「相棒の短所も自分の業」
参考過去記事「人の事」
こちらは大雑把な意味でしたが、
今回は、夫婦とか、親とか、切れない関係にある人との事。
どうして私の親はこんななんだ!? とか、
どうしてウチの旦那は(嫁は)こんななんだ!? って、思う事あるでしょ。
「ない!」なんて言ったら嘘ですよ。
誰にでも「鼻に付く(目に余る)欠点」はある筈です。
(コトの大小は別にして)
それが、自分にとって、とても嫌いな部分だったりするでしょ?
あれはどうしてですかねぇ・・・。
私が思うに、
それは、自分(貴方自身)が「とても嫌いな部分」だからです(笑)
自分がとても嫌いな部分を有しているパートナー(親・伴侶)に巡り会わせられてるんです。
ん~と、
Aという欠点を持っている親の元へ、
Aという部分がとても嫌いな自分(貴方)が生まれる訳です。
Bという部分がとても嫌いな貴方に、
Bという欠点を持っている旦那(嫁)と巡り会う訳です。
全ては、「業(カルマ)」という事です。
そうかなぁ?と思います?
では、
Bという部分がとても嫌いな自分に、
Bという部分ではなくCという部分の欠点しかないパートナーと出会っても、
後に貴方は、Cという部分がとても嫌いになる筈です。
えへへ(笑)
変ですけど、そんな感じですよね?
という事はね、
嫌いだから巡りあうんだけど、意識していなかった部分でも、巡りあうから嫌いにもなるって事なんですよ。
私はならない!欠点には目を向けない!って人は、
素晴らしいです。人間が出来てますね。
私自身は、人間が出来てないので、そういう風にしないと、とは思いますが、
完全には出来ません。
また、逆に良い方の場合でもそうでしょ。
Aという部分を尊敬する貴方に、Aという部分は持ち合わせていないけど、
Bという良い部分を持っているパートナーと一緒になったら、
Aという部分は尊敬しつつ、Bという部分も尊敬出来る様になる筈です。
言い換えれば、Bという良い部分を知らなかった貴方だから、
Aでなく、Bを持った人がパートナーになる訳です。
ね? 全ては「業」です。
貴方の成長の為に「最適な環境」を常に与えてくれてるのが「宇宙」であり、「親・伴侶」であり、それが貴方(私)の「業」なのです。
良い部分も、悪い部分も。
常に宇宙は貴方に最適な経験を与えてくれています。
もし、今、貴方が親やパートナーの事で、苦しんだり悩んでたなら、
その苦しみや悩みは、
相手でなく、貴方自身の課題です。
その問題が、今(後に)、貴方に必要な(乗り越えるべく)出来事だからです。
「相棒の短所も自分の業」
いつもコメント助かります。
「魂の為」というか・・・
確かにそういう部分もあるとは思うんですが、
何と言うか、
現世においての他の部分にも関係する「人としての心のあり方」とでも言いますか、
我親を憎むより好く方が健全な状態ですし、
親に対して健全な状態で「良い心」で居れる方が良い現象を生みやすいのは知っての通りだと思います。
「悪い感情を良い感情に持っていく」その過程は、
今世での自分の成長や器であり、
それは今世での自分自身を「良い状態」で生きやすく、心を健全にする今世自体の為。
それが結局「魂」のレベルアップになるんではないかな、と思っています。
こんなのでどうですか?
ナチュラルにそうたれたら好いですね~
毎度どうも、有難う。
そうです、相手は自分の姿見ですね。
親・伴侶の違いはホント、辛いですね。
しかし、それも自分の修行の内。
丁度、私も自分の母について書きかけています。
(一向に進んでませんが、シリーズにします)
私は、自分の母が人間的には嫌いです。
全て周りのセイにする人でした。
しかし、親は選べません。
そんな親でも、自分を生んでくれた大切な母には変わらないのです。
「大切な母」と言える様になるまでが、自分の修行です。
人は「弱く」「汚い」生き物です。
母がそんな醜い人間だとしても、母として大切に思わなければいけません。
人間の弱さ醜さを知り、受け入れる。
私の母と題するシリーズも読んでみて下さいね。
『業』の深さだと思います。
前世、来世‥ありますが、業の深さ加減によってハードルの高低がきめられてるんでしょ~ね‥
けど、親・伴侶への決定的な違和感は辛いですよ!