できるだけごまかさないで考えてみる-try to think as accurately as possible

放射脳なお母さんは、線量を知らなくても知っても不安

昨日の記事の続き。結局、昨晩のニュースジャパンはほとんど見ることができなかった。南相馬市の病院が収支的に大変厳しいという内容だったと思う。

 

放射線が怖くて、南相馬市に戻るときはマスクをしていても肩が全開だった高橋菊江さんは、避難先の喜多方市でも、線量計を肌身離さず持ち歩き、お子さんが遊んでいる場所の線量計測に余念がないようだ。

 

くどいようだが、もう一度2枚目の画像を載せる。

 

フジテレビの試算によると、0.19μSv(マイクロシーベルト)/時以下であれば、「年間1mSv(ミリシーベルト)以下」の被曝量になると知っており、なおかつ、計測した線量が0.14μSv/時である(すなわち、0.19μSv/時以下である)にもかかわらず、3枚目や4枚目の画像のように、

「怖いね・・・」

「大丈夫なんだろうけど・・・」

と不安を漏らす。

 

こういう不安感を持つ保護者が、潜在的な場合も含め、極めてたくさんいるであろうことは想像に難くない。問題は、

「こういう不安を持つ保護者がたくさんいるから、その不安には正しさがある」

という前提なり論理なりに、どれだけ妥当性があるのかという点だ。

 

こういう保護者の方には申し訳ないが、妥当性はないと言わざるを得ない。単に多くの人が不安がっているという現象が、その不安を正当化する根拠にはならないからである。そんな「論理」があるとすれば、「集団パニック」などという言語概念など存在しえない。集団がパニックに陥っていると認識される状況こそ、その集団が「必要以上に何かを不安がっている」という前提があって初めて成り立つからだ。

だとすれば、多数決で何が不安なのか、何が安心なのかを決めるなどという愚行に走る前に、放射線について、定量的に、科学的に、丁寧に勉強と思考を積み重ねていくしかない。科学的根拠こそが、何が不安の元なのかを正当化する唯一の根拠である。

 

では、なぜ、こういう保護者がたくさん出てきているのか。それは、根拠もなく「危険だ、危険だ」という煽りをまともに受けているからに他ならない。詳しくは後述する。

こういう不安を持つ保護者は、本当は安全なのに、不安を感じてしまうという点で、いわゆる不安神経症と症状が酷似している。不安神経症も、本来は何も危険ではないものに対して、理性では理解しているつもりでも、どうしても体がそれを受けつけないという症状がその特色である。閉所が不安だ、高所が不安だ、先のとがったものが不安だ、あるいはつり革やお金も、前に触った人のバイキンがついているのではないかと不安に感じてしまうのと同じである。

だとすれば、先週のNHKのいわゆる「市民討論」でも焦点になっていた、「安全と安心の関係」の議論ともつながるが、不安を持つ人の「安心」基準を求めて、ひたすら「放射線ができるだけ少ない場所で、放射線にできるだけさらされていないものを食べ、放射線にできるだけさらされていない環境の中で暮らす」ことを志向すること自体が間違っている。そういう心理に陥っている時点で、心理が「病的」な状態になっていると認識すべきで、必要なことは、そういう人の基準に合わせることではなく、そういう人に、穏やかな治療を施すことである。カウンセラーに思いの丈をぶちまけたり、不安度によっては精神安定剤などの投薬も必要になるだろう。

これは全く皮肉ではない。本気である。低線量の継続的被曝であれば、私は年間100ミリシーベルトまでの被曝なら全く安全で、子どもにしても、その1/5の、年間20ミリシーベルトまでの被曝ならこれまた全く安全だと考えているからだ。

 

なぜそこまで自信が持てるのか。それは、以下のような思考実験で理解できる。

ある一本の割り箸が、仮に1キログラム重(懐かしい)の力で折れるとする。(ケース1)

・では、この割り箸は、100グラム重の力を、1分ごとに、10回かけたら折れるのか?(ケース2)

・さらに、10グラム重の力で、1分ごとに、100回かけたら折れるのか?(ケース3)

・さらに、1グラム重の力で、1分ごとに、1000回かけたら折れるのか?(ケース4)

どのケースも、「かけた力×回数=割り箸にかかった力の総量」は同じである。しかし、ケース1では確実に割り箸は折れるが、ケース2,3,4と思考実験して行くにつれ、割り箸はまず折れないだろうと推測できる。

つまり、物理的な力が、あるものを「崩壊」させるためには、あるライン(閾値)を越えなければならないということである。この意味で、竹田恒泰などが引き合いに出している、「1人当たりの被曝線量×被曝人数の総和」を、原発事故の危険性を示すモノサシとする議論には全く意味がない、ということになる。なぜなら、問題は「被曝量の総和」ではなく、「一回当たりのインパクトの強さ」で、それが閾値を超えるかどうかなのだから。

 

しかし、有力な反論として、「確率的影響」というものがある。例えば、『中央公論』2011年9月号でも、甲斐倫明氏(大分県立看護科学大学教授)が以下のように述べている。

 

「確率的影響とは晩発影響とも呼ばれ、後になって出てくるもので、発がんと遺伝的影響があります。被曝したら誰でもががんになるわけではないけれど、集団を調査すると、がん患者数は通常よりも多い。つまりは、確率で表すしかない影響のことです。これについては閾値はないとされています。どんなに低線量であっても被曝すれば影響はある、リスクはあると考えることにしたのです。原爆被害者の調査などから、100mSvの被曝で生涯の発がんリスクは0.55%だけ上乗せがあると見られています。遺伝的影響のリスクは低く、動物実験である程度の線量の被曝では確認されていますが、人では報告例はありません。」

「実際には低線量のリスクの評価は非常に難しい。先ほど、100mSv程度の発がんリスクについていいましたが、これより低い線量では疫学的にも実験的にもリスクを検出できません。世界には、自然放射線が年間10mSvを越える地域もありますが、発がんリスクの上昇は観察されていません。これは、放射線リスクがないからではなく、リスクが小さいため、ほかの要因による発がんと区別できなくなってしまうから、と考えられています。影響があるという前提に立って放射線のリスクを定量的に捉え、他のリスクなども考慮しながら放射線のリスクを容認できるレベル以下に制限することをめざす、というのがICRPの考え方です。」

 

テレビやネットなどで何度も繰り返されてきた不毛な議論は、

不安がる人:「どんなに低線量であっても被曝すればリスクはあるんですよね?だったら被曝量は極限まで下げてほしい!!」

不安がらない人:「他の要因による発がんと区別できないくらいのリスクは、『ある』と考える方が、ただストレスを増やす原因となる。したがって、年間100mSv以下の被曝リスクは、確率的影響を考えても、『ない』と考えて、それと並行して、万が一のために、定期的な検診だけは欠かさないことと、いわゆる『災害ストレス』へのケアを厚く行うべきだ。」

この両者のすれ違いである。上の甲斐氏の発言を見ても、「リスクはあると考えることにした」と明言している一方で、「そのリスクは小さいため、他の要因による発がんと区別できない」とも明言している。これでは、私は論理的に考えれば考えるほど、後者の立場に立たざるを得ないのだ。なぜなら、他の要因による発がんと区別できないということは、それほどリスクが「小さい」ということに他ならないのだから。

 

したがって、「確率的影響」なるものを考慮に入れたとしても、年間100mSv以下の被曝量であれば、全く問題ないという結論にしかならない。

 

さて、こういう私の主張に、論理的に反論してくれる方は出てくるだろうか。たとえば、上杉隆や岩上安身らの「第2記者クラブ」の面々は、

「今の被曝が、5年後、10年後になるとさまざまな障害として表れてくるが、怖くて言えない」

などという「シナリオ」を勝手に作って、聞き手にそう信じ込ませようとしているだけである。では、チェルノブイリ原発事故で、低線量の継続的被曝によって、1990年代にどれだけの障害なり健康被害なりが出てきたというのか。私の知る限り、「放射線が怖い」というメンタル的なものをのぞき、そのような障害や健康被害は寡聞にして聞かない。

すなわち、「今の被曝が、5年後、10年後になるとさまざまな障害として表れてくる」などという言説には全く科学的根拠はない。そういう言説は、単に「現在起こっている事象を、できるだけ科学的に、徹底的に分析する」という態度を放棄させる、「無根拠な脅迫」に過ぎない。聞き手側の、

「心配してなにもなかった、という方が、心配せずに後で何かあった、という場合よりも『マシ』だから」

という心理的な弱みに徹底的につけ込んでいるだけである。実に下劣な扇動だと言わねばなるまい。

 

このブログで何度も指摘したように、

「心配してなにもなかった、という方が、心配せずに後で何かあった、という場合よりも『マシ』だから」

という命題は全く成り立たない。心配するという行為それ自体が、「災害ストレス」あるいは「放射線神経症」とでも言うべき、心の不調を引き起こすリスクを新たに生み出すからだ。

 

 

 

というわけで、かなり理詰めで考えた。論理的な反論であれば歓迎したい。ただし「名無し」「ななし」「通りすがり」以外のハンドルネームでよろしく(笑)。

コメント一覧

しん
はじめまして。
放射能関連の記事を少しだけ読みました。
事象と正確に判断し、理路整然と述べているあたりが痛快です。
私は、こちらのブログにも取り上げられたホットスポット在住です。
もちろん避難することなどできず、可能な範囲で対処していています(って実は何もしていない)。い一方で、「私が間違っているのではないか?」と不安になることもあるのですが、そんな心配を払拭してくれて感謝しております。
はじめまして
しん様

こちらこそはじめまして。

関東では柏近辺だけがホットスポットだとは認識しておりません。常磐線に沿って、「ホットベルト」のようなものができているのでしょう。それでも、福島原発近辺とはケタが違いますから、定期的に線量だけチェックして、年間100mSv以下なら気にしないってのでいいと思います。

危険「厨」とは言いたくありませんが、危険「派」の方々が、

「おまえら、数年後に障害が出てもしらねーぞ!!」

とか言い始めたら危険「厨」と認識していいでしょう。アホの仲間入りです(笑)。なぜなら、仮にある障害が出るとして、その原因が放射線かどうかは「検証できないほど微々たるもの」なのですから。


将来、柏地域で喫煙者が肺がんになったときに、「放射線が原因だ!」などとインネンをつけて集団訴訟・・・などという展開にならないことを祈っています。そうなるとこの地域は「アホばっかりやな~」ということになりかねませんから。


お気楽に読んでいただければ幸いです。

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