シロタビの、B級旅行イバラ道

「るるぶ」片手に定番記念写真を撮るだけが旅行なのだろうか? 観光名所のその陰で、ひっそりと怪しい光が待っている・・・

昭和って長かったんだなぁ・・・・~日本昭和村

2009年07月20日 23時14分30秒 | B級スポット岐阜
日本まん真ん中センターの帰り道、なんとなく時間が余って立ち寄る事にした「日本昭和村」。
一応昭和ブームなのか、昭和食堂とかが街中で繁盛している御時勢であるが、ここはどうなのか。


まず入場ゲート。
お約束の木造風である。
ちなみに「日本昭和村」は、東海環状自動車道に接続した道の駅という位置づけなので、美濃加茂ICから車で10秒という好立地。 アクセスは良好だ。


入ったらとりあえずコレ。 顔ハメは必須アイテム。

内容的には、昭和風の木造風情のレストランや商店街を模したお土産物屋さんや、陶芸教室などの昭和体験コーナーみたいなのがズラリ。
かなり長細い敷地で結構歩かされるので、ランドトレインを有効活用すべしだ。
その他、ゴーカート等昭和とあまり関係ないアトラクションもあったが、何をするにもカネを取られるので、子供が多いと財布も大変そうだ。


で、一番奥にあるのが、昭和風校舎のやまびこ学校。
日本昭和村の建物は、ほとんどが昭和風にしてあるだけのハリボテ建築だが、これだけは旧宮村(かつて高山市の南にあった)の小学校を移築したものだそうだ。

さすがの年季であった。

ちなみに校舎内には、古い地図が貼ってあって少し興奮してしまった。 なんせ廃線になった東濃鉄道とか、渋いのがみんな載っているのだから(笑


校舎の前には、昭和の遊びコーナーみたいなのがあったのだが、とにかく今回感じたのは、「昭和って長かったんだなー」ということ。
だって、自分も一応昭和生まれというか、高校まで昭和だったはずなのに、こんな木造校舎で勉強した記憶も無ければ、昭和の遊びコーナーで紹介されてた遊びも半分くらいしか分らない。

ファミコンばっかやってたし(笑

ここでテーマとされている「昭和」を知らない「昭和生まれ」がいるほど、昭和は長かったのだ。

太平洋戦争は昭和だけど、ファミコンやガンダムも同じ昭和だからね。。。。

2008年5月11日訪問

ブリリアント(笑)な大仏様を見に行こう・・・・~布袋大仏

2009年06月30日 22時41分13秒 | B級スポット愛知
愛知県江南市、布袋駅の北に位置する『布袋大仏』
住宅地にいきなり現れる愛川欽也似の大仏ということで、その筋の人にはとみに有名である。

なぜ寺の境内ではないかというと、個人が夢のお告げを受けて、勝手に手作りで造ってしまった大仏だから。
で、その夢のお告げを受けた建立者の前田秀信氏の息子さんが、今は管理しているようである。


で、小生も見学に行ってきた。
有名な名鉄電車とのコラボシーンをパシャリ。

そして近くに行って撮ろうとした時・・・・


このような広告を発見!
なんと桜シーズン限定のライトアップである。
ブリリアント(笑)な大仏様はいかほどのものであろうか。


というわけで、桜の季節に再挑戦。
ちょっと顔が白とびしているが、夜空になかなか不気味な浮かび上がり方をしている。
行ってしまえば滞在時間10分くらいなのだが、最初のインパクトはA級の物件であると言えよう。

2008年4月5日訪問

過疎の村、町おこしの行く先に・・・・~日本まん真ん中センター

2009年06月16日 22時05分40秒 | B級スポット岐阜
もしB級スポットをジャンル分けするのであれば、必ずカテゴライズされるのが、いわゆる『町おこし系』であろう。
かの有名な竹下登元首相の「ふるさと創生資金」を皮切りに、全国に箱物やオブジェが作られていったワケだが、誰でも知ってるような歴史的・文化的なネタがある自治体はまだマシである。
そういうネタの無い山村はもうヤケクソのこじ付け状態で、今回訪れたココもそのたぐいと言ってよいだろう。

岐阜県は郡上市、旧美並村エリアに聳え立つ『日本まん真ん中センター』である。



東海北陸道美並ICから数分の好立地、5月の暖かな日曜日・・・・であるにもかかわらず、このスーパー閑散とした駐車場がすごい。
ちなみに、建物の屋根から、真鍮のような色をしたデカい棒というか柱のようなものが飛び出しているが・・・


中に入ると、このように天井を貫いてつながっている。 
柱の先は、床に描かれた日本列島の、ちょうど美並村の位置に来ているのだ。
これは、美並村が『人口重心地』であったという事を表すモニュメントなのだ。
「まん真ん中センター」という名前の由来もここから来ている。

「人口重心地であった」と過去形になっているのは、実は関東一極集中のおかげで、人口重心は少しずつ東に移動しており、隣の関市に移ってしまったらしいから(哀)

ちなみにこの巨大な柱は、実は日時計になっていて、センターの周りに文字盤が描かれている。
ところが、現在時刻の場所に立っても影の1つも発見できない。
よくよく見てみたら、建物に対して柱が短すぎて影が届かない事が判明。
屋上にも行けないし・・・・ヘリで上から見ろということか?

この1階フロアには、日時計に関する展示等があるのだが、人口重心とどう関係があるのか不明。


2階に上がると、今度は「日本の珍しい苗字コーナー」とか、もうよく分からない展示になっており、ネタ切れ感が漂う。
一番衝撃的だったのが「長良川に住む魚」のコーナー。
だって上の写真のごとく、物凄い放置プレーだから・・・・(泣)。

一応、旧美並村出身といわれる僧侶、円空にちなんだコーナーがあり、これが村おこしネタとしては一番まともだろう。
しかし円空だけではどうにもネタが足りなかったのか、いろいろ手を出してはみたものの、人口重心は隣町に移っちゃうわ、影が地上に届かない日時計があるは、2階の展示コーナーは放置プレーと、強烈なB級3重殺となってしまっている。


しかし・・・こうやって税金の無駄使いだなんだとネタにするのは、都会人の驕りかもしれない。
若い働き手も、お嫁さんも来ない過疎の村の、「なんとか村おこしを・・・」という熱い思いの歪んだ姿は、まだまだ全国至る所に生き続けているのだ。

2008年5月11日訪問

謎のアライグマはいずこに・・・・~鳩吹稲荷弁財天

2009年05月25日 00時11分50秒 | B級スポット岐阜
なんとなくマッタリとこのブログを続けてるわけですが、なんと2人目の子供が生まれてしまい、2児の父となってしまいました。
というわけで更新が滞ってしまった訳ですが、このブログの記事は去年訪れた場所ですので、まだまだネタはいっぱいたまっています・・・というわけで頑張らなきゃいかんと言う事で・・・・今日は去年の4月、花見ついでに回ったスポットの記事を少し・・・。


名古屋から国道41号を快走し、可児市に入った所の山の中にある「日本花木センター」。
まあ、大規模なガーデニングショップ兼ドライブインという感じなのだが、ここの片隅に、なぜか謎の弁財天様が居られるのだ。


駐車場から南の方に歩くと、このような原色系のど派手な門が見えてくる。
歴史的建造物という風格は微塵も無く、新興宗教系のインチキ寺院の門にしか見えない。
周りには、この花木センターが売っている苗木等が植えられている。


門の内部には、このような壁画が。
弁財天とは、仏教発祥の地インドの女神「サラスヴァティ」が起源なので、インド風コスチュームの女性達の絵は正しい認識である。


で、これが蓮の花の上に乗っておられる弁財天様。

この施設の面白いところは、もともとあった神社の隣に「花木センター」が出来たのではなく、「花木センター」の経営者がこのお稲荷様を造ってしまったという点。
場内の立て札によると、可児市の別の場所にある、「天ヶ峰おちょぼ稲荷」なる御稲荷様の御分霊を頂いたそうである。
御分霊のシステムがどういうものか僕は知らないが、わざわざ分霊を頂戴してまで敷地内に弁財天様を置いてしまおうと言う発想がすごい。
気合が違うのである。
おそらく商売繁盛を祈願したのであろうが・・・


これが全体図。
左の建物は、「鳩吹館」という名前らしいが、単なるタタミ6畳分くらいの小屋で、何に使っているかは不明である。
池の中にはもう1人弁財天様がいて、遠くからだとなかなかセクシーに見えるが、実際には顔の造りが浅野祥雲先生のような作風なので、近くで見るとあまりセクシーでは無い(笑)

あと、写真を撮るのを忘れてしまったのだが、この御稲荷様の敷地内には「アライグマ」が飼われていて、一応アイドル的な存在になっているそうである。
ただし、僕が見たときには何も居なかったが・・・・
とりあえず「可児のラスカル」などという、笑える看板もあるので要チェックである。

全体的には、ソロで来て珍スポット巡り・・・という趣旨ではインパクトは薄いと思われるが、自分のように家族で訪れるには、なかなかマッタリできて面白い。
場内にベンチがやたらあるので、お弁当でも作って来てゆっくりするには良いところである。

2008年4月5日訪問


「NINJA」とB級スポットの親和性とは・・・~伊賀流忍者博物館

2009年04月05日 02時40分34秒 | B級スポット三重
日本人なら誰でも知っている「忍者」であるが、この日本古来の職業のおかげで、現代日本のB級スポットが豊かになったと言ってもよいのではなかろうか。
日本津々浦々、忍びの伝説あるところ、必ず「忍者屋敷」や「忍者博物館」が建てられるワケだが、そのほとんど全てがB級スポットとして登録されていると言っても過言ではないであろう。

なぜこれほど忍者とBスポは親和性が高いのか。

その理由のひとつが、横山光輝氏の「赤影」に始まり、映画のショー・コスギや、ゲームのウィザードリィ等に受け継がれてきた『戦闘のプロとしての』忍者像があると思う。

そもそも忍者とは、あくまで純粋な間諜であり、敵と交戦するより逃げる方のプロである。
無論、そうした本物の忍者像についての資料や展示の充実した所も多いのだが、どうしても客寄せの為か、派手な忍者アトラクションも併設されてしまうわけである。

忍者の里としては誰でも知っている、ここ伊賀市(旧上野市)は伊賀上野城下にある、『忍者博物館』も例外ではないのだ。


市営駐車場から砂利道をてくてく歩くと、萱葺きの家が見えてくる。 その手前で料金700円也を払い、萱葺きの家に入る。
まずは毎度おなじみ、忍者屋敷である。
ウチの子供がドンデン返しの扉に挑戦したりして、笑いを誘っていたが、自分ら以外にも結構客がいて驚いた。
これは伊賀流以外でも同じだが、敵に襲われた時に、いかに確実に逃げるかといういろいろな工夫は、確かに感心する。
説明係のくの一姉さんも、身軽かつ喋りも軽快で面白い。
この手の屋敷には、必ずチープな忍者人形が配置されていて、いい味を出している。


ここを抜けると今度は資料館。
ここは真面目に忍者について勉強出来る所で、忍び込んだり、逃走したりする為に、いろいろ道具に工夫がされている事が分かる。


ここの下の入り口が、忍者資料館の入り口。
で、上に見えるのが『忍者ショー』の特設ステージである。
これがあるからB級スポットになってしまうわけだが、今日は残念ながら休演日だった・・・(残念)
ちなみにここで忍術を実演してくれるのは、『伊賀忍者特殊軍団・阿修羅』という組織である。
わざわざ『特殊』と付いているところが、また何ともいい感じであるが、演技のほうは相当本格派であるので、200円の価値は十分あると言えよう。 


お約束の顔ハメ。 写真には写ってないが、この反対側には、『忍者伝承館』という建物があって、いろいろな資料を読んだり、パソコンで忍者の使った非常食や丸薬等について勉強出来たりするので、1時間はヒマをつぶせる。


さすが忍者の流派の中で一番有名だけあって、なかなか盛況だった伊賀流忍者博物館。
ウチの坊主も、にわか忍者ファンになったので、ヌンチャクと忍リストバンドを購入・・・・

2008年3月8日訪問