昭和55年、鷹匠に家内の店(花屋)をOPENさせた。
水落の交番から広い通りを日吉町方面に向かい真ん中あたりの左側。
現在の清水銀行※鷹匠町支店の向かえあたりだ。
私は実家の学生服屋に勤めるサラリーマン。
(※昭和46年頃、鷹匠町から“町”は取れて、現在は鷹匠と呼ばれていますが
この銀行の支店名はそのままにしてあります)
いわゆる共働きなので、この頃家内はなかなか夕食の支度ができなかったようだ。
したがってその当時の我が家は外食の回数が非常に多かった。
その頃よく通ったのが近所の「源氏山」さん。(あとはイタリア軒さん)
もう40数年位行っていない。10数年前に友人たちに聞いたら、「もうあそこは
“1~3年予約が取れない”有名なお店になっちゃったよ。」とのことだった。
それはそれで他人事であっても大変嬉しい。
そして2007年、鷹匠町から“町”が取れ、「鷹匠」という呼び名がすっかり定着した頃、
「成生」(なるせ)という天ぷら屋さんが秀英塾前あたりに開店した。
私は行ったことが無かったが、ボンソのお客様で86期でない方々が
そこで食事を済ませて2軒目にボンソに寄ってくださるケースが
多かったので様子はよく存じている。
ここはあっという間に“1~3年予約が取れない”有名なお店になり、
聞くところによると、東京からも芸能人様たちが訪れていて、
「あの人に似ているけど、なぜあの方がこんなところを歩いているの?」
現象が起こっていたそうだ。現在は更にパワーアップし、葵区丸山町に移転した。
ここの店主は焼津の「T吉」さんで腕を磨き、記憶違いでなければアソシアホテルの
「T吉」(現在は退店)にも居たことがあり、
ボンソにハシゴで寄ってくれた方々はそこでのお客だったのだと思う。
焼津の「T吉」では面白い話がある。亡くなった寿夫君のお兄ちゃんが、
知人が会社に遊びに寄るとランチに「T吉」に連れて行ってくれた
そうだ。その知人も私の知人なのだが、お兄ちゃんが席を外した時、
ちらっとお会計伝票を見てしまい、ひっくり返りそうになったそうだ。
「ワインが1本30万円!!」(ランチだよランチ!)
そして、席に戻ったお兄ちゃんは何事もなかったかのようにその伝票を
掴み「ここはいいよいいよ」とお会計に向かったそうだ。💦
そして、つい最近SBS-TVで静岡発のてんぷら職人さんの話を観た。
まだ開店して半年が経過した状態で早くも“1~3年予約が取れない”有名店に
なってしまったのだそうだ。いったいどうなってるんだろう?
この「天ぷら屋」業界ってのは。これら三者の店作り、味、価格、
立地条件、おもてなし、それぞれ戦い方は違うと思うのだが。
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