Only One

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私たちに出来る事

2011-03-20 21:16:27 | ikusuke日々の事
友人からメールが届いた。

友人の息子さんの主治医は、
福島の郡山で診療していて、
定期的に私たちの子どもらが通う都内の病院にいらっしゃっている。

その先生から、お返事が届いたと送ってくれた。



以下は、先生からのメールです。


励ましのメールありがとうございました。
おねがいがあります。

TV等でごらんの通り、
震災の被災地では徐々に復興に向けた支援の輪が広がりつつあるようです。

ただ、福島県だけは、
震災の被災+放射線被曝の恐怖のダブルパンチを受けています。
避難地域の住民は何度も避難地の変更を強いられ、
弱者である病院や老人は何人も亡くなっています。

現場ではTVでは伝わっていない想像を絶する悲惨な光景があります。

これは地震の被害ではありません。
首都圏の電力を補う原発の影響です。

郡山は避難地に最も近い中核都市であるため、
震災の被害をものともせず、
原発に立ち向かっている方々に負けないように、最前線で踏ん張っています。

各地からの物資は、
福島県は”汚染地域”なので届けたくない、運送に行きたくない、
手伝えない、という”風評”により滞っているようです。

ガソリンを巡っては尋常でない争奪戦が行われています。

看護師も患者も病院へ行けず、食料品も医薬品もあるけど配達できず。

多くの人達、医療スタッフも県外へ続々と流失しています。

残されたのはどこにも行けない職員や患者さんのみ、
そんな状況になるのでしょうか?

どうぞ、いらぬ”風評”をたてず、冷静な対応を切にお願いします。
できましたら、周囲の方々にもお伝えいただければ幸いです。


との事。


送ってくれた友人のメールには、

患者の親にまで、こうした内容を話すいうことは、
かなりせっぱつまった状況なのかと思った。
との事。


私も読んでそう感じました。
そして、被災地で流れているであろうメディアの情報を見て、聞いて、
先生は
被災地から遠くにいる私達に、
メディアの情報で伝わりきれていない事を
どうしても伝えたく思っているのだろうと思いました。


いつも、私たちの子どもを医療の場所から助けてくれる先生の言葉。
被災地に居て、見て、感じて、
そしてテレビのフィルターを通さず届いたリアルな言葉。

友人→私→ネットといくつも経由していますが、
このリアルな言葉を、
このブログを読んで下さる皆さんにも伝えたく載せます。


昨夜旦那さんと、
この現状で暴動を起こす事なく、
日々を過ごす日本人の心根の強さと優しさとモラルをメディアを通して感じ、
それらは、
日本政府の政治の良さと言うより、
各々の人間としての良さなのだろうと話したばかりでした。

ボランティアが根付かない日本と言われてはいますが、
被災地へボランティアに行こうと待機してくれている人々や、
すでに活動している方たちもいます。
ボランティアと言う活動も、
活動して下さる方々の心の現れで、
優しさと強さとモラルなのだと私は思います。

良い国に生まれたのだと、
自分を娘を、旦那さんを友人に家族を思いました。

その良い国が、また明るく発展する為にも、
今私たち個人が出来る事を考えて見ようと、
今私に出来る事を、
届いた言葉を読み考え思いました。


3日ほど前からテレビ番組も落ち着き、
買い物なども支障がなくなりだした都内に私は居ます。
情報が落ち着く事での、日常への回復なのだろうと私は思いました。

しかし、当たり前の事ですが、被災地はまだ被災地なのです。
メディアの情報が少なくなってきても、まだ事は動いています。

そして、またいつ、どこで災害が起きるかもわかりません。

私たち各々が今出来る事とはなんだろう?

まずは、
今自分には、すぐに命に関わるような事は何も起きてはいないけれど
自分たち家族の安全を考える事。
そして、
起きてしまっている場所にいる方たちに、どんな助けが出来るかを考えてる事。


対人関係の基本は、対する相手を考える事から始まると聞いた事があります。
人間社会と言うのは、対人関係から成り立っています。

きっと災害からの回復は、
この対人関係がより良く動く事が大きな力になるのだろうと、
私はそう思いました。


友人と先生との良い関係から、このメールが届いたのだと思いました。
そして、
友人と私の良い間柄から、私のところにも先生の言葉が届いたのだと思います。

そして私から、
いつもOnly one のブログを読んで下さる皆様に、
先生からの言葉をこうして届けます。


今私に出来る事です。


そして私は、届いた先生の言葉を読み、
これからも何が出来るか考えて見ようと思います。


先生、どうかご無事でいてください。
そして、先生が助けている人たちが、
被災地にいらっしゃる全ての皆さんが、
無事でいられるようにと、心から祈り思います。

from ikusuke

災害と子どもの心を考える

2011-03-15 19:31:42 | 天音ちゃんから学ぶ事
娘さんが、地震の後から食事を取らなくなりました。
発熱したのか? 風邪でも引いたのかと思っていました。
大好きなお米はおろか、プリンも口にしません。
スープをほんの少し。
飲むと吐き気がするようで、
おえおえ始まると、もう次は食べません。

熱もなく、咳もなく。

そばにいれば、ニコニコと普段とかわりません。

いつもと変わらず、家族で食事をしていると欲しがるサインを見せます。
だから口に運んであげるのですが、
口が大きく開きません。
少し食べては、おえおえします。

やれ困ったなと。
病院も休業になったりしていますし。

取り合えず、食べられるだけ食べればよしと
二時間おきくらいにスープをほんの少しだけ飲ませていました。

今日やっと、昼過ぎからプリンを半分食べてくれて、
じゃがいものクリームスープを200cc飲めて安心したところです。
飲めたら気分よくなったのか、少し昼寝してくれました。

私も安心して、
友人とも電話で話が出来るくらい落ち着いた時間が出来て、
それで今さら気が付きました。


娘さん、
「何か起きてておかしな感じ」と
体も心も反応していたのでしょうね。

地震の時、ちょうど自宅に帰り着き車から降りる時でした。
すごい揺れに、近所の人も外に出てきて、
「大丈夫ですか?」と、声をかけ合いました。

部屋に入ると、食器棚が開いてました。
壁の絵も落ちる寸前までズレていました。

揺れるたび、急いで抱きかかえて取り合えず1階まで下りる事数回。
2階のリビングで落ち着いてからは、
逃げる荷物をまとめたり(酸素とかオムツとか持ち物多いんで)、
連絡などでバタバタして少し娘さんほったらかしてました。

普段の私は、ほとんどテレビを見ません。
娘さんがいる時は、娘さんの大好きな番組を流しています。
それなのに、その日から今日まで、ずっとニュースをつけてました。

娘さんにしたらおかしな状況です。
いつもなら、パパが帰宅するまでテレビは娘さん専用。
パパが帰宅しても、
いつもみたいに皆で楽しく笑ってるテレビじゃありません。

今さら気が付いたのは、
他人に起こった事でも、たとえテレビで見ているだけでも、
自分の事のように感じてしまって、恐怖の体験となってしまったのか?なと。

それで体が食べるの拒否してたのかしら?と。

だってね、
朝から好きなテレビ番組見せてあげていたら、スープ飲んでくれたんですょ。

娘さんは肢体も不自由ですが、知的の発達もとても遅れています。
ただのグズリとかでなく、
いわゆる「こだわり」やハイテンションぎみの行動も見られます。

普通のお子さんにだって、とてもショッキングな出来事です。
日常の少しが変わってもパニックを起しやすいであろう、
知的に障害のある娘さんにとって、
この数日の私の生活は、とっても心に負担だったに違いないのです。

ごめんなさいねと娘さんに頭を下げたら、
いつものようにニコニコしながら、パンパンとリズミカル私の頭を叩きます。
ニコニコとほっぺにキスしたり噛み付きます。
何んにも変わらないこの時間こそ、
こんな時だからこそ、
親として守って上げねばならなかったんですね。

学校は計画停電に振り回されハッキリした予定が立たずお休み。
テレビ番組もいつもと違う。
街もワサワサなんだか違う。
家はぐらぐら揺れてて違う。
ママのメールは鳴りっぱなし。
電話も結構鳴りっぱなし。


どんな時でも、
安定した生活リズムで過ごせるように配慮する事。

知的障害があると教えられた時の主治医は、私の子育ての先生でした。
その主治医に教えてもらった、一番の毎日の基本を私は忘れていました。

こんな時だから忘れてもしょうがないのだと思いました。

でも、思い出したから、
街がワサワサしていても、
どんなに心配な事があっても、
娘さんの前では、
いつもと変わらないママでいられるようにと思いました。

From ikusuke