今日生駒山麓公園に行って来た。
普段ママべったりの こうたんだが、今日は別。
虫取りや大型遊具で遊ぶ時は、パパの出番だ。
「パパ!何!?」
とパパが次は何を見せてくれるかとウキウキしながらついていく。
今日はパパだけでなくママもコオロギを捕まえることができて、
「パパとママって、すっげー!!」とお褒めの言葉にあづかった。
そんな時しみじみと思う。
「そうなんだよなー。
自分の親をすっげーって感じる瞬間って大事だよなー。」と。
そういう感覚が、
「父や母の言うことを聞いてたら大丈夫。」
という信頼感を醸成するんじゃないかと思うのだ。
今は「こうしてたら大丈夫」という決まったものがない時代。
どうすれば正解かわからない中で、
親に対する信頼感すらなければ何を道しるべにしたらよいのか。
せめて迷った時、不安に思った時、
頼りにしてもらえるような信頼される親でありたいと思う。
と答える子供が少なくなっていると、
何年か前テレビの報道で聞いたことが
あるような気がする。
私自身は、子供の頃、
祖母おしげちゃん が泊まりに来てくれたら、
「みっちゃん(私の母)の小さかったときの話して~」
とよくリクエストしてくれたことを覚えています。
そしたら、おしげちゃんは いつも決まって、
「あんたのお母さんは偉かったんやで~」
から始まる、いろんなエピソード
(弟をおんぶして遊びにいったとか、
大学に入るのを反対されて、一度だけの約束で
受験させてもらって、自分で働きながら大学に
通った など)
を聞かせてもらいました。
そうした母を持つということで、すごく誇らしかった気がしますね。
父のぶさんは最終学歴も職業上の肩書きも立派で、
もちろん誇らしくもありましたが、
普段ののぶさんは、権威ぶったところがなく、
むしろ友達のような存在でした。
それだけ身近な人が「立派」だったので、
私も当然、それなりの努力をすれば、
同じように「立派」になれると思っていましたが、
実際は思うようにならないことが多く、
大きな挫折も経験し、
とても子供の頃思ってたような「立派」な
人にはなれませんでした。
がっかり。
でも、最近思うんです。
子供には、「立派」な肩書きは必要ない。
子供自身にとって、頼りになる、
あるいは「すっげー」を心から思える
存在であることが大事だと。
今、みっちゃんとのぶさんは遠く仙台の
地に住んでいますが、何かあったとき、
相談に乗ってもらいたいとき、
かならず、電話で相談します。
それは、二人が社会的に「立派」だからじゃ
ないんですよね。
二人が社会的に築いてきたものは、すごすぎて
マネしようもないけど、二人のような
頼られる信頼される母になりたいと思います。
みっちゃん、のぶさん。
いつもありがとう。
これからもヨロシク。