2010年01月16日 大学入試センター試験 現代社会 第1問 問3
下線部Cに関連して、日本における参政権に関する記述として適当でないものを、次の1~4のうちから一つ選べ。
[1] 国民投票法上、憲法改正の国民投票の投票資格は、国政選挙の選挙権年齢が満18歳以上に改正されるまで、満20歳以上の国民に認められる。
[2] 被選挙権は、衆議院議員については満25歳以上、参議院議員については満30歳以上の国民に認められている。
[3] 最高裁判所は、外国人のうちの永住者等に対して、地方選挙の選挙権を法律で付与することは、憲法上禁止されていないとしている。
[4] 衆議院議員選挙において、小選挙区で立候補した者が比例代表区で重複して立候補することは、禁止されている。
◆この問題を解くこと自体は簡単
私の理解では、大学入試の「現代社会」という科目は、より専門的な「政治経済」という科目に比べて、政治経済を分析するための知識を問うよりも、
・日々ニュースなどに触れるという「社会のできごとに関心を持って接しよう」という姿勢がどのくらいあるか。
・問題文を日本語として正しく読解できるか(問題文の中に、正答を出すためのヒントが隠れていることが大変多い)。
という観点で問題が作られていることが多いと感じている。この傾向は、教科書の記述や、センター試験の過去問を3~5年分解くだけで、肌で感じられることだろう。高校時代は倫理・政治経済が大得意だったのでなつかしい。
そんな事情もあって、この問題を解くのは簡単で、去年の衆議院選挙のニュースを、ある程度関心を持って見聞きしていれば、小選挙区で落選した候補が、惜敗率(ギリギリで負けた率)が高かった順に復活当選してゆく様子を覚えているだろうから、[4]がハッキリとおかしいと判断できるだろうと、業界人(笑)の私は推測する。ただ、「適当でないものを」という質問を「適当なものを」と早合点する生徒はそこそこ増えるだろう。まさに、[3]の選択肢は、多くの生徒にとって「???」な状態であっただろうから。
([2]は、さすがに「現代社会」の受験生であっても正しいと知識で判断できなければならない選択肢であるし、[1]も、「国民投票法も、基本的には国政選挙と同じ」と覚えておけば正しいと判断できる程度の選択肢である。)
正解・・・[4]
◆[3]のような選択肢を出題した意図は??
「[3]がよくわからなくても、[4]が確実におかしい」という判断で、問題そのものは簡単に解けるとしても、出題者が[3]のような選択肢を出題した意図は何なのか、率直に言って不思議である。
確かに、平成7年の最高裁判決では、[3]のように、「外国人のうちの永住者等に対して、地方選挙の選挙権を法律で付与することは、憲法上禁止されていない」としている。
引用元:http://www.chukai.ne.jp/~masago/sanseiken.html(最高裁の判例データベースで、PDF版でも確認した。同じ文面である)
(判決中段(理由の2段落目))
このように、憲法九三条二項は、我が国に在留する外国人に対して地方公共団体における選挙の権利を保障したものとはいえないが、憲法第八章の地方自治に関する規定は、民主主義社会における地方自治の重要性に鑑み、住民の日常生活に密接な関連を有する公共的事務は、その地方の住民の意思に基づきその区域の地方公共団体が処理するという政治形態を憲法上の制度として保障しようとする趣旨に出たものと解されるから、我が国に在留する外国人のうちでも永住者等であってその居住する区域の地方公共団体と特段に緊密な関係を持つに至ったと認められるものについて、その意思を日常生活に密接な関連を有する地方公共団体の公共的事務の処理に反映させるべく、法律をもって、地方公共団体の長、その議会の議員等に対する選挙権を付与する措置を講ずることは、憲法上禁止されているものではないと解するのが相当である。しかしながら、右のような措置を講ずるか否かは、専ら国の立法政策にかかわる事柄であって、このような措置を講じないからといって違憲の問題を生ずるものではない。以上のように解すべきことは、当裁判所大法廷判決(前掲昭和三五年一二月一四日判決、最高裁昭和三七年(あ)第九〇〇号同三八年三月二七日判決・刑集一七巻二号一二一頁、最高裁昭和四九年(行ツ)第七五号同五一年四月一四日判決・民集三〇巻三号二二三頁、最高裁昭和五四年(行ツ)第六五号同五八年四月二七日判決・民集三七巻三号三四五頁)の趣旨に徴して明らかである。
しかし、多くの人が指摘しているように、この部分は判決の「傍論(直接、判決の根拠にならない部分)」であるし、何よりも、この判決自体の上段の部分と矛盾する。
(判決上段(理由の1段落目))
憲法第三章の諸規定による基本的人権の保障は、権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるものを除き、我が国に在留する外国人に対しても等しく及ぶものである。そこで、憲法一五条一項にいう公務員を選定罷免する権利の保障が我が国に在留する外国人に対しても及ぶものと解すべきか否かについて考えると、憲法の右規定は、国民主権の原理に基づき、公務員の終局的任免権が国民に存することを表明したものにほかならないところ、主権が「日本国民」に存するものとする憲法前文及び一条の規定に照らせば、憲法の国民主権の原理における国民とは、日本国民すなわち我が国の国籍を有する者を意味することは明らかである。そうとすれば、公務員を選定罷免する権利を保障した憲法一五条一項の規定は、権利の性質上日本国民のみをその対象とし、右規定による権利の保障は、我が国に在留する外国人には及ばないものと解するのが相当である。そして、地方自治について定める憲法第八章は、九三条二項において、地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が直接これを選挙するものと規定しているのであるが、前記の国民主権の原理及びこれに基づく憲法一五条一項の規定の趣旨に鑑み、地方公共団体が我が国の統治機構の不可欠の要素を成すものであることをも併せ考えると、憲法九三条二項にいう「住民」とは、地方公共団体の区域内に住所を有する日本国民を意味するものと解するのが相当であり、右規定は、我が国に在留する外国人に対して、地方公共団体の長、その議会の議員等の選挙の権利を保障したものということはできない。以上のように解すべきことは、当裁判所大法廷判決(最高裁昭和三五年(オ)第五七九号同年一二月一四日判決・民集一四巻一四号三〇三七頁、最高裁昭和五〇年(行ツ)第一二〇号同五三年一〇月四日判決・民集三二巻七号一二二三頁)の趣旨に徴して明らかである。
この段落が、この裁判で争われていた論点に対する裁判所の判断理由そのもの(本論)であって、
その本論における、判断の根拠として
>憲法の国民主権の原理における国民とは、日本国民すなわち我が国の国籍を有する者を意味する
と明記している以上、地方議員も選定罷免する権利主体としての国民も「国民主権における国民」に他ならないのだから、先に引用した段落の
>我が国に在留する外国人のうちでも永住者等であってその居住する区域の地方公共団体と特段に緊密な関係を持つに至ったと認められるものについて、その意思を日常生活に密接な関連を有する地方公共団体の公共的事務の処理に反映させるべく、法律をもって、地方公共団体の長、その議会の議員等に対する選挙権を付与する措置を講ずることは、憲法上禁止されているものではないと解するのが相当である。
という部分は、同じ判決内の「本論」と矛盾するのだから、本論と矛盾する範囲でその判決文は無効であると私は考えるし、少なくとも大きな問題である。
しかも、わざわざ「国民主権の原理」と、『原理』までつけているわけだから、裁判官が、この考え方を、憲法の各条文の意味を解釈するための「前提」としてとらえ、判決文を書いているのだから、傍論での記述と矛盾する範囲は、本論での考え方を優先させるべきであって、本論と矛盾する傍論があり、傍論にそこそこの拘束力が仮にあったとしても、鬼の首を取ったように、「ホラこんな判例があるんだぞwww これで外国人参政権も楽々与えられる」などと見せびらかせるレベルのものでは全くないのだ。 (まさに、「鬼の首を取ったように」って、この時のためにあるような言葉である)
ここまで考えていくと、日本語の文章として、最高裁で
「外国人のうちの永住者等に対して、地方選挙の選挙権を法律で付与することは、憲法上禁止されていない」
と述べたのは紛れもない事実ではあるが、
その前後も含めた文言の妥当性には問題がある以上、「~としている」という文の締めくくり方で出題することで、「出題が適切かどうか」という問題からはギリギリ逃げたなという印象。しかし、この問題の適切さとは別に、この時期にこの事項を出題する理由は、依然として全くわからない
と私は評価する。
出題意図を最大限、出題者に好意的に解釈するならば、「今、社会では、こういう論点が議論されていますよ(というかこれからされますよ)」というサインとして出題したとなろうし(それでも「よけいなお世話だ」という批判の余地は大いに残るだろうが)、
うがった見方をすれば、こういう出題をセンター試験で行ったことをテコにして、「センター試験にもあったように、これは判例として確立してますから」という言論を作りたかった/後押ししたかったのかも知れない。こちらの意図ならば、それはかなりあくどい。しかしいかにもネットサヨク・本業左翼がやりそうなことでもある。
私としては、前者だと思いたいが、後者の確率もきっちり50%はあると思うね。この業界は、ホントにネットサヨクレベル的な前提で突っ走る人が多いからね。日教組に限らず。
◆今後へのヒント:外国人地方参政権付与賛成派は、『違憲ではない』という角度から執拗に反論してくる。でもね、そこ「だけ」が争点なわけないでしょ。
2chなどでもそうであるが、外国人参政権が議論になると、賛成派は、この判決を盾に、
外国人参政権付与は違憲ではない!!
という主旨で大騒ぎをする。例えば以下の二つのサイト。
外国人参政権問題 -外国人参政権反対派に答える- (このページだけ独立している、不思議なサイト)
外国人参政権論議でネット上に溢れる「傍論だから無効」という暴論 (プロフィールより、「神」様。お、下にありました。Forlost様)
しかしながら、この二つのサイトが全く答えていないことは、
なぜ外国人に参政権を与える必要があるのか、その理由は何か
である。
私は、「なぜ外国人に参政権を与えてはいけないのか」を、憲法とは独立した問題として、簡単に答えることができる。それは、
国籍とは、最終的にどの国の政策の責任を最終的に引き受けるかを示すものであるから、日本の政策に投票という形で口を出したいのなら、帰化なり何なりをして「日本国籍」を取得して、堂々とやればよろしい。
=
日本国籍を取得しないというのは、日本の政策の帰結に対して最終的な責任が取れないということなのだから、そういう人に選挙権は与えられない。
というものだ。
ねえ。「外国人参政権は違憲ではない!」と騒いでいる人々。なぜ参政権を与える必要があるの?そこで正々堂々と、言論で勝負しなよ。
というわけで、「外国人参政権付与は違憲かどうか」だけが論点ではないことを、賛成派も反対派ももう少し意識しておく必要があるだろう。あ、賛成派はきっとわざとだろうけどね(笑)