今日の街角風景は2週間ほど前に、今年の土筆は暖冬だから
もう出ているだろうと訪ねたが、まだ早すぎて空振りに終わった
同じ所の福岡県前原市の中央部、伊都の国原を再訪する。
また、ここからは万葉集に詠われた可也山(365m)をみることが
できる。遣新羅使人が天平八年(736)七月末頃に見たであろう山だ。
田圃の土留めの傾斜面に土筆が盛りである
袴を剥いで「おひたし」そのものでもいいし、「卵とじ」などもいい。
とにかく、酒の肴として一級品であると僕は思っている。
西南の方角に背振山系を望む。その向こうは肥前の国、佐賀県だ。
中央の小さく見えるピークが井原山(いわらやま 983m)、その右の
ピークが雷山(らいざん 955m)、その右方に谷をはさんで羽金山
(はがねやま 900m)である。羽金山頂上には標準電波送信所があり
その電波塔の高さは200mという。
万葉集に詠われた可也山(かやさん 365m 別名筑紫富士あるいは
小富士)を西北方向に見る。糸島郡志摩町に位置している。この山の向こうは
玄海灘だ。
可也(かや)という名前は、古代朝鮮の伽耶(かや)からとった名前である
ともいう。
遣新羅使人が天平八年(736)七月末頃に見たであろう山だ。
万葉集から転記してみよう
引津(ひきつ)の亭(とまり)に船泊(ふねは)てて作る歌七首(のうちの第一首目)
草枕 旅を苦しみ 戀ひ居(を)れば
可也(かや)の山邊に さ男鹿鳴くも (巻第十五ー3674)
(一首おいて・・・)
右の二首は、大判官のなり
註 大意:旅の苦しさに、故郷を恋しく思っていると、可也の山辺に
男鹿が鳴く。(それを聞くと恋しさがまさる。)
大判官⇒この時の大判官は壬生使主宇太麿(みぶのおみうだまろ)
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