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娘さんの側湾症状をどうするべきなのか? ③

2011-08-30 03:59:41 | 側湾のお話
今日、どうするべきか心が決まりました。

天音の両親の私達は、
「オペをしないで、いままで通り過ごす事」を選択しました。



29日月曜日、
ずっと診てもらっている成育医療研究センターの麻酔科を受診してきました。

娘さんは、夜間在宅酸素治療をしているので、
月に1回は、在宅酸素治療をしてくれる麻酔科の受診が必要です。

成育医療研究センターは、元は国立子供病院ですから、
全ての科が小児科でもあります。
もちろん、子どもの頃から通院している成人の方もいます。

子供病院ですから、
小児○○科と言うカテゴリー分けされていません。
普通に整形外科とか眼科とかになります。
内科にあたる科は、総合診療部と言います。

総合診療部の先生でなくても、主治医の先生が風邪を診てくれたりもしますが、
インフルエンザなどの予防接種や乳児健康診断などは総診でします。

娘さんは、たくさんの科で診察をして貰っていますが、
まとめてくれるのは総診の先生です。

今回の側湾症の相談なども総診の先生が、
診療情報提供書を作って持たせてくれました。
一番娘に身近な先生です。

そして麻酔科の先生は、
生後五ヶ月の頃から診察をしてくれていますし、
オペの時はもちろん先生が麻酔をかけて付いてくれますから、
手術の話などは、一番に相談する先生です。

今回の進行性側弯症状の事は、
このお2人の先生のお力添えと、
もう外来には出ていませんが、
昭和大学病院で生まれ、
いったい何が起きているのか病院で判断が付かなかった時に出会った
娘の命の恩人の先生のお力添えで今日に至ります。


今日は、普段通りの診察をした後、
名古屋名城病院でのお話をして、
私達両親の「どうしたいか?」と言う気持ちを話し、聞いてもらいました。

私達は
「オペをせずに、今のままの生活で娘を育てたい」と伝えました。


名城病院のお話の中で、
「これからは呼吸器科の先生が必要になる」と教えて頂きましたので
その話をするとすぐに対応して下さって、
先に麻酔科の先生から呼吸器の先生にお話をして下さるとの事。
9月12日には呼吸器科の受診も出来そうです。


診察が終わって、診察に来ていた友人と耳鼻科の待合で話をしていましたら、
耳鼻科の主治医とも立ち話で少しだけ話す事が出来て、
簡単に事情を説明しましたら、
こぶしを握ってガッツポーズで、
「よし、頑張ろう」と励まされました。
喉頭軟化症は落ち着きましたが、睡眠時無呼吸症候群もあり、
また中耳炎にもなりやすいので、耳鼻科もよくお世話になります。
これからきっと、呼吸器科と耳鼻科の連携も必要となるでしょう。


友人も診察が終わりましたから、地下で軽い食事を取っていましたら、
総診の主治医に声をかけていただけました。
少し同席していただき、
麻酔科で話してきた事を伝え、
先生の質問にも答え、
カフェテリアで30分ほど問診をして下さいました。


どの先生もお忙しい時間でしたでしょうに、
娘のために話をする時間を私に下さいました。

本来なら予約を入れてお話に行かねばならなかったのに、
今日一日で主要の先生には伝える事が出来、
来月の新しい受診科の予約も入れられ、
流れが止まる事無く動き出しました。

こう言うのも、
娘の持って生まれたラッキーな強さだと感じます。

順番に予約を取っていては、軽く2週間は必要な診療科回りが
今日一日で済んだ事は、
「このまま過ごす」と決めてはみたけれど、
いつかの時のバックアップなどに不安があった私の気持ちの雲りを取り除きました。
良い流れで進みだしていると感じました。



帰り道友人と話しながら、
後悔は「後」になって出てくるから「後悔」なわけで、
後って言うのは、事が終わってみなきゃ解らないから、
今後悔しないと心に思っていても解んないよねぇ。
なんて話しました。

他の友人と電話で話した時は、
数%でも可能性があるならば、
トライした方が後悔しないかもしれない。
そんな話もしました。

お世話になっているデイケアのスタッフやヘルパーさんは泣きながら、
今の娘さんは、見る事試す事で心も身体も育っているから、
入院などでその環境をなくしてしまうのが勿体無いと思ったと話してくれました。

寿命と言うのは、なにか決まりがあって、
その人の持つ寿命の中であれば、なんど危ない目にあっても回復し
でも本当の寿命の最後であれば、その時は終わるのだろうと思うのと
お話してくださった方もいらっしゃいました。

何をやってもなるようにしかならい!
そうした意見も頂きました。

頂いた意見がありがたく、1つずつ考え、
私は、
「その日を大事に過ごす事に決めました」
来年の今日どうなってるかわかりませんが、
どうなっていてても良いんだと思いました。

娘と過ごす毎日が、
今と変わらず明るく楽しくが大切なんだと。
本当にその日が大切なんだと思えたのです。


思えたけど、心配がなくなったわけではありません。

たんに、腹が据わったから歩く道が決まっただけです。
腹が据わったと思っていますが、
心配や怖さが消えたわけではありません。

今一番は「怖い」です。
「怖い」って怖がってる自分に心が負けて弱ってるのだとは気が付きました。
怖いと言うのは、
原因がはっきりわかれば怖くなくなる場合もありますが、
今回の事柄は、色々解ってみて、でも「どうなるかわからない」怖さ。

どうなるかわからないなんて、
得体がよく解らんものを怖がっていても切りがないんだと思いました。

切が無い事に追われると日常に乱れが出てしまいます。
3月の震災の時に、それは学習しました。
だから、「いつどんな時も変わらぬ環境を作れる母親になる事」で
その怖さをいつか消せたらと思いました。


今日考えるのは、
今日を楽しくどうするか。
夜になったら明日はどう楽しむか?


いつか出来なくなる事を、出来るよう子育てする事を悩みました…
いつか出来なくなる事を出来るように教えて良いのか?
それは、いつかの悲しみやストレスを増やすだけではないのだろうか?

凄く悲しくて悩んだけれど、
出来る事で明日笑えたり誉める事が増えるなら、出来るようにしてあげたい。

出来なくなる日が来たら、
その時になにかフォローしてやれるだけの強さと賢さを私が見に付けておけばいい。
いままでだって、そう思って色々勉強もしてきています。
天音に我慢をさせる事は今はなく、
私が先に先にと想定しながら環境を作る努力を惜しまない事が
この先を楽しく出来ると考えました。

もちろん私一人では手が足りませんし、無理がたたりますので
ヘルパーさんや友人に支えられながらだと想像しています。


夜友人から届いたメールに、

今いくちゃんが死ぬまでに必ずしたいことは何?
いくちゃんの一番の幸せは何?
考え込まずに直感で。

と。


今の私が思う
私が死ぬまでに必ずしたいことは、
天音が幸せだと感じる、笑顔がもてる日々を一日でも多く一緒に過ごす事です。
一日でも多く一緒に凄し、満足した天音を看取ってから、
それから私は、自分の人生が終わるのがいいです。

今の私の一番の幸せは、
感情が豊かになり、微妙な感情表現も出せるようになった天音に
甘えられたり、恥らったり、パパと楽しそうに遊んだり食事するする姿を見ながら
可愛いなぁ~と思い、天音を抱きしめる時間です。


自分の気持ちに正直だと、
とにかく娘さんと笑顔でいたいのだとわかります。



いつか必ず辛い日は来ます。
天音より先に私かもしれないしパパかもしれません。
でもその日が来た時に、
いつもと変わらぬ笑顔でいられます様にと願います。


名城の先生は、
娘さんが亡くなった後の夫婦2人の事も考えるように教えてくれましたが、
確かに大切な事だと思うのだけれども、
今はなんでか、
夫婦の事は、その時考えればなんとかなるだろうと思いました。
それこそなるようにしかならないな・・・と(苦笑)


やれやれ、心と頭をハードに使った一週間で
いっきに10才くらい老けた気がしてなりません。
一瞬で白髪が生えてメッシュになったし・・・
蕁麻疹は出るし、嘔吐下痢めまい止まらないし・・・

今はまだ、私の体調が万全ではありませんから、
なるべく早く回復して、
早く、天音の好きな私にもどらないとなぁ・・・と。


いつも通りの生活をするだけなので、頑張る事はないのですけれど、
自分の建て直しは、頑張らないと無理なので
そこだけちょこっと頑張ってみようと思います。

ご心配くださり、優しいお心遣いをありがとうございます。
短い期間で出すファイナルアンサーでしたが、
なんとか出す事が出来ました。

皆さんの下さったご助言が、私の体に入り消化され、
「オペをしないで、いままで通り過ごす事」
との答えに辿り着きました。

まだまだ気も抜けませんし、心配もありますが、
これからも、親子共々ご支援よろしくお願いいたします。

From ikusuke

娘さんの側湾症状をどうするべきなのか? ②

2011-08-26 00:10:16 | 側湾のお話
娘さんの側湾症状をどうするべきなのか?①からの続きです。



結局、そこまでで5月になりました。


すぐ名古屋へ行きたかったのですが、
ちょうどパパの会社の移転の時期と重なり、
パパが仕事を休めない状態になる事がわかりのした。
6~7月は東京から離れられなくなったので、
夏休みの8月22日に予約を入れました。


名古屋名城病院は、脊椎脊髄センターを設けた、
整形外科のスタッフ全員が脊椎疾患を専門として脊椎・脊髄疾患を中心に治療している病院です。

セカンドオピニオンなので、レントゲンなどはせず
身長、体重を測ってからお話を聞きました。


「手術するかしないかは、親御さんしだい」と、
慶應の側湾外来の主治医と同じ答えを頂きました。


理由は
手術をしても、寝たきり(または死亡)になるのを先に伸ばせるかどうか?
ハッキリ判断出来ぬくらい肺機能状態も悪くなっている事と、
リスクが半端なく高いオペであり、
命の先伸ばしのためにオペにトライする価値はあるけれど、
オペ後に天音ちゃんが絶えられるか解りませんし、
寝たきりになった場合の環境を受け入れる親御さんの心構え次第なので、
医者から「オペをした方が良いとの促しは出来ない」との事でした。


手術をしたとして、
その手術は治療ではなく、現状をなんとか維持するだけの処置であり、
症状を悪化させないためになるかはわからない手術であるとのお話でした。
仮にオペをしたとしても、オペ後入院中に命を落とす確率。
そして、いまの天音の生活クオリティーに戻れなくなる確率はとても高い事。


手術の技法としては、慶應で出した技法と同じ。、
「背骨をだるま落としのように1つ取り除き固定する技法である事」と
「今の日本で、天音の状態でオペにトライ出来る技量がある病院は名城と慶応しかないであろう事」
「慶應と名城で違いが出るとすれば、
慶應で提示された、ビスで固定かワイヤーで吊って固定するか?と言う「道具」が、
名城では、他に何かないか?考える事が出来る」と言う事が解りました。


ビスで固定しようが、ワイヤーにしようが、
もろい骨が耐えられなければ、骨が粉砕して脊髄に傷をつける二次障害が起きるリスクは高いのです。


どちらの病院にしても大きな手術になります。
歯を1本抜くにも、中耳炎のチュービング処置をするにしても全身麻酔が必要で、
でも全身麻酔をする事で、2週間くらいは入院してしまいます。

肺高血圧が診られ、夜間在宅酸素療法中で、
睡眠時無呼吸症候群がみられ、寝ている間に体の中の酸素(SpO2)が70%しかない時もあります。
ずいぶん落ち着きましたが、喉頭軟化症もみられます。
麻酔が命取りになる呼吸状態です。
こんな大きな手術、麻酔をかけるだけでもハイリスクです。

娘さんは
多発性奇形(先天性股関節脱臼、関節萎縮、巨大大槽、小顎症)と、
生まれつきの骨、筋肉周りのなにかしらのトラブルが出ています。
股関節脱臼の骨切り回転オペの時は固定したビスが飛び出てしまい、
通常3ヶ月の入院が9ヵ月に伸びてしまったくらいです。

そんな骨回りにトラブルの多い身体に
脊髄にはまだ問題はないものの、
頂椎付近の椎弓根がかなりの低形成の状態で、後湾が顕著で、何度も麻酔をかける事が困難であると知らされて、
「手術するかしないかは、親御さんしだい」と言われても、
怖くて怖くてオペをするなんて考えられなくなりました。


その場でオペするかしないかを決める場所ではなかったので、
先生の話してくださる事を聞いていましたら、
先生は
「天音が亡くなった時に、手術をするかしないか? どちらを選択しておけば自分が後悔しないか。」

「動けなくなるその時が早く来た時に、家族で暮らせるか?(家、仕事、学校の事など)」

「例えば天音が50才の時に自分達はどうなるか。どうするべきか?」

親のエゴも、親の自分の人生だから、
自分の人生も考えて、オペをするかしないかを考えるように教えられました。


どれも、天音を授かり、障害を持っているのだと解った日から
薄らぼんやりではありますが、
来る日も来る日も考えてきた事でしたが、
こうハッキリ考えておきましょうねと言われると、
いつも考えてきた事が揺らぐほど心が痛くなりました。

「その時にならなければ解らない気持ちや思考」だと思っていた事です。
それらを「今」よく考えて判断せねばならなくなりました。


先生は主人に
「仮に早くに亡くなったとしたら、父親は仕事などで変化があるが、
子供だけを見てきて注いできた母親は逃げ場がなくなってしまう心理を理解して支えてあげられますか?」と
話してくださいました。

「治せると、チャレンジして全力を尽くす事は大切だけれども
その大切なものが無くなった後の自分達も考えなければならないのですよ」と。
「今の日本の福祉では、老人福祉と子どもの頃からの障害の福祉に違いがあり、
それらも勉強しながら、いつどんな風になっても自分達が倒れないでいないとならない」とのお話もありました。

そして
「色々出来てきた事が出来なくなる天音ちゃんをどう支えられるか?」
これは、薄らぼんやりと考えてきた事にはない、新しい問題でした。
余命2才の宣告の時には考えなかった事です。

今の娘さんは感情も豊かになり、人生の楽しさを知っています。
明るく快活な子どもに育ちました。
人が好きで、人と関わる事が大好きです。
動けなくなり、人と関わる機会も減り、
大好きな外食も、散歩も、学校も、デイケアも行けなくなったら・・・

それでも生きる事。

ある命。

命ってなんだろう?と、先生の話を聞きながら考えていました。

娘さんの命。
自分の命。
人生ってなんだろう? どうしたら良いのだろう?


いつか必ず生活クオリティーが下がる体になる事は間違いく・・・
高いリスクを解っても、
チャレンジすれば少しでも長く一緒にいられる可能性は少しでもあるわけで、
その道を選ぶために、
今ある機能を壊す確率があってもチャレンジするか?


チャレンジしたとしたら
それは、私の思い。エゴではないのか?
それでも、一緒に生きてゆくのに、
育てる私の気持ちを考えて入れて判断して良いのか?


それとも、期間は短くなるかもしれないけれど、今ある機能を止める事なく、
今の生活を続けながら、いつかやって来るその時を、その時その時で受け止められるか?

家族の生活を維持するための準備はどこからすれば良いのだろ?

娘を先に見送ったら・・・
主人と2人、どうやって残りの人生を過ごすのだろう?



ゆっくり考えている時間がありません。
それが今とても辛いのですが、逃げるわけにも行きません。

長く一緒にいたいから・・・
その気持ちはありますが、、、、
麻酔科的には、麻酔をかけたくない患者です。
手術にトライする事が命取りに考えられます。


でも、長く一緒にいたいです。

こんなに色んな事が解ったのに
まだ判断付かず、私は悩んでいます。



From ikusuke



娘さんの側湾症状をどうするべきなのか? ①

2011-08-25 19:15:26 | 側湾のお話
ごぶさたしておりますm(_ _)m
ikusukeでございます。

昨年から娘さんの側湾の問題が大きく、
体調を崩して入院したり、
特に今年は慶應大学病院の側湾外来の受診があり、
手術の話も出でいましたので、日々がいつもより忙しくなってしまい
Only Oneの担当業務が滞ってしまいました。

オーダーのお客様にはご不便おかけしてしまいました。
大変申し訳ありませんでした。



さてさて、
娘さんの側湾のお話ですが、
今年2月にブログで書きましたところから
大きく話が進みました。


今年1月に慶應大学病院を受診しました時に、
「オペをするならば、なるべく早くに」と言われていて、
2月に出した予定としては、
「夏休み明けに病棟になれるための練習入院をして、
それでOKだったら10月にオペをする」でした。

それが、
4月中ごろに練習入院が急遽入り、
せっかく入院したので、色々検査もしておきましょうとになり
いろいろ検査をしてみましたら、
「天音ちゃんの背骨は、半分から薄くもろくなっている」と解り・・・
想定していたオペはとてもリスクが高いとの話になり・・・

「オペをする事は出来るけれど、
オペ後に固定した部分が粉砕して脊髄を傷つける可能性はあるし、
または骨が薄すぎて固定しきれず、再手術の可能性がありますから、
ご両親の、手術をしたいか?したくないか?お気持ちしだいになります。」
との回答を頂きました。



その場で判断できませんでした。

オペをしたくないと思って受診をして
先生の説明を聞いて、
やっとオペをしよう!と心に決めて
次は、天音のような理解の乏しい子どもでも
入院していられるか?の練習入院をクリアーして
「オペをしてもしなくても、
今の生活ではなくなるかもしれないんだなと。
でも、何もかも上手くゆけば、痛みと、呼吸状態からの生き死にの心配は少なくなるなぁ」と
やっと前向きな気持ちでオペをする心の準備が出来たばかりでしたから。

それが・・・
「両親の思いで、するかしないか決める話!」になり、
どうして良いか解らずに混乱しました。


混乱していましたが、
どうにか理解して事を進めなくてはならない状態でしたから、
すぐその場で、
セカンドオピニオンを紹介していただく話をしました。

側湾の手術の技法は1つではありません。
先生によっていろいろあると聞いていましたし、
名古屋にある病院で、
側湾を得意とする整形のチームがあると聞いていましたので
その話をすると
「手術をするなら時間はありませんが、
色々な先生の話を聞くのは良い事だと思います。
話を聞いてみて、やっぱり私達が必要だと思ったら、すぐ連絡下さい。」と、
名古屋にあります名城病院と、神戸にあります神戸医療センターに
紹介・診療情報提供書をすぐ用意してくださいました。

その後数日して、
練習入院の時に検査や診察をして下さいました慶應の呼吸器の先生を受診して
娘の今の呼吸器科からの見解をお聞きしてきました。

側湾、側湾と、
整形外科的な心配ばかりしていましたが、
その側湾が、肺を圧迫していて機能が低下しているのが検査でわかりましたので、
今度は呼吸器科的見解から将来の予想を教えていただきました。

側湾になるとありがち?な話なのかもしれませんが
肺が潰れてしまう予想を聞きました。

「潰れてしまう事で、
今の天音ちゃんの生活のクオリティーが下がってしまう事を考えたらば、
可能であるならば、側湾を今より進行させないための手術をするべきだと考えられるので、
慶應で予定していた側湾手術の技法とは違う方法が見つかるかもしれないから
セカンドオピニオンに行っておいで」と、背中を押してもらいました。

「ただし、遅くても年内には、
オペをするにしてもしないにしても方針を決めないとだよ」と。


長くなるので続きますm(_ _)m♪

From ikusuke

手術をすると決めるまでの辛さ

2011-02-13 00:33:37 | 側湾のお話
一月に、慶應大学病院の整形外科を受診しました時、
今の娘の状態を、こう説明されました。

「胸骨部分の側湾のS字曲がりは、このままでも大丈夫に診れる範囲内なのですが、
肋骨、肩甲骨の後ろの飛び出し具合が、とても悪い状態になっています」との事。

受診する前、いろいろと口コミでオペのリスクについてしりましたから、
受診するその日の朝まで、
旦那さんと二人で、「オペは絶対避けたいよね。」と話していました。

でも診察室に入り、先生のお話を聞いていましたら、
もうそんな事言えないところまで来ているのだと知り、
その場でオペをする方向で、先生に質問をしていました。

初めての場所で、知らない先生に診て貰うのが嫌だったのか
娘さんはびぃ~びぃ~泣き叫んでしまっていましたが、
娘さんの許す範囲で、ちゃんと背中も胸も診て下さいました。

診察なんだから当たり前の事のように感じる話ですが、
かかりつけ病院の整形外科では、
レントゲンは診てくれるものの、
娘に障ったり、直接服の下の状態を診てくれてはいなかったので、
診て貰えるだけで信頼と安心がわきました。

「いつからこう言う状態になったの?」と先生に質問され、
「一昨年の11月には、なんとなく出てきているのが私でもわかりました」と伝えましたら、
「そっか・・・」と短く言われ、
先に話していたオペをする時に、気管切開をして人口呼吸器をつけるかも知れない話しの続きとして、
「今なら、天音ちゃんの回復次第では、オペ後に切開を閉じる事も出来るかもしれないけれど、
もう少し後に受診に来ていたら、
オペをしても、気管切開の状態で帰す事になったかもしれない可能性は高いので、
今来てくれて良かった。」と言われました。


側湾は、曲がり方にもよりますし、
人それぞれでとても違いはありますが、
進行しすぎて悪い状態になると、肺が潰れてしまう恐れがあるのだそうです。

去年の三月に、
「障害児で動けないお子さんの側湾への対処方は、
オペやコルセットをせず、対処、温存療法がポピュラーであると聞かされていました。
例えば寝たきりのお子さんの場合ならば、
片方の肺が潰れてしまっても、もう片方の肺が正常に機能していれば、
オペをするリスクよりも、その状態を温存して、その都度対処してゆく方が、
子どもへの負担は少ないからだと教えられました。

娘さんは、元気に歩けるようになりました。
夜間の呼吸状態が悪く、寝ていてもマラソンしているような運動量です。
そこが、寝たきりのお子さんへの側湾の対応とは違うし、
だからと言って、言葉の説明を理解してオペを受ける
元気なお子さんとも違うところで、とても難しい状態なのだと説明されました。

全身麻酔をかければ、必要量であっても深く深く落ちてしまい、
抜管した後も、気が抜けない管理状態になります。
心臓は肺高血圧症気味です。
側湾のオペは、いくらオペをする医師がなれていても、
たくさんのリスクが考えられる、とても大変なオペです。

オペをした方が良いのはよくわかったのですが、
本当に出来るのか悩んでしまいます。


先生は、こんなお話もしてくれました。
「もし、オペをしなかったらどうなって行くのですか?」と尋ねましたら、
「側湾は曲がりすぎれば痛みも出ます。
痛くて起きていられなくなり、天音ちゃんの場合だと、
呼吸も苦しくてしかたなくなってしまうように思います。
それらから、その日がいつ来るかはわかりませんが、
痛くて、苦しくて、動けなくなってしまう可能性がありますね。」と。
「では、オペをするとどうなりますか?」と尋ねました。
側湾のオペは、その曲がった部分を固定して直したとしても、
体の使い方に寄っては、また別の部分が曲がる可能性があるのだと聞きました。
だから、オペをする事にどれだけ意味があるのか知りたかったかったからです。

娘さんが薦められたのは、
飛び出してしまっている胸骨上の肋骨、健康骨部分を固めて固定してしまう方法でした。

一般的に、成長期のお子さんにする側湾のオペは、
成長に合わせて伸ばせるジョイント式?の器具で患部を固め、
成長に合わせて、半年に一度とかの割合で、オペしてゆくのだそうです。

でも、我慢の概念もない娘さんです。
体力的にも、そんなに頻繁にオペが出来るとも思えません。

「固めてしまうと、もう背は伸びなくなります。
(これは、固めた部分の話です。手足はすくすく伸びます)
ボディーバランスの見た目は悪くなりますが、
まず、呼吸状態がこれ以上悪くなる可能性は低くなります。
そして、痛みがなくなると思いますよ。」と。

ただ、そのオペのリスクとして、
オペする場所によって(オペする場所には、脊髄があります。脊髄は神経がたくさん走っています。)
100人に一人らい、痺れとかの微妙な麻痺が出る可能性があり、
1000人に一人くらい、
半身麻痺などのリスクがありますと教えてくれました。

それらを聞いて、考えました。
どっちにしても、今の生活ではなくなるかもしれないんだなと。
でも、何もかも上手くゆけば、痛みと、呼吸状態からの生き死にの心配は少なくなるなぁと。

娘さんは自分で、オペがしたいとか、したくないとかも決められません。
小さな子どもですから、娘さんじゃなくても、
娘と変わらぬ年齢のお子さんだったら、自分で決める事はまず出来ないでしょう。
だからこそ、どうしたら良いのか?
親は胸の潰れるような思いの選択を、決断を迫られます。

もう、オペはしなくてはならないと理解できました。

問題は、オペをして貰えるか?です。

今は、慶應でオペが出来るといいなぁと思っています。

From ikusuke

側湾と言う症状

2011-02-13 00:07:23 | 側湾のお話
昨年の3月に、「側湾 側湾」と言う記事を書きました。

あれからもうすぐ一年になります。

記事を載せた時に、
コメントで色々な情報を頂きました。

とても参考になり、助けられた一年でした。
心から感謝しております。


先月の事です。
側湾の話で、やっと進展がありました。

娘さん、オペをする事になりそうです。

「なりそう」と言うのは、
現在の娘さんが、そのオペに耐えられるか?を今調べていて、
まだオペが出来るかわからないからです。

娘さんは、側湾+漏斗胸(胸の真ん中がベコリと凹んでいます)でした。
それがさらに進んでしまい、
昨年の3月の段階で、右肋骨が後ろに下がり、
健康骨をボッコリと飛び出させてしまっていたのです。
しかも側湾もただ曲がっているのではなく、ひねりが入っています。

歩ける様になった事からの二次障害かもしれません。

ボディーバランスの悪い筋肉の上に、動きに癖があり、
使い方に偏りが出たのでしょう。


昨年の3月は、コルセットをどうしよう?と悩んでいました。
付けなくてはならない理由を話しても、
娘さんには理解できず、継続してコルセットを付けられるかわかりませんでしたから。

五月に入院して全身検査をした時に、3DCTの撮影をしましたところ、
幸い曲がった部分が、肺に影響が出るほどの曲がりではなかった事とと
背骨の側湾自体は、曲がりに曲がっているけど、まだ許容範囲内だと解りました。

残念な事に、娘の通院している病院の整形外科には、
「側湾」を専門として診れる医師がいません。

娘の病気を全体的に診ている総合診療部の先生や、麻酔科、リハビリ化の先生と話しながら、
どこの病院のどの先生に診てもらうか?をずっとずっと考えていました。

去年は検査後に、菌やウイルスは見つからなかったけれど
肺炎のように胸に陰りの出る熱で5月終わりと12月の2回入院しました。

呼吸状態が悪くなるほどではありませんが、
入院以外にも、自宅養生も続き、あまり登校出来なかったのです。

そんなこんなもあり、
それでも整形外科の診察をせねばならぬと、
「側湾」の専門では無いとわかりながら、
かかりつけ病院と言う事で整形の受診をしたのが10月。

その時の診断は、
「次、四月に診察した時に側湾の角度を測ってからどうするか決めましょう」との事でした。

その診察の後から娘さんは体調を崩し、自宅養生と入院になりました。
バタバタしていて、側湾の事、一瞬忘れていたのです。

今私は、ものすごく後悔しています。

なぜ、10月の診察に疑問を持たなかったのか?
自分が情けなくてしかたなかったです。


12月の入院の時に、
今は外来診察をしいていない、かつての主治医に偶然会いました。

今の病院の前の病院で、
どこが悪いのかもわからず、ただNICUに入院して日々を過ごしていた生後三ヶ月の時に、
どう言うご縁でそうなったのかわかりませんが、
娘さんを診察してくださり、
次の日に、自分の勤務先の今の病院に転院させてくれて、検査をしてくれて、
天音の命を救ってくれた先生です。

久しぶりに会った先生に
「ママ、ど~したの!なにやってんの!」と言われてしまいました。

この1年の経過を話しましたら、
「僕が言ってあげるからと」
内科で呼吸器の専門だから、
整形の事はまったくわからなくて角が立つかもしれないのに、
「四月の診察なんか待ってらんない」と、
12月の暮れ近くに、整形の主治医の予約を入れなおしてくれたのです。

「僕からね、ちゃんと頼んでおくからね」と、
お忙しいのでバタバタ帰って行きましたが、
その日のうちにお電話くださいました。

「その日ね、時間が空いていたら、僕も同席して話を聞いてあげるからね」と。

でも残念な事に、その日は出張でお留守でした。
その代りだったのか?
整形の診察室に行きましたら、
「慶應大学病院の側湾外来」への紹介状が書かれていたのです。

10月にね、私も「どこか診てくれる病院を紹介していただけますか?」と聞きました。
そうしたら、先の4月の診察してからの話でした。

娘さんの命を助けてくれた先生は、病院の中でも偉い先生です。
専門違いでも、意見する力があったのかもしれません。
だから、私では進まなかった話を進めてくれる事が出来たのかもしれません。


私に診断書を手渡した時の、整形外科医の感じの悪かった事・・・
「お母さんが、S先生に慶應紹介してくれって頼んだんでしょ」と。

そんな事では無いのです。
娘さんを診てくれている主治医皆が、
口を揃えて「慶應はどうかしら?」と言ってました。
S先生だけで判断するような病院ではありません。
娘さんはチーム連携で診てもらっています。
どの主治医も慶應の側湾チームの先生に面識がなく、
頼むのなら整形外科の主治医からと話していたところでした。
でも、10月は紹介状を書いてはくれず、判断は四月にとなりました。

子どもを心配する親は、焦り気味になりますから、
そんな親の言葉など、聴いてもらえてなかったのかもしれません。


昔の私だったら・・・
その10月の時に、この整形の医者に喧嘩吹っかけてでも、まくし立ててでも
紹介状を書かせていたのかもしれないと、
物凄い感じの悪い対応を受けながら思いました。
医者任せにした、自分が情けなくて泣きそうになりました。

でもムカついていたので、
「じゃぁ、先生だったらどこの病院を紹介してくれたんですか?」と聞いてやりましたら、
「やっぱり慶應」だとの事。
じゃぁ、嫌味言わないでさっさと渡せ!です(苦笑)


それから冬の休みがあけてすぐ、慶應大学病院へ行ってきました。

状態は悪く、コルセットを試している状態ではなく、
できるだけ早くオペをした方が良いとの事でした。

娘さんは、心臓や麻酔などの心配がありますから、
「僕達はオペは出来るけど、天音ちゃんの全体状態をしらないから、
主治医の先生にお手紙かくから、天音ちゃんの事を教えてもらって下さいね」と。

二月の今は、ずっと娘を診てくれている先生達の判断と、
今の状態を知るのに、検査を受けているところです。

親と言うのは、毎日接しているので子どもの体調が解りますが、
お医者様のようには、その体調がどう変わって行くかなどの予測が立ちません。
また、病気に対して、専門的知識もありませんから、
解っているであろう医師の判断に任せるのが良いのだと思います。

でもね、任せっぱなしにしてはいけなかったと、
私は、とてもとても後悔しています。

後悔しても仕方ありませんから、
これからは、するかもしれないオペに向けて、
どう過ごせば良いのか?
そんな事を考えながら毎日を過ごそうと思いました。

From ikusuke