超電導リニア590km/h達成 世界最速記録を更新
乗りものニュース 4月16日(木)15時27分配信
超電導リニアが世界一の記録を更新
2015年4月16日(木)の午前、JR東海は山梨リニア実験線で高速域走行試験を実施。590km/hで有人走行したと発表しました。
これまで超電導リニアの速度記録は、2003年に山梨リニア実験線で「MLX01」が達成した581km/hで、それが有人走行で世界の鉄道史上最速の記録でもありました。
今回、山梨リニア実験線で超電導リニア「L0系」がそれを更新、590km/hを達成したということは、超電導リニアで史上最速であるのはもちろん、有人走行で世界の鉄道史上最速の記録を更新したことを意味します。
JR東海によるとこの高速域走行試験は550km/hを超える速度域のデータを取得し、リニア営業線設備の最適設計に役立てることを目的に、行ったそうです。
また長距離走行試験では2015年4月10日(金)に1日3904km、4月14日(火)に1日4064kmを記録。2003年11月7日(金)に記録した2876kmを大きく上回る距離を達成しています。
この山梨リニア実験線を営業線に転用して開業するリニア中央新幹線は、最高速度505km/h。まず品川~名古屋間で2027年の開業を目指し、建設が始められています。
恵 知仁
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
まず、この輝かしい成果を導き出すため工夫と努力を尽くされた研究者、そのほかの関係者の皆様に敬意を表します。
ここで、改めて「リニアモーターカー」についての話をさせて頂きます。
まず、L0系の紹介から
JR東海 L0系
編成
試験時:最長12両[1]
営業時:16両[2]
営業最高速度
505km/h
車両定員
先頭車24名、中間車68名
全長
299m(12両編成)
車体長
先頭車28m、中間車24.3m
車体幅
2.9m
車体高
3.1m
製造メーカー
日本車輌製造および三菱重工業
L0系(エルゼロけい)とは、東海旅客鉄道(JR東海)が2027年に予定している中央新幹線(品川駅 - 名古屋駅)開業の際の営業用仕様として製作された磁気浮上式鉄道「超電導リニア」の車両である。形式名の「L」はLinear(リニア)を、「0」は0系新幹線のような第1世代の車両を意味する。
構造
2011年9月まで走行試験に使用された実験車両MLX01をベースとし、先頭車両の形状はMLX01-901Aをより滑らかにしたものとなっている。先頭車は車体の長さが28m、ノーズ部分の長さは15mで、MLX01-901を改造したMLX01-901Aと同じ。中間車は長さ・定員ともMLX01の長尺中間車と同じ。客室空間を確保するため車体断面は角型となっている。
塗装は東海道新幹線のイメージを踏襲した白地に青線を採用[1]する。MLX01のものとは若干異なり、先頭車前面の青線は屋根上まで伸び、車体側面の窓上には2本の青線が引かれる。車体側面にはロゴを付ける予定である。
試験走行
(12両編成から再び7両編成に戻されて試験を行うL0系。先頭部の黒い汚れはガスタービンの排煙のため。2014年8月)
山梨リニア実験線での試験走行のため、先頭車4両、中間車10両の計14両が製作される予定[1]。製造は日本車輌製造と三菱重工業が担当する。14両のうち先頭車2両と中間車3両の5両が2012年11月22日に車両基地へ搬入され(ただし車体のみで、台車部分は空洞)、2013年6月3日に台車を取り付けた5両編成の姿が公開された。
既に山梨実験線の延伸後全区間(42.8km)を用いた試験走行を開始しており、山梨実験線では最長12両編成での試験走行が行われる。当初は5両編成だったが2013年9月から7両編成となり、2014年6月25日には12両編成での試験走行を開始した。その後再び7両編成に戻してから、2014年11月から12月までと2015年3月に一般向けの体験乗車が開催される。
2015年4月14日、1日で4064kmの試験走行を行い、2003年に記録した2876kmの24時間走行記録を更新した。同年4月16日、7両編成の試験走行で590km/hの最高速度を達成し、2003年12月2日にMLX01-2が記録した581km/hの世界鉄道最高速度記録を更新した。
(WIkipedia)
リニアモーターカーは実に長い期間、研究が続けてこられた「夢の交通機関」でした。
日本では1970年代から研究が開始され、2005年の愛知万博「愛・地球博」で本格的に営業運転が始められた次世代の鉄道です。
(愛知万博のJR東海超電導リニア館)
(日本初の磁気浮上式鉄道(リニアモーターカー)の常設実用路線、「リニモ」こと愛知高速交通東部丘陵線)
そもそも、リニアモーターカーとはレールと車両の双方に磁石をつけて車両を浮かし、電気を流して磁極を交互に入れ替えることで前進する仕組みです。
(リニア中央新幹線ホームページ 解説より)
通常の車輪による走行では物理的に時速400㎞程度が限度とされています。
しかし、このリニア方式ならそれ以上の速度を出すことが可能です。
このリニアモーターカーの基本的技術の源流は、実は第三帝国時代のドイツで科学者ヘルマン・ケンペルによって研究されました。
ヘルマン・ケンペル
(ヘルマン・ケンペル/Hermann Kemper 1892年4月5日生 1977年7月13日没 磁気浮上式鉄道における電磁吸引式の基本研究で活躍し、「磁気浮上式鉄道の父」とも評されています。)
ヘルマン・ケンペルは、1892年オスナビュリックで、ソーセージ製造業の家に生まれました。
ハノーファーの大学で電気工学を学び、卒業後、電機メーカーのシーメンスに勤める傍ら、実家のソーセージ工場の地下室に実験室を作って、磁気浮動(リニアモーターカー)の研究を始めました。
磁気浮上による交通機関のアイデアは彼が高校に通っていた頃から考えていたそうです。
1933年には真空管を利用した磁気浮上の電気制御システムを開発し、その2年後の35年には210N(ニュートン)の重量物を15mm浮上させることに成功しました。
ドイツ特許庁は「磁力により線路上に浮上・案内走行する車輪を用いない車両による浮上鉄道」に対して特許を与えました。
(1934年8月14日、磁気浮上鉄道(電磁吸引方式)に関する基本特許(DPR 643 316)を取得したのを始め、磁気浮上鉄道に関する3つの基本特許を取得)
これがリニアモーターカーの原型です。
彼の計算では時速1000㎞での走行が可能であるとされています。
その後、ケンペルは、ゲッティンゲンの空力研究所で磁気浮上鉄道の研究を続け、1940年代の初めには航空機のモデルで流体の変化を研究するための電磁鉄道の実験線が作られました。
(ゲッティンゲン研究所の電磁鉄道。目標速度は何と時速2500㎞!)
全長20㎞の実験線を時速2500㎞で車両を走らせる予定でしたが、戦局の悪化で完成しませんでした。
当時、磁気浮上鉄道(リニアモーターカー)はコストが掛かり過ぎるために実現は不可能とされていましたが、ケンペルは「従来の鉄道よりも初期費用は多くかかるが、それは短期間で回収できる。」と反論しています。
戦後、ケンペルはミュンヘンでリニアモーターカーの実験を続け、遂に専門家も認めるところになって、1960年代に西ドイツ政府の協力を得ることに成功しました。
西ドイツはリニアモーターカーの技術で世界をリードし続けてきましたが、それはヘルマン・ケンペルの力によるところが大きかったのです。
2004年に支那の上海で開通した世界で初めてのトランス・ラピッド式(ケンペルが考案した電磁浮動の方式)商業用リニアもケンペルの技術が応用された賜物です。
(上海トランスラピッド。2002年12月、世界初の商業磁気浮上式鉄道として、浦東国際空港と上海市郊外を結んで開通。)
(トランスラピッドの構造)
このリニアはドイツの技術提供によって作られ、最高時速は430㎞にも及びました。
また、NSDAPとドイツ国防軍はリニアモーターの技術を兵器に応用しようとしていました。
1944年の末に完成した、砲弾を電気の力で飛ばす「電気砲」です。
しかし、この兵器はとてつもない電力を必要としたため、エネルギー不足の時局では到底実現不可能でした。
参考文献
ナチスの発明 武田知弘
今回もご覧頂きありがとうございました。
乗りものニュース 4月16日(木)15時27分配信
超電導リニアが世界一の記録を更新
2015年4月16日(木)の午前、JR東海は山梨リニア実験線で高速域走行試験を実施。590km/hで有人走行したと発表しました。
これまで超電導リニアの速度記録は、2003年に山梨リニア実験線で「MLX01」が達成した581km/hで、それが有人走行で世界の鉄道史上最速の記録でもありました。
今回、山梨リニア実験線で超電導リニア「L0系」がそれを更新、590km/hを達成したということは、超電導リニアで史上最速であるのはもちろん、有人走行で世界の鉄道史上最速の記録を更新したことを意味します。
JR東海によるとこの高速域走行試験は550km/hを超える速度域のデータを取得し、リニア営業線設備の最適設計に役立てることを目的に、行ったそうです。
また長距離走行試験では2015年4月10日(金)に1日3904km、4月14日(火)に1日4064kmを記録。2003年11月7日(金)に記録した2876kmを大きく上回る距離を達成しています。
この山梨リニア実験線を営業線に転用して開業するリニア中央新幹線は、最高速度505km/h。まず品川~名古屋間で2027年の開業を目指し、建設が始められています。
恵 知仁
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
まず、この輝かしい成果を導き出すため工夫と努力を尽くされた研究者、そのほかの関係者の皆様に敬意を表します。
ここで、改めて「リニアモーターカー」についての話をさせて頂きます。
まず、L0系の紹介から
JR東海 L0系
編成
試験時:最長12両[1]
営業時:16両[2]
営業最高速度
505km/h
車両定員
先頭車24名、中間車68名
全長
299m(12両編成)
車体長
先頭車28m、中間車24.3m
車体幅
2.9m
車体高
3.1m
製造メーカー
日本車輌製造および三菱重工業
L0系(エルゼロけい)とは、東海旅客鉄道(JR東海)が2027年に予定している中央新幹線(品川駅 - 名古屋駅)開業の際の営業用仕様として製作された磁気浮上式鉄道「超電導リニア」の車両である。形式名の「L」はLinear(リニア)を、「0」は0系新幹線のような第1世代の車両を意味する。
構造
2011年9月まで走行試験に使用された実験車両MLX01をベースとし、先頭車両の形状はMLX01-901Aをより滑らかにしたものとなっている。先頭車は車体の長さが28m、ノーズ部分の長さは15mで、MLX01-901を改造したMLX01-901Aと同じ。中間車は長さ・定員ともMLX01の長尺中間車と同じ。客室空間を確保するため車体断面は角型となっている。
塗装は東海道新幹線のイメージを踏襲した白地に青線を採用[1]する。MLX01のものとは若干異なり、先頭車前面の青線は屋根上まで伸び、車体側面の窓上には2本の青線が引かれる。車体側面にはロゴを付ける予定である。
試験走行
(12両編成から再び7両編成に戻されて試験を行うL0系。先頭部の黒い汚れはガスタービンの排煙のため。2014年8月)
山梨リニア実験線での試験走行のため、先頭車4両、中間車10両の計14両が製作される予定[1]。製造は日本車輌製造と三菱重工業が担当する。14両のうち先頭車2両と中間車3両の5両が2012年11月22日に車両基地へ搬入され(ただし車体のみで、台車部分は空洞)、2013年6月3日に台車を取り付けた5両編成の姿が公開された。
既に山梨実験線の延伸後全区間(42.8km)を用いた試験走行を開始しており、山梨実験線では最長12両編成での試験走行が行われる。当初は5両編成だったが2013年9月から7両編成となり、2014年6月25日には12両編成での試験走行を開始した。その後再び7両編成に戻してから、2014年11月から12月までと2015年3月に一般向けの体験乗車が開催される。
2015年4月14日、1日で4064kmの試験走行を行い、2003年に記録した2876kmの24時間走行記録を更新した。同年4月16日、7両編成の試験走行で590km/hの最高速度を達成し、2003年12月2日にMLX01-2が記録した581km/hの世界鉄道最高速度記録を更新した。
(WIkipedia)
リニアモーターカーは実に長い期間、研究が続けてこられた「夢の交通機関」でした。
日本では1970年代から研究が開始され、2005年の愛知万博「愛・地球博」で本格的に営業運転が始められた次世代の鉄道です。
(愛知万博のJR東海超電導リニア館)
(日本初の磁気浮上式鉄道(リニアモーターカー)の常設実用路線、「リニモ」こと愛知高速交通東部丘陵線)
そもそも、リニアモーターカーとはレールと車両の双方に磁石をつけて車両を浮かし、電気を流して磁極を交互に入れ替えることで前進する仕組みです。
(リニア中央新幹線ホームページ 解説より)
通常の車輪による走行では物理的に時速400㎞程度が限度とされています。
しかし、このリニア方式ならそれ以上の速度を出すことが可能です。
このリニアモーターカーの基本的技術の源流は、実は第三帝国時代のドイツで科学者ヘルマン・ケンペルによって研究されました。
ヘルマン・ケンペル
(ヘルマン・ケンペル/Hermann Kemper 1892年4月5日生 1977年7月13日没 磁気浮上式鉄道における電磁吸引式の基本研究で活躍し、「磁気浮上式鉄道の父」とも評されています。)
ヘルマン・ケンペルは、1892年オスナビュリックで、ソーセージ製造業の家に生まれました。
ハノーファーの大学で電気工学を学び、卒業後、電機メーカーのシーメンスに勤める傍ら、実家のソーセージ工場の地下室に実験室を作って、磁気浮動(リニアモーターカー)の研究を始めました。
磁気浮上による交通機関のアイデアは彼が高校に通っていた頃から考えていたそうです。
1933年には真空管を利用した磁気浮上の電気制御システムを開発し、その2年後の35年には210N(ニュートン)の重量物を15mm浮上させることに成功しました。
ドイツ特許庁は「磁力により線路上に浮上・案内走行する車輪を用いない車両による浮上鉄道」に対して特許を与えました。
(1934年8月14日、磁気浮上鉄道(電磁吸引方式)に関する基本特許(DPR 643 316)を取得したのを始め、磁気浮上鉄道に関する3つの基本特許を取得)
これがリニアモーターカーの原型です。
彼の計算では時速1000㎞での走行が可能であるとされています。
その後、ケンペルは、ゲッティンゲンの空力研究所で磁気浮上鉄道の研究を続け、1940年代の初めには航空機のモデルで流体の変化を研究するための電磁鉄道の実験線が作られました。
(ゲッティンゲン研究所の電磁鉄道。目標速度は何と時速2500㎞!)
全長20㎞の実験線を時速2500㎞で車両を走らせる予定でしたが、戦局の悪化で完成しませんでした。
当時、磁気浮上鉄道(リニアモーターカー)はコストが掛かり過ぎるために実現は不可能とされていましたが、ケンペルは「従来の鉄道よりも初期費用は多くかかるが、それは短期間で回収できる。」と反論しています。
戦後、ケンペルはミュンヘンでリニアモーターカーの実験を続け、遂に専門家も認めるところになって、1960年代に西ドイツ政府の協力を得ることに成功しました。
西ドイツはリニアモーターカーの技術で世界をリードし続けてきましたが、それはヘルマン・ケンペルの力によるところが大きかったのです。
2004年に支那の上海で開通した世界で初めてのトランス・ラピッド式(ケンペルが考案した電磁浮動の方式)商業用リニアもケンペルの技術が応用された賜物です。
(上海トランスラピッド。2002年12月、世界初の商業磁気浮上式鉄道として、浦東国際空港と上海市郊外を結んで開通。)
(トランスラピッドの構造)
このリニアはドイツの技術提供によって作られ、最高時速は430㎞にも及びました。
また、NSDAPとドイツ国防軍はリニアモーターの技術を兵器に応用しようとしていました。
1944年の末に完成した、砲弾を電気の力で飛ばす「電気砲」です。
しかし、この兵器はとてつもない電力を必要としたため、エネルギー不足の時局では到底実現不可能でした。
743 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:04/10/18 00:59:25 ID:???
ちょっとスレの主旨に戻して。
レールガン開発より遥か以前、「電気砲」というものが各国で研究されていた事があった。
文字通り電気(電磁石)の力で砲弾を飛ばす物で、レールガンというよりむしろリニアモー
ターカーの元祖のようなものだが、旧日本陸軍でも戦前に実験砲を製作し、発射実験に成
功している。
ちなみに実用化されなかった理由は太平洋戦争の勃発で資材が回らなかった事だが、
「考えてみたらこんなに苦労するより普通に大砲作った方がマシ」
という理由もある。
ちょっとスレの主旨に戻して。
レールガン開発より遥か以前、「電気砲」というものが各国で研究されていた事があった。
文字通り電気(電磁石)の力で砲弾を飛ばす物で、レールガンというよりむしろリニアモー
ターカーの元祖のようなものだが、旧日本陸軍でも戦前に実験砲を製作し、発射実験に成
功している。
ちなみに実用化されなかった理由は太平洋戦争の勃発で資材が回らなかった事だが、
「考えてみたらこんなに苦労するより普通に大砲作った方がマシ」
という理由もある。
参考文献
ナチスの発明 武田知弘
ナチスの発明 特別編集版 | |
クリエーター情報なし | |
彩図社 |
今回もご覧頂きありがとうございました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます