ーーーまえがきーーー
東日本大震災発生から2ヶ月が過ぎた・・・。 その間、被災者支援は充実とは言えないが少しづつ進んできた。 しかし福島第一原発では、6~9ヶ月をメドに安定さすという工程が発表されたが、危機的状況を全く脱せないまま。 さらに1号機では、津波後早い段階でメルトダウンしていた事が判明し、東電や政府の対応の遅れが取り返しのつかない事態に発展させている。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 前回記事 「安全神話」原発の嘘.3
正直、
社会構造ってそんなものです。
(しかし、とは言っても原子力の場合は「科学」までを後付けの理論武装に使うところや、危険度が全く違う為、特異中の特異である)
会社だってそうだという例を経験を交えて示すと・・・。
私の勤める会社は物流企業です。
物流企業の「使命」は、
公共道路を使う「安全」と、
荷主企業に答える「安心」で、
それらが「品質」という事です。
物流企業の「品質」というのは、なかなか長い時間をかけないと「バレ」ないものです。 一言で言ってしまえば、【「安全」 (事故無く)に、「安心」 (商品を傷めず)を届ける】という至極簡単な作業で対価を頂くわけですから。
しかし、ハインリッヒの法則の通り、一度重大な事故を起こすという事は300余の「ヒヤリハット」が存在している筈で、度々事故(交通事故・貨物事故含め)を起こす企業は、数多くの「一歩手前」があり、そこには無数の不注意が存在する。
ドライバーの質を高める事が会社の姿勢であり、企業イメージであり、企業理念である。
今ではその頃と比べると (大手から見るとまだまだでしょうけど) かなり良くなったと思います。 その間、様々な出来事があり、私は経営陣とかなり「やりあい」ました。 当時の弊社の経営陣は、とにかく「走らせろ!」で目先の売上利益優先でした。 混載してはいけない商品も混載するし、こちらの勝手な積み合わせの為に片方のお客様の指定時間に延着してもなんのその。 定期で頂いている仕事なのに勝手に途中で他の仕事を足してみたり、配車そのものを忘れていたり、小さい事故は度々するわ・・・それはもうメチャクチャでした。 そんなだから、労務管理も「労基違反」は当たり前です。 当たり前どころか、違反していない従業員を探す方が大変だったでしょう。 私はこんな事を続けていれば、いつかは「大事故を起こし」「お客様の大切な商品を頻繁に痛め」、いずれ会社の信用は無くなり、仕事は減り、衰退の一途を辿ると思い、意識改革(経営陣の)を図ることに決めました。 「安全」の為には、 ドライバーの交通安全意識を高める「教育」が必要です。 「安心」を高めるには、 ドライバーに商品知識含めた商品事故防止の「教育」が必要です。 それらの情報を共有し、リスクマネジメントしていく事が重要なのは言うまでもありません。 が、 肝心なのは、それらを経営陣が本気で取り組む姿勢が無いと話になりません。 「安全教育」に時間を割きたいと提案すると、 その運行できない売上はどうするのか?と返ってきます。
15年程前の弊社の「品質」は酷いものでした。
私が、そういう「正論」を前面に、
あまりに低賃金な運行の改善を求めると、
その人件費増は誰が払うんだ?と返ってきます。
あまりに酷い労働条件の運行改善を求めると、
その経費増売上ダウンはどうするのか?と返ってきます。
でも一応弊社は以前から東商リサーチ「A」格付けの会社です。
そして必ず、
会社が保たれないと給料も払えないのよ!?
という決め台詞が返ってきます。
(苦しい経営環境ならそういう台詞も理解出来ますが)
そんな事は分かってますって!当たり前です。
経営を健全に保つ事は、経営者の最重要課題です。
経営が順調でないのに「綺麗ゴト」ばかり言ってられません。
そんな事は充分分かっています。
弊社は表向きは健全経営です。「A」格付けだから銀行からの信用も高く、要りもしないのに「借りてくれ」「借りてくれ」と頼まれます。
しかし、その財務状況は、殆どが「違反」だらけで「違反」を誤魔化す仕事の下に成り立っています。
いくら経営が大事だからと、
労基違反を放置していては、いずれ必ず痛い目に遭います。
運送事業運輸安全規則を無視し、コンプライアンスをしようとしないまま放置しておけば、いずれ必ずドエライ目に遭う事でしょう。
そしていつかは「品質」がバレて、顧客の信用を落とし、銀行の信用を落とす事になるのです。
この10年ほど、経営陣とやりあう中で痛烈に感じた事は、
「正論」は通じない!という事でした・・・。
「基本」の考え方が違うんです。
当時の経営陣の「考え方」は、どんなに内情が「違反」だらけでも、第一優先は売上・利益です。
しかし私は、第一は「安全」が優先だという主張です。
「安全」のないところに「信用」はあり得ません。
「安全」を抜きにしないと「利益確保」できないのなら、事業をする資格が無い!と言えます。
だから基本の「元」となる優先順位が違うのです。
基本の「元」となる優先順位が違う人との話しを前進させるには、譲歩しかありません。
だって、この場合、私はその「会社員」でしかないのですから。
ですから私は、一歩一歩向こう(経営陣)が出来る事から引き出そうと考え、かなりの長期戦になる覚悟をしました。
まず、私は「イエスマン」になりました。
(悪く言うと、一旦魂を売りましたが、最終目標の為です)
どんな無理な運行でもドライバーに「NO」と言わせず、売上UPに専念しました。
それを何年かすれば経営陣からの「信用」を得られると思ったからです。
経営陣からの信用がないと、私の意見はこれっぽっちも通りませんからね。
で、それはまんまと的中しました。
経営陣からの信用を得た私は、 「小出し」に意識改革に乗り出しました。
一気に攻めると反感を買い、それまでに築いた信用は一瞬にしてなくなります。
なので、小出しに、出来そうなところから改善案を提案し実行していったのです。
問題のある「運行体系」を一気に改善するのではなく、1箇所降し先を減らしたり。
問題のある「給与体系」を一気に全部改善を進めるのでなく、1部分の千円からとか。
問題のある「管理体制」を全て曝け出して「これだけ法令順守されてません」ではなく、その中でも優先順位を決め1つ1つ改善策を実施していきました。
(勿論、今も全て実施過程です)
そうして、一時は納得できない事も容認しながら1つ1つ理想に向けて改善し、利益の落ち込みを最小限に食い止めながら、今も「最終目標」に少しづつ近づけているのです。
さて、どうでしょうか?
問題の大小は別として、
考え方の違う者、ましてや実権を握る権力者に対しては、
【まず信念を貫き、最終目標まで諦めない決意を持ち、一歩一歩それに近づける努力をする】
【その過程途中では、 納得していない事でも最終目標の為に、甘んじて「通過点」として譲歩し、その時々での妥協点を見い出していく】
という事が大事だと思います。
これを原発の問題にあてはめるとどうでしょうか?
危機管理が完全でない原発を推進してきたのは政・官・産・学がガッチリスクラムを組んだ【原発推進派】の「権力者」です。
危険だから停止・廃止を求めてきたのは【反原発派】で「本来の安全を求める市民」です。
巨大な「利権構造」の前には、どんなに「危険性」を訴えようが、嘘で塗り固めた「安全」を超一流大学の教授が謳うのですから「廃止」なんて答えを出す訳がありません。
既に利権に狂った政官産学が推進し続ける原発が存在している日本に在住している「いち日本人」でしかないのですから・・・。
だって、この場合も、
弊社の場合、 私が一気に理想の安全を求めたとしたらどうでしょう? 間違いなく閉職に追いやられ、発言権すらなくなるでしょう。 そうなると、「優れた財務状況」と「本当の安全」の両立は、いつまでも手に入りません。 永遠に理想の形を具現化する事は出来ないのです。 危険だから運行を改善しろ! 危険だから廃止しろ! どこの国でもやってる! 倫理観のない権力者の意見は、どの世界でも同じです。
最悪一気に「首」にされるかも知れません。
そんな事はどこでもやってる事だ!
そんなに気に入らないのならお前が辞めろ!
そんなに原子力が気に入らないなら電気を使うな!
ね?
ここまでだらだらと説明したのは、
「正論」ばかりを主張しても解決にはならない。
という事が言いたかっただけなんです。
だけど、社会全体の構造が殆ど同じで、会社だってそうだと例を述べておかないとこれまで頑張ってきた反原発派の方々には「暴論」と取られ兼ねないからです。
ハッキリ申し上げると、反原発派の主張は一貫して「廃止、もしくは停止」です。
しかし、その結果、何一つ変わらなかったのです。
勿論、それが理想なのは言うまでもありませんが、「廃止・停止」しか求めなかったからこそ、どんどん理想の「廃止」が遠退いてきたような気がしてなりません。
反原発派のデモや裁判でも、「廃止・停止」ではなく、
地震や津波の際の「安全性を高める追加工事」を求めていれば、
もしかすると、福島のような最悪の事故だけは避けられたかもしれない・・・。
「廃止・停止」と一気に理想を求めた為に、
結局、何も解決しないまま「事故の日」を迎えてしまった・・・。
そんな気がするのです。
こんなのは結果論に過ぎません。
今だからそんな後付けのような事が言えるんだ!と言われてもその通りです。
これ→ 「安全神話」原発の嘘・2 にもお断りしているように、
これまで(震災前)にもずっと「原発に対する危険性」を唱えてきた方々に物言う資格はありません。
問題が起きてから問題を問題として捉えた者が、問題が起きる前から問題視してきた方々に対し、何も言う資格などある筈がありません。 原発を推進してきた「権力者」に対し、「問題」を提起し続けてきた方々には、本当に敬意を表します。
その方法として、「廃止・停止」の一本槍では、 大きな力の前には、求めた「理想」が大き過ぎたのではなかったか・・・。 折角、今回の事故が起こるずっと以前から反対運動を続けてきていたのに、今回の事故が防げなかったのが残念でなりません。 これまで必死に頑張ってこられた「反原発派」の皆様、偉そうな事言ってすみません。 残念で仕方なくて、「もう少しアプローチが違っていれば・・・」と思ってしまいました。ごめんなさい。
しかし、
これまで原子力発電に対し全くの無知だった私が、事故後初歩のしくみから、推進派と反対派の対立、数々の運動や判例を見ていく中で、率直に出てきた感想です。
とは言え一番悪いのは、危険を承知で嘘の安全を唱えてきた「推進派」に違いありません。
でも、権力者というのはそんなものです。
世界なんて、日本なんて、人間なんて・・・。
その程度の倫理観でしか形成されていないのが現実です。
人間は、まだその程度の「完成度」でしかないのです。
だから、
権力でなく、財力でなく、学歴でなく、私利私欲でなく、
倫理観を持った人間が世の中を変えていかねばなりません。
大事なのは「命」です!安全です!
事故が起こらなくても被爆者を出しながら、汚染水を出しながら、使用済み核燃料を何百年管理しながら発電しなければならないなんて愚か過ぎます。
そして、実際に「絶対に起こらないと言ってきた」事故は起こってしまいました。
その事故後も「推進」姿勢を変えない識者は頭がどうにかしています。
地震の少ない他の国とは比較してはいけないのです。
今でも(5/31現在)、工程表は出したものの終息の兆しすら見えないどころか、隠蔽体質がまたぞろ明るみになってきています。
さて、次回からは、推進派のデタラメと反対派の意見を比較してみます。
(既に各所からいろいろ出ていますので必要ないかもしれませんね 笑)
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