できるだけごまかさないで考えてみる-try to think as accurately as possible

さまざまなことを「流さずに」考えてみよう。"slow-thinking"から"steady-thinking"へ

これだけの隠蔽体質を持つ学校集団を「いじめ隠蔽ムラ」とはなぜか表現しないマスゴミ

2012-07-14 08:09:20 | Weblog

ガンでは?と噂されていた水谷修氏が、この大津市の中学生自殺問題に関してテレビなどのメディアに急に出るようになったせいか、当ブログでもまた「水谷修」関連の検索で訪れる方が増えてきた。

いい機会だから、大津市の中学生自殺問題について、私の暫定的な考えを記しておく。

 

1 大前提

マスゴミは単なる視聴率主義でニュース編成(各ニュースの扱いの長さ、深さ)を決めるから、このネタと関連させて、

「ほらまたこれも『いじめ』だ!」

「文科省はこれだけ『いじめ』を放置していたのか!!」

などと、ミソもクソも一緒にして、今後しばらくは「いじめ」関連の報道が一気に増えることが予想される。この大津市の中学生自殺問題に関して報道するのは、それが報道上必要だと制作者が判断する限りにおいてはいくら増えようがかまわないと思うが、本当に「いじめ」なのかどうかわからない問題まで、このネタとリンクさせるかのように今後各メディアが騒ぎ出すとしたら、それらのメディアも、単に「いじめ」を「タネ」にして視聴率を稼ぎ、そのことによって広告収入を増やそうとしているだけである。すなわち「いじめ」を行った加害者と同レベルである。このことをあらかじめ明記しておく。

 

2 現時点までの報道を見て、この事件を最も象徴すると思った言葉

ニュース23、7月12日(木)の夜の放送より。

 

中学校に通う生徒:校長が「迷惑かけないって言ったのに、迷惑かけてごめん」みたいな

 

中学生が、校長の発言をどれだけ正確に覚えているかについては議論があるとしても、その主旨を大きく取り違える、ましてや生徒がその「裏の意味」までをも理解していない言葉を大きく誤解する可能性はきわめて低いと推測できるから、校長による、

・「迷惑かけないって言ったのに、迷惑かけてごめん」みたいな言葉

があったというのは、おおむね事実として判断していいだろう。

 

この言葉から、一般的な「いじめによる自殺事件」をめぐる、救いようのない「教師たちと『人権派弁護士』ら」のもつ「人間観」「いじめ事件への基本対処方針」が透けて見える。すなわち、

 

1 たとえいじめ事件があったとしても、校長(学校)がまず心配することは、「この学校の生徒に迷惑をかけないこと」である、ということ。

2 「この学校の生徒に迷惑をかけない」ためには、たとえこの中学生が自殺したのであり、その自殺の原因が、同中学校の他の生徒のいじめによるものだとしても、その事実を曖昧なまま「流す」ことが最も合理的な行動である、と学校教員と大津市教育委員会が考えている、ということ。

 

※大津市教育長である澤村憲次は、大津市議会での質疑で、この件を「市内中学生の転落死亡事故」と表現している。昨日のニュースジャパンより。

澤村「市内中学生の転落死亡事故にかかります報道等で、委員長はじめ議員のみなさまには」

 

澤村「大変ご心配をおかけいたしまして、誠に申し訳ございません」

 

市議会という場でさえ、澤村教育長が「自殺」と表現せず、「転落死亡事故」とあえて表現したのは、現時点では教育委員会のオフィシャルな見解としては、「この件はまだ『自殺』とは認識していません」と表明しているのと同じである。そう表明することで、警察など捜査機関が、

・自殺の原因がいじめであったか

を立証するだけでなく、

・この転落事故がそもそも「自殺」なのか

までをも立証させようとする、「捜査技術的牛歩戦術(立証責任を徹底的に捜査機関に負わせようとする戦術)」に走っていることを如実に示している。

 

にもかかわらず、この澤村教育長は抜けシャアシャアと、「捜査機関には全面的に協力すると言っているのに、なぜ強制捜査なんだ」などという不平を明確に表明した。同じく昨日のニュースジャパンより。

 

澤村「私としては、捜査に『協力する』と言っているのに『なんで強制捜査なんですか』と、抗議の思いをお伝えした」

 

 

・・・市議会での発言が公式発言になると理解しているから、警察にできるだけ立証責任をおしつけるために、「自殺」でなくわざと

「転落事故」

という言葉づかいをする、トコトン狡い言葉づかいをするクズ人間が、いくら「捜査に協力する」と言っても、その言葉の説得力など出てくるわけがない。この澤村は、それを理解していないのではなく、理解していても、わざととぼけているのだろうと私は推測している。 

 

バカサヨクに限らず、こういう人間のカスは、

「言葉づかいぐらいどうでもいいでしょ」

という態度をちらつかせながら、その一枚裏では、実に計算高く、

「自分が一番責任をかぶらずに済む言葉」

を慎重に選ぶ。だから人間のカスなのである。

 

 

話が大回りになったのでまた戻る。

 

3 上記の1,2より、いじめによる自殺が仮にあったとしても、「生徒に迷惑をかけない」という価値観が最高の優先順位として鎮座しているせいで、

・いじめという事実はあったのかどうか(どこまでを「客観」とするかという判断も含む)。

・そのいじめを行っていたのは誰か。

・いじめがあることを知りながら、止められなかった教師、あるいは「サイレントマジョリティ」となっていた周囲の生徒の責任はどこまであるのか。

という、「事実を精査する」というプロセスは、現場の意識的無意識的サボタージュにより、トコトン「骨抜きにされる」ということ。

 

 

さらに、この上記3点の「前提」として、以下の「基本的価値観」が存在するということも指摘できる。

 

前提a 転落事故死だろうが自殺だろうが、「死んだ人」には法律上、「人権」という概念がない。

前提b したがって、「人権派弁護士」だったり、「教師」だったり、「教育委員会」らにとっては、いじめた人物も含めて、「生きている人物の人権だけを守れればよい」と自動的に考えるようにできている。

前提c 自殺した生徒の家族という存在は、「直接的な被害者」ではないのだから、「刑法、刑事訴訟法上の被害者」とは認定されない。したがって、自殺した生徒の家族の悲痛な思いなぞは、考慮すればするほど問題がややこしくなるため、当然無視すべきだ。←いわゆる、「人権派弁護士」という存在は、ここに関してきわめてシビアである。山口県光市の母子殺害事件の被告人弁護士たちのカスぶりを思い出せばよくわかるだろう。

 

しかし、こういうガチガチに固められた「基本方針」「前提」の結果、何が生じるかというと、もしいじめが存在したとしたら、いじめた生徒たちは

・あ、なーんだ。いじめで人が死んでも、オレたちは守られるんだ。

と思い、味をしめ、最悪の場合、今後も同様のいじめを引き起こす、ということである。こういう、「やったもん勝ち」という価値観が広まることに猛烈な危機感を抱いている人間が、この「事件」に関して、学校や教育委員会に対して怒りを感じている人の何割かを占めているのだろうと推測する(残りの何割かは、単に他者を叩いて日頃のストレスを発散したいだけのバカである)。

 

 

いじめた生徒が存在し、いじめられたことが原因で自殺をしたことを示唆する、重大な発言がこれである。ニュース23より。

 

 

・男子生徒の死を知ったときの発言

・「あっ もう死んだか」って言っていた

 

これがどこまで事実かには今後大いに議論が生じるだろうから、仮にこれが「事実」だとすると、という仮定の上で書くが、こういう発言が出ている時点で、他人が死んだ、という現実の重みが、中学生になっても理解ができていない、という「厳然たる事実」がここに存在する、ということである。

 

そして、こういう「事実」を、トコトン隠そうとしたこの中学校と大津市教育委員会。このクズレベルの隠蔽体質をもつ学校組織と教育委員会を、マスゴミどもが

「いじめ隠蔽ムラ」

と名づけ、はやし立てないのは一体なぜなのだろうか。原発事故では一人も亡くなっておらず、このいじめでは中学生が一人亡くなっている。しかし原発については毎週金曜日に「バカ衆愚」どもが首相官邸の周りでバカ騒ぎをし、この問題については、あたかも何もなかったかのように周囲が取り繕うとすることを誰も「自分の問題」として考えない。やはり「衆愚」であると言わざるを得ない。

 

 

えっ?「俺はいじめてない」だって?さっきも書いただろ?

>「サイレントマジョリティ」となっていた周囲の生徒の責任

この件に限らず、「いじめ」において、「サイレントマジョリティ」となったことは今まで一度もない!と胸を張って言える日本人はどれだけいるのかね?少しは「自省」しろよ衆愚。

 

 



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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
死者の人権は無視され、生きている者の人権だけが守られる (masamikeitas)
2012-07-14 08:57:35
お初にコメントさせて頂きます。

いじめ問題も含めて思うのは死者の人権は無視され、生きている者の人権だけが守られるということです。

いじめにあった者の親は、加害者の少年もしくはその親を自分自身の手で復讐する以外方法はないでしょうか?
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はじめまして (白河)
2012-07-16 16:21:32
初コメントありがとうございます。昨日一昨日と猛烈に忙しく、お返事するのが遅れてしまいました。

理詰めで考えると、おっしゃる通りの結論になると思います。重要な問題ですので、本記事として改めて書かせていただきたいと思います。

犯罪被害者や被害者の親族が私的復讐に走らないようにするためには、何を以て犯罪とするのか、被害者をどう規定するのか、そして「私人に代わり国が犯罪者を裁く」という営みはどういうことなのか、ということに対する国民と犯罪被害者、犯罪被害者の親族の「信頼」が必要であり、昨今その信頼が揺らいでいるように感じます。
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