できるだけごまかさないで考えてみる-try to think as accurately as possible

さまざまなことを「流さずに」考えてみよう。"slow-thinking"から"steady-thinking"へ

あれから1週間

2005-11-15 05:26:14 | Weblog

 喪に服していたわけでもないが、社会生活が淡々と過ぎゆくのとは対照的に、ブログはどうも書く気が起きなかった。

 たいていは、書く気が起きなくても「とりあえず書きながら考えてみる」という姿勢で記事を書き続けてきたが、それも大いなるパワーだったということである。

 

 本田美奈子さんの死は、先週のワイドショーでの放送時間のナンバーワンだったが、本田美奈子さんが白血病で亡くなったということが、肉親を白血病で亡くした私にとって、重い思い出の引き金を引くことになった。

 本田美奈子さんは、アイドル時代も大して歌がうまいとは思わなかったが、子どもみたいな顔をして、セクシー系を本気でやろうとしていたその空回りぶりが鮮烈な印象となって残っている。本気で歌おうとはしているのだが、どうも声の伸びに無理がある印象で、音程もややずれていたように記憶している。本人も自覚していたようで、その後の猛烈な訓練の結果として、晩年の「ミュージカル女優」としての彼女の存在がある。

 

 30代なのに、「晩年」と表現せざるを得ないところに、彼女の死の、いかんともしがたい理不尽さがある。

 

 そんな彼女が、「アイドル歌手」だったある日、「私はアーティストだ」という、今にして思えばごく普通の発言をしたことが、あの松任谷由実を激怒させた。松任谷曰く、「本田美奈子がアーティストなら、私は神だ」。松任谷由実をそれほどにも激怒させる、角の立つキャラクターであった。

 

 

 

 …しかし、角が立つのも、生きていればこそである。

 

 通夜か告別式かで、南野陽子がインタビュー中であるにもかかわらずいきなり泣き崩れたり、山瀬まみが土曜夜の「ブロードキャスター」で、目を潤ませながら当時の印象をぽつぽつと語っているシーンを見たが、彼女たちは、テレビの前だからではなく、当時から強烈な印象を残し続けてきた本田美奈子が、なぜこんな時に病気などで死ななければならないのかという理不尽さに悲しみ、怒りを感じているように思う。でなければ、南野陽子のあの泣き崩れ方は理解できない。

 

 事務所の誰かの話にもあったが、白血病そのものか治療の副作用のせいで、口内炎が口だけでなく喉にもびっしりできてしまい、水を飲むのも大変だったとのこと。氷を細かく砕いて、スポンジか何かに含ませたのか、特別な方法で少しずつ飲んだという。

 あまりにも当たり前の感想で申し訳ないが、なぜ病気はそこまでの苦しみを人に強いるのだろうか。

 

 彼女の歌や、彼女の書いた詩などより、彼女の生き様や、クセのある字そのものが、はるかに多くのことを語っているように思えてならない。

 その意味で、彼女の印象を美化するつもりはない。生前のことを冷静に思い出すことこそが、死者を追悼する最も誠実な姿勢だと思う。

 最後に、南野陽子のコメントを。

>「悔しいです!!東京に出てきて初めて同じ夢を持つライバルで友達だった。私を筆頭に歌が下手で努力していない人がたくさんいるのに何で。本当に頑張っていたのに」。声を振り絞った南野だったが、最後は両手で顔を押さえ、「ワァー!!」と崩れ落ちた。

 

 「歌が下手で努力していない人がたくさんいるのに何で」とは、久々にガツンと来る言葉であった。美しい本音である。

 

引用記事

さようなら本田美奈子.さん…しめやかに通夜営まれる(サンスポ、11/9)

(引用ここから)

6日に急性骨髄性白血病で亡くなった歌手、本田美奈子.さん=本名・工藤美奈子=(享年38)の通夜が8日、埼玉・朝霞市斎場でしめやかに営まれ、一般弔問客1200人、ファン1500人の計2700人が故人の冥福を祈った。また、所属事務所の高杉敬二エグゼクティブプロデューサー(66)らが、美奈子.さんの遺志を継いで白血病患者の支援プロジェクト「LIVE FOR LIFE」主催によるチャリティーコンサートを行うことを発表した。葬儀・告別式は、9日午前10時から同所で。

「もう一度歌いたい」

美奈子.さんが最後まで願い続けた思いを叶えるため、そして同じ病気と闘う人たちを支援するため、来年にもチャリティーを兼ねた追悼公演が開かれることになった。

白血病患者支援プロジェクト「LIVE FOR LIFE」は、今年5月に病床の美奈子.さんが「病室にいる私にできることはなんだろう」と高杉氏に訴え、「同じ苦しみの中で頑張っている人たちの代表として、みんなに勇気と希望のエールを送ることが私の使命」と設立した。

発起人には美奈子.さんが師と仰ぎ、故越路吹雪さんのマネジャーでもあった作詞家、岩谷時子(89)さんや歌手の岩崎宏美(46)、松崎しげる(55)らが名を連ね、NPO(非営利団体)法人をめざした。また、同プロジェクトのテーマソングも完成し、あとは美奈子.さんの回復を待って、チャリティー公演を行うだけだった。

高杉氏は「美奈子の残した財産なので、大事にしていきたい。1回や2回でつぶれるようなコンサートにしてはいけないから」と、じっくり準備段階を設けて臨む意向を明かした。

ただ、来年には発起人に名を連ねる岩崎や松崎をはじめ、ミュージカル「ミス・サイゴン」で美奈子.さんの恋人役を演じた岸田敏志(52)ら歌手仲間が一堂に会し、天国の美奈子.さんに届けてとばかりに第1回のチャリティー公演が実現する運びという。

また、この日「笑顔」=別項=と題した遺稿も発表された。「辛い時、悲しい時、あせらないでね。自分だけが不幸じゃない」と自らに言い聞かせ、「自分自身、豊かな笑顔が増えたら、きっと周りにいる人達にも、幸せ届ける事ができるでしょう。笑顔がいちばん」と、最後まで明るい笑顔で前向きに生きた美奈子.さんらしい文章だった。

祭壇には700本の供花に囲まれ、美奈子.さんの遺影が微笑んでいた。昨年11月にカレンダー用に撮影されたとびっきりの1枚だった。棺にはファン代表の手紙やCDが入れられ、BGMにはアルバム「AVE MARIA」が絶え間なく流れた。

★思い届かず…

誰からも愛された美奈子.さん。この日も生前から親交のあった仕事仲間や友人らが次々と弔問に駆けつけた。

東京・明治座での舞台を終えて駆けつけた女優の南野陽子(38)は、ひと目もはばからず、号泣し、泣き崩れた。

堀越高校でのクラスメートで公私ともに仲が良かった。闘病中は何度も病室を訪れ、亡くなる前夜も病院を訪れた。

「人ってこんなに苦しむものなのかと…。その時はもう昏睡状態で全然動けなかったけど、ママが、『ナンノちゃん来たよ!』って言って手をさすると、涙を流してくれて…。でも、『ウッ、ウッ』って呼吸が苦しそうで。それでみんなが『分かった?』って言ったらまばたきしてくれたんです」と嗚咽。だが、必死の思いは届かなかった。

「悔しいです!!東京に出てきて初めて同じ夢を持つライバルで友達だった。私を筆頭に歌が下手で努力していない人がたくさんいるのに何で。本当に頑張っていたのに」。声を振り絞った南野だったが、最後は両手で顔を押さえ、「ワァー!!」と崩れ落ちた。

舞台「レ・ミゼラブル」で共演した岩崎宏美は「今寝ている姿を見たら病院のときと違ってすごくきれいで、もう頑張らなくていいというか天使になっちゃったんだと思った」と絶句。「友人でいられたことを誇りに思ってるし、舞台でドキドキしても美奈子がいると思うと頑張れると思う。彼女の思いを私の声に乗せて届けていきたい」と遺志を継ぐことを約束した。

★ファンも涙、涙、涙 

斎場の入り口横にはファンのための献花台が用意された。台の前には常時200人ものファンが列を作り、合計1500人が参列。一般弔問客の1200人と合わせて実に2700人が参列し、あまりにも早すぎる死を悼んだ。

ファンの中には、喪服姿も多く、美奈子.さんの曲が流れる中、遺影に手を合わせた。携帯電話のカメラで記念に撮影する若いファンの姿も見られた。

東京・小金井市から娘と孫の3人で訪れたという主婦(54)は「本田さんのファンだったので、病気になってからもずっと応援していました。3年前に20歳の息子が同じ病気で亡くなりました。本田さんには、天国でも歌っていただき、息子と会ってもらえればと思います」と声を詰まらせ、涙を流した。

★追悼番組

テレビ東京が、11日放送のバラエティー「たけしの誰でもピカソ」(金曜後10・0)で。昨年5月に美奈子.さんがゲスト出演したときや今年8月に特集した際の映像などを放送する。

◆早見優

「高校から一緒。舞台『レ・ミゼラブル』も3年間一緒でした。私が失敗しても『大丈夫だよ』と励ましてくれた。(闘病の)10カ月は本当につらかったでしょうね。歌は本当に上手。越路吹雪さんみたいになるんだといってた。ファンを大切に思っていたから…家庭という縁があれば、そういう選択もあったでしょうが。(焼香し)『本当にありがとう。会ったことは絶対忘れない』と言いました」

◆工藤夕貴

「私と親戚じゃないかという噂があった分、応援、尊敬していた。遺影を見て本当に逝っちゃったと思った。今まで実感がなかったけど、本当に…。絶対元気になってくれると思ってた。私は来世を信じているので、早く生まれ変わって私たちの前にもう一度現れて、歌手になってほしい」

◆ミュージカル「クラウディア」で共演した俳優・寺脇康文

「退院したらお寿司をごちそうする約束をしてたんですが…。金曜日に見舞いに行った時、呼びかけると、意識が混濁している中で、一生懸命こたえてくれたんです。天使のような方だった。本物の天使になって、天国で思いっきり歌ってほしい」

■主な弔問客

秋元康、天海祐希、ANRI、井森美幸、岩崎宏美、小倉智昭、かたせ梨乃、河相我聞、岸田敏志、工藤夕貴、シルビア・グラブ、涼風真世、高嶋政宏、立花理佐、寺脇康文、徳光和夫、長山洋子、夏木マリ、西田敏行、服部克久、早見優、ヒロミ、松本伊代、松本典子、南野陽子、村井国夫、YU-KI(TRF)、渡辺美奈代

■3月に病床で作詞用に綴った遺稿

2005.3.5
作詞 本田美奈子.

笑顔

子供も、大人も、おじいちゃんも、おばあちゃんも、
みんな、みんな 笑っている顔が素敵。
怒っている顔よりも、泣いている顔よりも、困っている顔よりも 笑顔が一番!!
きっと笑顔が幸せ呼ぶと、頭では分かっていても、
心では、なかなか分からない人が、多いんじゃないのかナ!?

心が開いて、心の目で、周りを見渡してごらん、
きっと、小さな幸せの芽が、見つかるよ。
そして、そこから少しずつ、笑顔が生まれてくる。
笑顔が生まれ始めたら、喜びに変わるのも、もうすぐ。

でも、人は生きていて、辛い時、悲しい時、涙が止まらず心が開けない時、
勿論、沢山あると思う。そんな時は、あせらないでね。自分だけが不幸ではない。
もっと、心が暗闇に閉じ込められている人達も、
沢山いることを、少しだけ思い出してみて。

自分の力で、心を開く人もいれば、誰かの愛で、心を開いてもらう人もいる。
気が付かないうちに心が開いて人もいれば、歌や音楽で、心が開く人もいる。
それは、人それぞれだと思うの。

人は心が閉じたり、開いたり、いろいろな経験、そして、沢山心で感じることによって
豊かな心を持ち、豊かな笑顔を育てて行けるのではないのかナ!?と私は思います。
自分自身、豊かな笑顔が増えたら、きっと周りに居る人達にも、
幸せ届ける事が出来るでしょう。

笑顔がいちばん

 

(引用ここまで)


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