シロタビの、B級旅行イバラ道

「るるぶ」片手に定番記念写真を撮るだけが旅行なのだろうか? 観光名所のその陰で、ひっそりと怪しい光が待っている・・・

茨城の旅・前編・・・~鬼血骸村&つくばわんわんランド&がま公園

2010年01月31日 22時17分28秒 | B級スポット関東
もう1年半も前の話であるが・・・・2008年の夏休みは、妻の実家のある埼玉に立ち寄り、そこから茨城を見て回るということになった。
さて、茨城の地には何があるのか・・・・と思って調べてみると、やはり古くからの観光地である筑波山周辺が、かなり香ばしいようである。
というわけで、家族3人でいざ出発!


で、いきなり立ち寄ったのが下妻市とつくば市の堺にある「鬼血骸村」。
何かの廃墟と言うわけではなく、「筑波総合研究所」という、一見学園都市あたりにありそうなインチキ施設の所長を名乗る老人が、ひたすらガードレールや電柱に落書きしまっくたエリアの総称である。
そうとう近所迷惑な話だが、別に正体不明の男の仕業と言う訳でもなく、「筑波総合研究所」はヘンなオブジェに囲まれた、地元でも知られた珍物件だったようで、警察の御用にはならなかったのだろうか?
ただ、もうその老人は亡くなってかなり経つようで、落書きもほとんど消されているようなので、数枚の写真を撮って撤収。


そしてしばしのドライブのあと、最初の物件「つくばわんわんランド」に到着。

大人1500円。まあ、イヌネコ動物園としては標準的な金額である。
息子はギリギリ無料。


ジャーン。 わんわんランド名物のイヌの巨大オブジェ。 第一回犬友祭なるものがあるそうで、どういう祭りか分かりませんが、ますます頑張ってほしいものです。


人気の無い、昭和レトロな感じの休憩所。いい雰囲気である。
ホットドッグなんか売ってる屋台もいい味出してた。


お約束の顔ハメ・・・・ってここまでヘタクソな絵の顔ハメはなかなか出会えるものではない。

犬のレース等イベントが始まると、50人くらいはお客さんが集まるが、お盆だというのにマッタリしていて、なんかとってもノスタルジックでお金の掛かってない施設である。
ただ、隣に「つくば国際ペット専門学校」なる施設があって、そこが経営に絡んでいるようなので、潰れる心配は無さそうな気配だ。
そこで嫁さんが一言。

「学生をスタッフとして使ってるからカネがかからないのか・・・・」

なるほど・・・

その後は筑波山に向かって山道へ。 
さて、筑波といえば「ガマの油売り」というわけで、いよいよ筑波名物、ガマの油に絡むテーマパーク群に突撃・・・・のはずだったが・・・


筑波山の裾野にある「がま公園」、なんと潰れていた。。。。。

ここは、がまの油売り商人の売り文句、いわゆる「がま口上」を今でも聞ける施設として有名なところで、最近リニューアルしたので「お、けっこうお客さん来てるのか」と安心していたのだが・・・・
廃墟にしては違和感のある真新しい建物。
リニューアルして1年ぐらいでアウトなのではないだろうか? 
これは金の無駄といわれても仕方あるまい(誰が損したのか知らないけれど)


しかしすべての施設が新しいのに草ボーボー。 自然の力は恐ろしい。
なんで採算が採れないのにリニューアルしたのだろうか・・・・

これから向かう、「あの施設」も潰れていなければ良いが・・・・

2008年8月14日訪問

死すまでやり遂げよ、それが男の矜持なり・・・・~佐和山遊園

2009年11月14日 02時37分27秒 | B級スポット滋賀
2007年秋にハニベ岩窟院等を回った石川・福井ツアーの時に、滋賀県は彦根市に泊まったのだが、国道8号を快走しこの施設の前を通過したときに、何の妖気も感じなかった事は大いなる不覚であったと言えよう。
このパラダイスなオーラに反応せず、何故アッサリ通過してしまったのか。
後で調べてみれば、これぞ素晴らしきB級物件、彦根IC北に築かれた「佐和山遊園」ではないか。


というわけで、半年後の2008年3月に調査を実施した。
まずは国道8号沿いにドンと構える正門風景から。
この施設、地元の実業家のじい様が1人で造ってしまったと言う巨大な歴史テーマパークである。
今でこそひこにゃんで人気の彦根城だが、もともとは関ヶ原合戦の後に、徳川の譜代大名井伊直継によって築かれた城である。 じゃあ関ヶ原前はだれが治めていたのかというと、なんとあの石田三成だそうである。
その名も「佐和山城」。 無論、関ヶ原で三成が負けると同時に、火が放たれ落城した・・・。
このじい様、熱烈な石田三成ファンらしく(まあ地元の英雄だし)、憎き徳川のイヌ、井伊氏の彦根城などとうてい認めるワケにはいかないのだが、かといって佐和山城が復元されるわけもなく・・・・ならば自分で造ってしまおうということらしい。
これだけでも偉大すぎるのだが、もっとスゴいのはこのじい様、カネを出すだけではなく、なんと自分1人で手作りしてしまったのである。(ゆえに30年以上経ってまだ未完成)
なんというファンタスティックなじいさんであろうか。 神か・・・・。


だだし1人で造っているため、工事の進捗が極めて遅いのが問題点。
かつては有料で開放していたようだが、完成前に料金箱が錆びてしまった。


それでは中に入ってみよう。
この遊園は、山の斜面に造られており傾斜がきつい。
とりあえず門を入ってから左手に山道を登ると、コンクリートの箱が並ぶのが見えてくる。

石田三成一代記と書いてあるが・・・


なんと三成の一生を紙芝居風に再現してある。 しかも何十枚と。
とりあえず、この歴史テーマパークがじい様の手作りである事だけは確認した。

なぜならどう見ても業者に依頼した絵ではないから(笑

三成への有り余る愛情は感じるが・・・


これが復元された「佐和山城」!!!
ただし、彦根城を横に潰した様なデザインで、歴史考証的にははなはだ怪しいのであるが・・・・
ただ、重機等はレンタルしたとはいえ、これを1人で工事したというのは凄すぎる。(無論ミニチュアではない)
手前の三成の銅像も無論手作り。
1番最初に造った物件のようで痛みがかなり激しいが、それでも「日本一の日曜大工」の称号に偽りは無い。


山の中腹に造ってあるため、構造が複雑かつ立体的で渡り廊下なんかもある。
子供はこういうところが大好きだ。


下界を見下ろす佐和山観音像。 さらなる遊園の発展拡張を祈願してお賽銭をチャリン。


正門から左のエリアが天守閣なのに対して、右の方は山門がある。
この奥は「佐和山城下町」という設定らしい。

なんだか門の両脇に、胴長短足の仁王様らしきものがいるが・・・・


うわ・・!!

これは何かのアニメのキャラクターか?
この塑像から醸し出される味は説明不要である。


山門の先には、またまた怪しげな像が並んでおり、その奥には金閣寺? が見えるが・・・・・・


近付くとミニチュアの大仏であった。 ただし素人工事のためか、台座に亀裂が入り、大きく後ろにのけ反ってしまっている。
10年後には崩落してしまうのでは?
この下は崖でじい様の住居があるのだが・・・・


金閣寺?に近付いてみる。 中にはまたまた手作りの彫像が並んでいる。
下手の横好きもここまでくると立派である。
ちなみにこの金閣寺もどき、銀紙の上に黄色っぽく着色したアクリル板が貼り付けてあるだけである。 これが遠くからだと意外と金箔に見えてしまうのだ。
まさにアイデアの勝利。 


しかし裏に回ると、このようなスーパーハリボテ状態。
まるでドリフのセットのようだ。
遊園の工事が進むうちに逃げ場を失ったボログルマが泣かせる。
なんと「滋」ナンバーであった。


金閣寺のある高台からは、偉大なるじい様の住居が一望できる。
庭にも怪しげなオブジェがいろいろありそうだ。


その住居の裏には、このような建物も併設されている。
その名も「佐和山美術館」。
石田三成の歴史的にも貴重な資料が・・・・と言いたいのだが、どうやらじい様の製作した彫像や塑像が展示されているようである。


今までの写真にもあるとおり、あの作品のデキで1000円を徴収しようという根性だけは認めなければならない。
この施設に惜しげもなく1000円札を投げ入れ、脱力することこそB級旅行の良い思い出となるのだ。

ただし今は閉鎖されているようで、中は埃だらけ。 残念。

それにしても佐和山三成会とは何であろうか? しかも法人格って(笑


ちなみに、この「佐和山城」は歴史考証的にはまったくデタラメであるようで、彦根市の観光ガイドからは全く無視されている。
つまり個人の庭園扱いで、地図にも載っていなかったのだが・・・・・

最近になってヤフー地図に登場したことが発覚してしまった。
廃墟寸前の佐和山美術館もパッチリ載っている。
ちなみに例のインチキ金閣寺、なぜか「瑞岳寺」という名前で地図に載っているが・・・・

あんなベニヤ板のハリボテ寺が堂々と地図に載ってしまっていいのか!? ヤフーよ。

2008年3月9日訪問

知多の夏風、恋の水・・・~中之院軍人墓地と恋の水神社

2009年10月15日 00時11分42秒 | B級スポット愛知
名古屋から1番身近なマリンリゾートといえば知多半島である。
しかし、古くから観光で栄えていたゆえに、時代の流れに乗り遅れた寂れ感もいろいろな所から湧き出している場所でもある。
セントレア開業によってますます快適となった知多半島道路を快走して、まず行き着く先は・・・・


ここは知多半島の人気マリンリゾート、内海海水浴場から少し内陸に入った
「中之院」という寺院の境内である。
おびただしい石像がひしめいていて、なんだか異様な風景である。

説明書きによると、昭和12年頃に上海上陸作戦で戦死した名古屋第三師団の兵士達の石像だそうである。
遺族の方がお金と写真を持ち寄り、なんとあの浅野祥雲氏に依頼して造ってもらったのだとか。
もともとは祥雲氏の地元、名古屋市にあったのだが、15年くらい前にこの知多半島に移設したそうである。


写真を元に造っただけに、けっこうリアルな描写であるが、なんか浅野祥雲御大の作風と違うような気がする・・・・というか、関ヶ原ウォーランド桃太郎神社の作品より上手なんですが(笑
いやいや、ピカソだって若い頃の作品は普通に実写的にデッサンされていたし、浅野先生にもこのくらいの造形力はあったのかもしれない。
晩年はあえてコミカルな作風に変えていったと考えれば納得がいく。

しかし、この像の若者がすべて戦死してしまったなんて・・・・合掌。

その後、北上して「つくだに街道」なる施設でアサリの佃煮を仕入れた後、我々はもう1つの目的地、恋の水神社へと向かった。
つくだに街道から古布ICで知多半島道路に入り北上。 
美浜ICで降りて伊勢湾側に5分ほど走ると、県道沿いに小さな駐車場が見えてくる。


これが「恋の水神社」の鳥居である。 なんと水色。 
鳥居をくぐった後は、森の中の細い道を100mほど歩いていく。


こういう所には必ず由来が書かれているわけだが、それによると今から800余年前、京都の公家の娘、桜姫が青年と駆け落ちしたものの、逃亡生活から青年は病に倒れてしまったそうな。
この桜姫、青年の病を治すため、万病に効く水を求めてこの知多半島にやってきたものの、女ひとりの山歩きではどうにもならず、この場所で息絶えてしまったそうな・・・・・。

なんだか破局の貧乏神が住んでいそうな気もするが、時は流れて21世紀、この場所は恋愛成就の恋の水神社として、若いモンがわんさと訪れるようになっていたのである。


ここでの願かけは、この紙コップを300円かそこらで購入し、そこに恋の水(この神社の境内に湧いている湧き水)を入れてコップに2人の名前を書いて奉納・・・・という手順。
紙コップがご覧のようにいっぱい並んでいる。

しかし、紙コップを売るネーチャンは、隣のプレハブでテレビを見ながらヒマそうに寝っころがっていた。
まあどれだけ御利益があるかどうかはともかく、ピシッと正装の巫女さんがコップを売ってくれないと、「こんな紙コップで何百円も取るなよタコ」という気になってしまう。
まあ既婚者である僕にはあまり関係の無い神社ではあるのだが、あの暇そうな、Tシャツ姿のコップ売りネーチャンを見てると、並んでいる恋の水が少し滑稽に見えてきてしまうのであった。

2008年7月13日訪問

ダムに沈みし過疎の村よ・・・~藤橋城と徳山ダム

2009年09月30日 22時10分16秒 | B級スポット岐阜
日本まん真ん中センターを始めとして、税金を投入した町おこし設備の多さでは群を抜く岐阜県であるが、ここは揖斐川町の奥地、旧藤橋村エリアにも怪しげな建造物がデンとそびえている。
東名大垣ICを降りてから、揖斐川沿いに数十キロのドライブの果てに見えたものは・・・


その名も「名勝・藤橋城」。 ドドン!

しかし・・・・

「名勝」などと銘打っているが、ここに天守閣があったと言う事実は無い。
立て看板によれば、この街道は美濃から越前(福井)へのショートカットルートである為、美濃勢の侵攻に備えて多くの砦が「あったと思われる」というだけである。
それらを歴史的遺産として残していくのは普通だと思うのだが、有りもしない天守閣をおっ建てて、砦を勝手にお城にしてしまう所が岐阜県の成せる技といえよう。

とりあえず駐車場の隣に食堂が営業していたので腹ごしらえ。まあまあ客は入っていた。
いよいよ入城だが、こんなインチキ城であるが、一応有料である。
ただし、カネをなぜ払わなければならないかはすぐに分かる。
なんとこのお城、内部が巨大なプラネタリウムになっているのだ。
とりあえず30分間星空を眺め、2階の展示室へ。

2階は、プラネタリウム繋がりで宇宙に関する展示である。
城の中身が科学館というのも意味不明なのであるが、この旧藤橋村地域は星空が非常に綺麗ということで有名なのだそうだ。
なんだか、町おこしネタを全部注ぎ込んでしまいましたという迷走感タップリの施設である。


3階は、今度は地元藤橋・徳山エリアの展示スペース。
写真は、ダムに沈んだ徳山村の在りし日の写真である。
この辺はフムフムと見入ってしまった。
いろいろと物議をかもしたダムですからねぇ・・・

最上階は展望スペースだが、このお城、山あいの谷間に建てられているので全然展望が開けてないので意味なし。
せめて山の中腹に造らないと・・・・・B級施設としては合格だが


城を出ると、道を挟んで反対側に揖斐川町の民族資料館が併設されている。
この辺の古い民家等を移築し、マネキン置いて昔の生活を再現したという定番施設である。
藤橋城の半券チケットで入れるのでとりあえず見ていくが、客はゼロだし受付のおばちゃんはいないし(落ち葉を掃き掃除していた)、まあこんな寂れた空間を散歩するのは僕は好きであるが、揖斐川町にとってはかなりの負担ではないだろうか。


その後は、紆余曲折の末完成した徳山ダムを見学。
水面から木の先端がニョキッと出ていて、沈みたてホヤホヤであることを物語っているわけだが、あの木もほどなく枯れてしまうかと思うと、なんとも心がモヤモヤしてしまう空間であった。

その後は、ダムの完成によって付け替えられた国道を快走し、本巣市(旧根尾村地域)へと移動。


当然定番の根尾谷断層を見学。 もはや草ぼうぼうで、ただの土手にしか見えなかったが・・・・
近くにあった断層博物館みたいなのは、カミさんが興味無さそうなので割愛してしまった。

岐阜は山が多く、南部の一部を除いて過疎が進んでいるから切実ではあるのだが、それにしても各地の町おこし企画が迷走しまくっているような気がしてならない。

それがまた、ドライブの小さな、しかしとてつもなく楽しい発見になっていくのだけれど。

2008年6月28日訪問

B級巡りの後の斬新なレイアウトに涙・・・~下呂温泉合掌村

2009年08月31日 23時54分06秒 | B級スポット岐阜
ここは日本三名泉、飛騨の国は下呂温泉・・・・
由緒ある温泉地の割には、思いっきり頓挫している「ミラクルマイル事業」(注1)
など、町おこしで悪あがきしている感が否めないが、この下呂きってのテーマパーク「下呂温泉合掌村」もなかなかシュールで楽しめる所であった。


(注1・・・下呂のメインストリートに映画スターのブロンズ像を置いて、ハリウッドのミラクルマイルを再現しようとしたらしいが、温泉街に映画スターは場違いだったのか予算不足か、途中で頓挫しているらしい下呂温泉のB級企画)



というわけで、入り口で800円を支払って場内へ。
基本的には、道路を挟んで「民芸の郷」と「ふるさとの杜」の2つのエリアに分かれている。
上の写真は「民芸の郷」エリアで、白川村から移築したという合掌造りの家が並ぶエリアだ。


合掌造りの中は、土足厳禁だが入ることが出来る。
2階部分にはこのような資料館的なコーナーもある。
すべて実物を修復したものだ。

一通り合掌造りを体験して、我々は「ふるさとの杜」エリアへと向かったが・・・


いきなりこのようなカエルの置物が・・・・
「ふるさとの杜」エリアは、平たく言えば下呂市の町おこしスペースみたいなものである。
だいたい町おこしというのは8割がたズレた方向に行ってしまいがちだが・・・
まずは下呂(ゲロ)にちなんでカエルということらしくカエルを祀った脱力系神社(笑)を造ってしまった・・・・その名も「かえる神社」・・・



息子もカエルのTシャツを身にまといお参り。
とりあえずセンスの欠片もない濃厚な内装である。



かえる神社の上には、下呂のお祭りをフューチャーした「龍神館」と「花笠館」というのがあり・・・・
花笠館の中には、お祭りを再現したジオラマが展示してある。素晴らしい出来だが、なにか懐かしい匂いを感じる・・・・



と思ったら高浜の珍スポット、紫峰人形美術館に製作依頼したものではないか。
ンー、さすが紫峰人形美術館。B級臭さをさらに引き立ててくれる作品である。


途中でデカい屋根付きエレベーターを登りつつ、どんどん丘を上がっていくと今度は「山のくらし館」というのがある。
ここは、飛騨近辺で伐採できる材木のサンプルがあり、堅さとかツヤとかが木によって違うことが体感できて楽しかった。

しかし木こりの人形、率直に言って日焼けし過ぎではないだろうか。


さて、これでだいたい展示物はお終いだが、最後まで登り詰めると、なんとそこは遊園地になっていた。(といってもサイクルモノレールとローラーすべり台しかないけど)
このローラーすべり台、実はハンパではない長さを誇っており、最下部にあるかえる神社まで一気に降りられるという凄まじいアトラクションなのだ。
凄まじすぎてついでに100円を取られてしまうのだ。(無一文の人は階段で自力で降りるしかない。)

少なくとも、この階段を延々と降りる気にはとてもならないので、お年寄りだろうが、体の不自由な人だろうが、みんな100円払って急降下である。

最後の最後で、なかなかシュールなレイアウトを見せてくれたテーマパークであった。

2008年5月18日訪問