまでで皆様、いかがでしょうか?

追記

別の記事にしようとも思いましたけど

unk********さんは返信でこんなことを述べられていますね。

(2018/08/06 12:56)

>は? プロシア国王はプロシア王国の王で、ドイツ帝国の皇帝を兼ねていたけどドイツ皇帝とは違うんだよ、わかるかい? 大日本帝国憲法はプロシア憲法をベースにしてるから比較したんだよ。

(2018/08/08 06:51)

>俺はヴィルヘルム2世をプロシア国王として言ったんで、ヴィルヘルム2世はドイツ皇帝でないなんて言ってもいない。ドイツ帝国内にはそれぞれ各国に憲法があり、その一つのプロシア憲法に準じた大日本国帝国憲法の主権者としてこの2人を比べただけだ。だからドイツ皇帝として言うなら俺もドイツ皇帝ヴィルヘルム2世と言うさ。

→これも基本的な話に属することですけど

大日本帝国憲法が参考にしたのは、あくまでも「ドイツ帝国憲法」(通称ビスマルク憲法)であり、プロイセン王国憲法ではありません。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95">https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95

>制定までの経緯
1882年(明治15年)3月、独逸学協会名誉会員であり参議の伊藤博文らは「在廷臣僚」として、政府の命をうけてヨーロッパに渡り、ドイツ帝国系立憲主義、ビスマルク憲法の理論と実際について調査を始めた。伊藤は、ベルリン大学のルドルフ・フォン・グナイスト、ウィーン大学のロレンツ・フォン・シュタインの両学者から、「憲法はその国の歴史・伝統・文化に立脚したものでなければならないから、いやしくも一国の憲法を制定しようというからには、まず、その国の歴史を勉強せよ」という助言をうけた。その結果、ドイツ帝国(プロイセン)の憲法体制が最も日本に適すると信ずるに至った(ただし、伊藤はプロイセン式を過度に評価する井上毅をたしなめるなど、そのままの移入を考慮していたわけではない。また明治維新とドイツの独立戦争は性質も異なる)

→ただし帝国憲法の草案段階での「日本国国憲按」(明治13年元老院による成案提出)はプロイセン王国憲法、ベルギー憲法の影響を強く受けていたとされますが

それゆえに岩倉具視・伊藤博文らの反対に遭い、これは採用されていません。

また、大日本帝国憲法とドイツ帝国憲法を読み比べて見ればわかりますけど、かなりの相違点があります。
(例えばドイツ帝国憲法における帝国宰相は皇帝の補佐機関であり、大日本帝国憲法における天皇と分担して行政に当たるような内閣は存在しなかったなど)

もっともドイツ帝国憲法にはプロイセン王国憲法の影響は極めて強く出ていますので、その意味でなら大日本帝国憲法は「プロシア憲法に準じた大日本国帝国憲法」と言って言えないこともありませんけど…

少なくとも

ドイツ帝国内にはそれぞれ各国に憲法があり、その一つのプロシア憲法に準じた大日本国帝国憲法

とまで言うなら、それは間違いというべきでしょう。


追記2
本記事で引用したYahoo!知恵袋の当該質問はBAが決まらないまま消えてしまいました。

なので、他の件についての指摘が出来ずじまいでしたので、これについては別なところで取り上げようと思います。

なお、ネット上でベルサイユ条約第227条の日本誤訳を掲載しているURLを見つけましたので、ここに掲載させていただきます。
https://ameblo.jp/tokuichi39/entry-11977147293.html

>第227条
同盟及び連合国は国際道義に反し条約の神聖を涜したる重大の犯行につき前ドイツ皇帝「ホーヘンツォルレルン」家の維廉(ヴィルヘルム)2世を訴追す
右被告審理のため特別裁判所を設置し被告に対し弁護権に必要なる保障を与う
該裁判所は5名の裁判官をもってこれを構成しアメリカ合衆国、大ブリテン国、フランス国、イタリー国及び日本国各1名の裁判官を任命す
右裁判所は国際間の約諾に基づく厳正なる義務と国際道義の厳存とを立証せむがため国際政策の最高動機の命ずるところに従い判決すべし その至当と認むる刑罰を決定するは該裁判所の義務なりとす
同盟及び連合国は審理のため前皇帝の引渡しをオランダ国に要求すべし

>出典:JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03021294200、御署名原本・大正九年・条約第一号・同盟及聯合国ト独逸国トノ平和条約及附属議定書(国立公文書館)