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当たり前に働けると言う事 ④

2009-12-21 13:22:18 | 天音ちゃんから学ぶ事
当たり前に働けると言う事 ①  の続きです。


先日、来年参加予定のイベントの会議に出向いた先で、
作業所と呼ばれる、
知的ハンディの方が通う施設で製作しているバックを買いました。

とっ~っっってもよく出来ていました。

普通のトートバックなのですが、
ロックミシンもなく、それでも丁寧な仕上がりです。
ミシンはきっと、業務用なのでしょう。
厚手の生地を、しっかりきれいに縫い上げていました。

一人の人がこのバックを作ったのかはわかりません。
直線縫い担当、もち手担当と、細かくわけて製作しているのかもしれません。

たまたま、私の好きな生地で、
その生地が市販での流通価格を知っていましたから
Only Oneで販売するなら、もう500円乗せないと作れない・・・
そう思いました。
その500円をもらわないと、私たちは次の仕入れに行けません(苦笑)

作業所ですから、材料の仕入れは、
施設で、行政が絡んでいるのかもしれません。
大量仕入れをしているならば、
Only Oneの仕入れより、ずっと安く仕入れているのかもしれません。
だから、一人の人が作ったバックだとして、
仕入れ代をなしにしたら、この価格なら販売できるなと言う
ぎりぎりの最低価格のように感じました。

作業所って、お給料あるのかな?と思いました。
これらを一ヶ月に何個作って、いくらのお給料をもらっているのだろ?
施設ですから、きっと、普通に私たちが勤めるようには
お給料は出ないのだろうと想像しました。

訓練の中で得意な事が見つかれば
その得意な事が仕事になるならば、
その仕事のスペシャリストに違いないのであろうと
そのバックの出来の良さを見ながら想像しました。
直線縫いのスペシャリスト!
いいじゃん♪♪
「うちのお針子に欲しぃぞぉ~」とぼやいて
一緒に会議に出たツレを笑わせてしまいました。

道具の良さなのかもしれません。
お裁縫の出来の良し悪しには、
間違いなくミシンの性能はでますし。
にしても、すこぶる良いバックです。

こうした物を作れるスペシャリストを揃えた会社があればいいのに。
そんな事も考えました。
普通の製縫工場だってやってるでしょ。
ライン作業で、
バックのもち手の厚手縫い専門!
脇の直線縫い専門!
底縫い専門!
その専門は、みんなその部分のスペシャリスト!
どんだけ良い作品が作れる事か(笑)
流れ作業の大量生産の荒い仕事じゃなくて
手抜きも妥協もない、良い作品が出来上がる会社。
あったら、これもすごいなぁ~と。


ハンディのない子供が、自分で将来を夢見て勉強して行くように
ハンディある子供たちも、
ない子供たちより、サポートの手をたくさん借りてですが、
勉強したり、訓練したりしながら大人になって行きます。
未来は、良い未来も悪い未来もいろいろだけれど、
人が生まれたら死ぬように、
未来も誰にでも平等にある事なのだと思います。

子供が大人になる。
これも自然な事で、
大人になったら、生活のために働く。
これもまた自然な事。

ハンディがあり、働く事もままならず、
社会にサポートされ、制度を受け生活する人もいますが、
その人たちも、家庭の中だけでなく、社会に出て過ごす今の時代です。
それだけでも、良い時代になったのだと感じます。

それから、制度はいろいろと決まりががあり
その決まりの枠にはまらず
ハンディがあっても、サポートも制度も受けられない人もいます。

ハンディを、知的、肢体と大きく分けますが、
実際には、知的も肢体もと重複したハンディがある人もいます。
実際には、知的、肢体と大きく分けられない事もあるのです。


「健常者」と言う言葉があります。
辞書で引くと
心身に病気や障害のない者。障害者に対していう。
だそうです。

そうした意味を解って「健常者」と言う言葉を使って
健常者、障害者とわけてしまうと
小さな障害、ハンディのある人も
たくさんいる世の中なのだろうと思います。

大きなハンディを抱える人から見たら
そんなの気にしなくていいよと言われてしまう
小さなハンディであったとしても
ハンディを抱えるその人には、一緒に暮らす家族には、
大きいも、小さいもハンディに変わりはありません。

たくさんいるから、ハンディもいろいろなのです。

健常者もいろいろな人がいるように、抱えるハンディもいろいろ。
人はいろいろな人がいるのだと、私は思います。

生きていれば皆いろいろあるわけです。

人は、一人一人違います。
ハンディのある無し、関係なく
受け止め方、考え方、心の動きもいろいろで、
生活環境もいろいろです。
病になれば、病もいろいろです。

でも、平等に訪れる事もあるのだから、
その平等に訪れる事が
分け隔てない社会になればいいなぁと思い、
優しさのある人の繋がりを、私は夢見ます。

その一つが 当たり前に働けると言う事に
私は思いました。

おしまい♪

From ikusuke

当たり前に働けると言う事 ③

2009-12-21 13:20:54 | 天音ちゃんから学ぶ事
当たり前に働けると言う事 ① の続きです。


娘が特別支援学校に入学して驚いた事の一つに
小学部低学年から、
学校を卒業した時の行き先
作業所や、余暇の施設見学が始まると云う事がありました。

一年生から見たら、12年先の行き先です。
早!と思いましたが
新しい施設は出来ているものの、
定員数の関係や、その子のハンディに寄って行き先も決まってしまい、
また、学区ではありませんが地域もありますから
早め早めに探さなくてはなりません。

学校には、支援室があり、担当の先生が
学期に何通も、施設の情報や制度の情報のお便りをくれます。
保護者の勉強会も多く、
子供たちが授業を受けている間に
講演会やディスカッションに参加して行きます。

こうして、育つ子供の年齢にあわせて
親も教師も、皆で子供たちをアシストして社会に送り出す準備を
何年もかけて卒業の日をむかえるのです。

がんばって勉強して、訓練して向かえる晴れの日なのに
卒後の行き場が決まらず
家庭で待機になる場合もあるのだと聞きました。

そう言う話を聞くと、就職先の会社云々より
行政の施設の整備も問題なんだなと知ります。

その行政の施設も、受け入れてくれる会社と同じに
ゆとりや余裕がないと、増えて行かないのかもしれません。

なんでもそうなのでしょうが
余裕がなければゆとりは生まれず
ゆとりは、気持ちの優しさにもなりますから
優しさが生まれなければ、他人に手を差し伸べる事は難しいです。
大人になり、実際不景気を体験していると、
毎日の自分たちの生活にいっぱいいっぱいで、
それを守るだけで必死です。

それでも娘を授かった事で、
授からなければ、こんなに細かく知らなかっであろう
ハンディある家族と暮らす事。
取り巻く社会を考えるようになりました。

参加しないんですけどねぇ
今回娘の持ち帰ったお便りの
~当たり前に働ける社会を目指して~と言う言葉で
今日も、娘の将来を少し考えました。

もうちょい続く→

From ikusuke

当たり前に働けると言う事 ②

2009-12-21 13:17:45 | 天音ちゃんから学ぶ事
当たり前に働けると言う事 ① の続きです。


知的ハンディの学校と肢体ハンディの学校は
授業プログラムが違います。

肢体の学校では、自立活動という、リハビリ訓練のような時間がありますが、
知的の学校ではありません。
知的の学校では、普通の授業のほかに、
就労を目指した授業もあると聞きました。

ボディーは健康なのだけれど、ハンディのために
なかなか社会生活に馴染めない部分を
学校の授業の中から教えていってくれているようです。
大きな社会に馴染むためには、家庭だけでは教える事が難しい事も多いです。
なにより、訓練して覚えてしまえば
社会で働く事も出来る子供たちは、いるのです。

肢体の学校に通う子供の中でも、
車椅子を自走して、通学する子供もいます。
皆、学校と云う場所で社会に出る前の訓練をしています。

就労先があると言う事は
そうして何年も訓練している子供たちにとっても励みになる事です。

でも、なかなか会社にお勤めする事は難しいようです。
働かせてくれる会社が少ないからだそうです。

ハンディのない方と比べたら
ハンディってくらいですから
ハンディある方が働くのは
フットワーク的にもハンディが出る事でしょう。
初めての事に取り掛かるのが遅くなったり
解らず出来なかったりするでしょう。
利益を上げる会社という場所では
そうした動きは不適切と見られる事もあるに違いありません。

でも、先にお話した会社のように、
その不具合の部分を、上手く出来る人達が
「どうやったら?」と考えてくれるだけで
スムーズに働く事が出来るのだと私は思います。

その考える手間も時間も無いのだ。
そう会社は考えて、就職を断るのだと想像できます。
想像して、理屈も気持ちもわかるんだけど
それではいつまでも、ユニバーサルな社会なんて出来ない。
私はそう思うのです。

会社の経営が上手く行ってないのに、そんな余裕がないのは
私だってわかります。

でもさ、
不況だ不況だと云っても、ちゃんと潤っている会社はあるわけで・・・
そうした、余裕のある会社から
ちょっとずつ、受け入れてくれればと思うのです。

こんな事云うと
ハンディある子供を生んだのは自分なんだから
社会に頼らないで、人に頼らないで自分でなんとかすればと
云われていまうかもしれません。

確かに、ハンディある子供に生んだのは私です。
育てているのも私たちです。
子供が生まれてきて幸せだと感じ、日々楽しく過ごせるよう
環境を整備し、教育するのは親の一生の務めだと思っています。

でもそれは、ハンディのない子供を育てる親の気持ちだって
変わらないと思うのです。

ハンディがあってもなくても、大切な子供に変わりはありません。

子供を社会に巣立たせる事。
親になったら、それが親の役割だと私は思うのです。

その一つに、就職する場所があればいいなと思うのは
この不況の中、就職先が見つかればいいなと思う
子供を心配する親の気持ちと変わりはないと思うのです。


まだ続く~→

From ikusuke

当たり前に働けると言う事 ① 

2009-12-21 13:16:48 | 天音ちゃんから学ぶ事
娘の鞄の中に、学校からのお知らせで
第7回障害種別合同学習会
当たり前に働ける社会を目指して
-障害者が働いている事は特別なことではない-
のチラシと参加申し込み書が入っていた。

参加はしないのだが、チラシを見て
-障害者が働いている事は特別なことではない-
と言う言葉が目を引いた。

そっか、こうやって皆で勉強しながら
少しずつ、働ける世界を広げていってんだ~と思った。


ちょうど旦那さんが、こんな話をしてくれた。
彼はIT関係の会社に勤めているのだが、
社内報で、いろいろな企業の話が回ってくるのだそうだ。
今月届いた話に、以前住んでいた場所のわりと近くの
中小企業の話があったそうだ。

以前住んでいたのは、東京都の大田区。
江東区などとはまた違う、
東京の小さな工場の多い下町です。

そこの、チョークを作っている工場のお話。

チョークって、黒板に書く白墨です。
その工場では、粉の出ないチョークを作っていて、
日本の60パーセントだったかしら?
シェアしているとか。
でも普通の町工場。

従業員の多くに、
ハンディある方が勤めているそうです。

この不景気で、リストラやらなんやら
普通にお勤めするのも難しいご時世に
特別支援の高校卒業の子供たちを
きちんと正社員で雇用している会社なのだそうです。

そもそもは、普通に普通に町工場で
ハンディある方が勤めていた会社ではありません。

近くの養護学校の校長先生が
その会社になんどもお願いに行ったのだそうです。
それでも、ハンディある子を働かせた事など無い会社。
ずっと断り続けていましたが、校長先生が
「一度だけでも、子供たちに働く事を体験させてやって下さい」と
そうお願いしたのだそうです。

一度だけ、体験学習のためにと、
当時の社長さんは受け入れてくれました。

研修が終わった時、当時の従業員の方から
「働かせてやらないか」との話が出たとか。
そうして、その会社は
ハンディある方を正社員として雇ってくれる会社にりました。

小さな工場で、
きっと社員も社長さんも皆で働いている工場だったのでしょう。
だから、社員さんの言葉が
雇用を考える、社長さんの耳に届いたのでしょう。

雇用する事で、デメリットももちろんあるのだそうです。
インタビューを受けた今の社長さんのお話では、
「一人の失敗をフォローするのに、
どうすれば、その失敗した人が失敗する事無く働けるかを
社員皆で考えてあげられるのは、とてもよい事になっている」との話。

旦那さんは、涙目で熱く語っていました。
「断られても、子供のためにと足を運んだ校長先生もすごいけど
会社のためかもしれないけど、
そうして、誰かのために考えてあげられる職場ってスゴクない?!」

すごいよ。
ほんと、すごいよ。

旦那さんは、その社内報を読んだ時に
その会社のある地域に住んでいたので、
名前こそ書いてありませんでしたが、
どこの学校の子供たちが就職しているのか解ったようです。
私と結婚する前は、その学校の近くに住んだ事もあるそうなので
生徒さんが駅から一人登校する姿も知っているとか。
私たちの娘さんは肢体ハンディの学校ですが、
そこは知的ハンディの学校ですから、
日常訓練のため、一人で登校する生徒さんもいます。
その学校でなくても、そこら辺の作業所などに通う人もいたのでしょう。
知っているだけに、熱が入るのか話しながら涙ぐむ旦那さん(笑)


また長いので続く→

From ikusuke