今日の街角風景は、今日初日を迎えたミュージカル「ミス・サイゴン」を博多座で観たこと
である。ミュージカル「ミス・サイゴン」は3月15日までのロングラン公演となっている。
「ミス・サイゴン」は1989年9月にロンドンのウエストエンドのドルリレーン劇場で初演され
たという。ニューヨークのブロードウェイではロングラン公演歴代10位となっているという。
なお、ブロードウェイでのロングラン公演歴代1位は「オペラ座の怪人」とか。
ミュージカル「ミス・サイゴン」はアラン・ブーブリル&クロード=ミッシェル・シェーンベルク作
作詞家のアラン・ブーブリルが、ベトナム人少女が元アメリカ軍兵士の父親の待つアメリカへ
出発しようとしている写真を入手し、そこからアイデアを受けて創作されたという。
プッチーニ作イタリア・オペラ「蝶々夫人」などのストーリーがベースにあると云われている。
ミュージカル「ミス・サイゴン」の初日を迎えた博多座
博多座 福岡市博多区下川端町
博多座玄関
博多座
1階前方部の座席をはずしてオーケストラピットが設置されていた。2階前列中央部
の席から舞台とオーケストラピットを俯瞰する絶好の位置からの観劇となった。
ミュージカル「ミス・サイゴン」
日本では東宝が制作権を入手し、1992年4月に帝国劇場で開幕したという。主演の
キム役には当時アイドルであった本田美奈子が抜擢され、話題を呼んだという。
2008年9月4日の公演にて通算上演回数1000回を達成したという。
日本初演時、バンコクの歓楽街でポン引きに店に誘われる観光客は国籍不明だったが
(ただし、セリフでは「アーユーブリティシュ?」とイギリス人を匂わせていた)、再演時には
他国での公演同様に、日本人のツアー客に変更されていたという。
ミュージカル「ミス・サイゴン」
キャッチフレーズは、愛があるから生きてゆける、夢があるから生きてゆける、おまえが
いるから生きてゆける・・・・・である。
ベトナム戦争末期のサイゴンの売春バーで働くベトナム人少女キムとアメリカ大使館で
軍属運転手を務めるクリスの悲恋物語である。
この日は、狂言回しのエンジニア役に筧利夫、主演のキム役に笹本玲奈の布陣であった。
物語の舞台は、ベトナム戦争が終焉を迎えようとしていた南ベトナムの首都サイゴン。
このサイゴンでの出会いと、1975年4月30日のサイゴン陥落によるアメリカ軍の全面撤退
に伴う別離。
1978年9月のベトナム残留孤児(ブイ・ドイ)支援活動が行われている米国アトランタ。
そして主人公ミス・サイゴンのキムが子供と共に生きているタイの首都バンコクが物語の
舞台である。
ベトナム戦争は1967年2月に米国が南ベトナムに、南ベトナム軍事援助司令部を設置
して本格介入した時をもって戦争開始とするのだろうか。ベトナム戦争は南北ベトナム間
の戦争であるが、実態はソ連、中国等の共産主義陣営とアメリカ等の資本主義陣営との
代理戦争だったのであろうか。
ミュージカル「ミス・サイゴン」
舞台上に実物大のヘリコプターが降り立つ・・・耳をつんざくような轟音と共に
このシーンは、1975年4月30日のサイゴン陥落によってアメリカが全面撤退する最後の
時のアメリカ大使館からの脱出劇は、このようでであったのかと想われるに充分の迫力で
迫ってきた。
博多座初日公演のこの日、休憩後の後場の舞台でセットの上下降装置が途中で作動せず、
公演一時中断10分間のアナウンスがあった。数分間で修復したと思ったが、実際は10分
位かかったのかもしれない。終幕後のカーテンコールで、筧利夫が子役の頭を下げさせて
謝罪するなどし、これでもって大いに盛り上がった感があった。
博多座 ベトナムグッズの売店
博多座 ベトナムレストラン
10周年を迎えた博多座
博多織の壁掛けの前で
博多座からの帰途、博多の総鎮守・櫛田神社の門前には初詣の人々が集っていた。
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