伊集院光の日曜のラジオ番組の月一アシスタントだったり、「がっちりマンデー」や「E娘」などでたまたまよく見かけていた、TBSの元アナウンサーの川田亜子が、29歳で自殺した。ただ、自殺ではないかも知れないという一部報道もあるので、自殺は確定事項ではないし、その原因についても、いろいろな情報が錯綜しているので、現時点では何とも言えない状況だ。したがって、以下の文章は、「私が引用した報道が事実ならば」という条件つきのものだと思ってほしい。
川田アナ「報道志望」仕事に行き詰まり…(日刊スポーツ 08.05.29)
(引用ここから)
26日に自殺した元TBSアナウンサーでフリーの川田亜子さん(享年29)が、亡くなる数日前にカウンセラーに悩みを打ち明けていたことが28日、分かった。川田アナが訪れたのは都内在住のカウンセラーA氏(38)で、主に仕事に対する行き詰まりを打ち明けたという。また、所属事務所はこの日までに川田アナの密葬を終えたことを発表した。
川田アナが自分で調べて存在を知ったカウンセラーのA氏を訪ねたのは今月中旬。初対面で約40分のカウンセリングは、川田アナが悩みを打ち明けることに多くが費やされた。
A氏 最初に孤独な感じですねと切り出すと「分かってもらえるんですね」とホッとした表情で答えていました。執筆業に転職しようか迷っていると。また「国(金沢)に帰りたい。その方が普通の幸せを得られるかも」とも言っていました。
私が「もう少し頑張れば」と返すと、報道の仕事に携わることを希望し、昨年春フリーに転じたものの、思うようにならない現実を打ち明け始めたという。室内のテレビには数日前に発生した中国・四川大地震の悲惨な現場が映し出されていた。「私は9・11テロをテレビで見て、アナウンサーになろうって思ったんです。今なら、リポーターとして中国四川に飛んで、仕事の傍らでボランティア活動をしたいのに…」と、寂しそうに見つめていたという。
A氏は多くの女性が悩んでいるだろう恋愛についても尋ねている。
A氏 「結婚はいつできると思いますか? でも、特定の人はいないんです。私は本気になれないみたい」とは話していました。孤独さは感じましたが、失恋などに陥った雰囲気はなかった。思い返しても仕事への失望、絶望感はあったけど、恋愛問題が自殺の要因になったとは思えません。帰り際に「またうかがってもいいですか?」と尋ねられた。まだ、うつ病のレベルでもなかったし、自殺だなんて、今でも信じられないんです。
川田アナの葬儀は遺族の強い希望でこの日までに密葬で営まれた。自分のブログにつらい心境を明かし続けた末に迎えた死の大きな要因に仕事があったようだ。
(引用ここまで)
>A氏 最初に孤独な感じですねと切り出すと「分かってもらえるんですね」とホッとした表情で答えていました。
カウンセリングに行き、始めからすらすら自分の悩みや思いを打ち明けられるということはほとんどない(逆にその方が嘘くさい)ので、カウンセラーが最初に話を切り出すことに関しては何の違和感も感じないが、「分かってもらえるんですね」という答えには、「自分が話さなくても、カウンセラーには自分の悩みを察してほしい」または「察してもらえるのだ」という種類の甘えを感じる。
>私が「もう少し頑張れば」と返すと、報道の仕事に携わることを希望し、昨年春フリーに転じたものの、思うようにならない現実を打ち明け始めたという。室内のテレビには数日前に発生した中国・四川大地震の悲惨な現場が映し出されていた。「私は9・11テロをテレビで見て、アナウンサーになろうって思ったんです。今なら、リポーターとして中国四川に飛んで、仕事の傍らでボランティア活動をしたいのに…」と、寂しそうに見つめていたという。
「報道の仕事に携わることを希望し、昨年春フリーに転じた」と川田さん自身も語っているようだが、彼女が所属していた事務所は、アナウンサーのほとんどいないケイダッシュである。まだアナウンサーとしての技術も固まっていない、しかも、他のアナウンサーよりアナウンス技術が決して高いとは言えない20代にフリーとなり、アナウンサーがほとんどいない事務所に籍を置くだけで、「報道の仕事」がある程度でも回ってくると、彼女は本気で思っていたのだろうか。だとしたら、死人にむち打つようで申し訳ないが、甘すぎると言わざるを得ない。
ラジオやテレビを通して彼女を見たり聞いたりしていたときの印象もこのままであった。志はどうあれ、番組内での扱われ方はどうあれ、アナウンサーであるのなら、要求されている「ニュース読み」の技術がその評価の最大の源であるはずなのだが、彼女はニュース読みでも普通に噛むようなアナウンサーであった。それでは、いつまでも「報道」の仕事など回ってくることも期待できないだろうし、読みの下手さを「キャラ」で隠すような「自分の売り方」にならざるを得ないだろうに。そう、例えば久保純子や内田恭子のように。フリーになった彼女たちに、報道の仕事がどれだけ回ってきたというのか?
残念なことに、そのような、下手さをキャラで隠すような姿は、彼女がフリーになっても変わらなかった。ただ疲れていっただけである。
>私は9・11テロをテレビで見て、アナウンサーになろうって思ったんです。
この部分は、ソースは別だろうが、彼女の死を扱った番組のほとんどで触れていた。率直に疑問なのだが、この言葉に共感できる人はどのくらいいるのだろうか?
例えば、「祖父の死を通して、私は絶対に将来医者になると決心したんです!」と、涙ながらに語る大学受験生がいるとしよう。あなたが某大学の医学部のスタッフだったとして、その動機だけで、彼(彼女)を医学部に合格させるだろうか?
あるいは、あなたが患者だったとして、技術はどうあれ、そういう動機を持つ医者に、優先的に自分の命を預けたいと思うだろうか??
答は自明であろう。
私の知る限り、彼女のラジオ・テレビ上でのパフォーマンス(ニュース読みやタレントとしての活動)や言葉からは、「アナウンサーとしての技術」という視点が決定的に欠けているようにしか思えなかった。
ネットでは、まるで彼女がいじめられて自殺した子どものように、「誰が悪い」「こいつが悪い」などと、無意味な犯人捜しが繰り広げられているが、彼女は、自分の行動を自己決定もできるし、そうすべきである立派な「成人」であるし、アナウンサーという仕事は、その仕事が、このように、不特定かつ大多数の人に見られてしまう(というかそれが仕事なのだから)性質のものであることまで考えれば、彼女をアプリオリに「無垢」と決めつけ、感情的に擁護することは、彼女の生きてきた人生をただ侮辱すること以外の何物でもなかろうに。
彼女が亡くなったことは「痛ましい」 ことなのだが、人が亡くなった瞬間、その人の生き様が完全肯定され、「犯人捜し」「黒幕捜し」が始まるというのは、単に人の生き死にを「ネタ」として「消費」してるだけである。情けないと言うより、国民一般の想像力や思考力がここまで低下したのかと、開いた口がふさがらない。まさに「学力低下」の一側面がここにも現れていると言えよう。
ちなみに、自殺した人間は、死んだ後にこのようにいろいろと語られることに対して、一切反論できない立場に立つということは、少なくとも知っておくべきだろう。潜在的な自殺希望者諸君よ。
一応言っておくと、私は、現実逃避として死を選ぶ連中よりは、どんなに汚らしくても、必死に生き続けようとする連中の方が好きである。そういう生き様が私の障害になるようなら(例えば、私が犯罪被害者になりかねないときなど)、私も必死に自己防衛するだけだ。そういう「生への意志を正面から見据えようとする姿勢」が、硫化水素自殺報道や、今回の報道に触れるにつけ、完全に無視されているというか、「自殺する側にも事情があるのだから察してやろうぜ」というレトリックで隠されつつあることに関して、心の底から憤りを感じている。
自殺した人の生の状況をできるだけ正確に把握しようとせずに、「自殺する側にも事情があるのだから」などと理解者ぶるのは、「やさしさ」ではなく、ただ「自分をやさしい人だと思いこみたい強迫観念」に過ぎないということを知るべきだろう。
こんなカウンセラー信用できないな。