先日は「母の日」でしたね。
実母には、「散歩を積極的にしないと、もっと足が衰えるよ」という意味で、
「ステッキ」(トレッキングポール)を。
義母には、家内にしなくていいと言われてたけど、
そういう訳にもいかないので簡単なお菓子を。
それぞれプレゼントしました。
母の日がらみで、
主婦業、年俸1200万円=米社が「母の日」で試算(時事通信)
こんな記事もありましたね。
起算金額が無茶なのも、金額そのものには何の意味もないのは、皆さん100も承知だと思います。
金額がどうこうでなく、休日の全く無い家事育児は、アホな亭主が想像する以上に、とても大変だって事で。
「こんな起算はバカバカしい」と、目くじら立てる亭主もおかしいし、
「貴方より金額に直すと高給で大変なのよ」と亭主に強く言い寄る主婦もお門違いです。
休みなく家事育児する母に、労いの意味と、感謝を忘れるなって意味の「母の日」にからめた単なる話題性の記事ですね。
で、私の「母への想い」はというと、
母ですから、私に「生」を与えてくれた訳で、
今の私があるのも、息子に恵まれたのも、「生」を頂いた母のお陰ですから、
勿論、感謝しています。
しかし、
「人として」「一、人間として」は、
正直言って、あまり好きではありません。
というか、この母に生まれた事を憎んだ時期もあります。
というのも、
母は、3度家出をしています。私達子供4人残したまま。
一度目は、私がまだ5,6歳頃だったと思います。
私は、今の日本では見かけなくなった、「典型的な貧乏家庭」に育ちました。
その頃は、祖父母の納屋に住んでいました。
父は「飲んだくれのろくでなし」の典型で、決まった収入は無く、日雇い的なその日暮らしをしていました。
ある日曜の夕方、母と兄弟の5人で、近くの川原を散歩していました。
私と下の妹は土手の草花を摘んだりしながらはしゃいでいると、母と上の2人の姉が泣きじゃくり出したのが見えました。
「どうしたん? どうしたん?」と、姉や母に聞いても何も答えてはくれませんでした。
次の朝、
母の姿はありませんでした。
昨日のは「これだったんだ」とすぐに分かりました。
まだ幼い私は、勿論泣き喚きました。
一番上の姉は、「おかあちゃんも辛いんだから、○○も(私の名前)我慢しなさい、すぐ帰ってくるから」
と、なだめられました。
理由は、父の暴力と生活不安だったように記憶しています。
身の回りの事は、殆ど兄弟で手分けしてしたように思います。
食事は祖父母のところでお世話になりました。
父は帰らない日もあったように思います。
幼い私は、私達を残して出て行った母なのに、「お父ちゃんが悪いからだ」と、
父を憎みました。
子供って、どんな状況でも母の味方ですね。
つづく
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