艦首にある菊花紋章は1.5mあります。既成品はないので製作します。試作してみましたが上手くいきません。花びらひとつずつばらばらにして削り込みます。(両面テープで貼り付けているベースはZippo1933replicaです。今はプレミアがついてかなりの値段のようですが)
仮止めしてみました、表面が汚いので磨きこみをします。
参考にしているのはこれ、実家近くの宗像大社の門に取り付けてある菊花紋章です。高校の日本史の教科書、最初のほうにも名前が出てくるのでかなり歴史がある神社です。周辺には多くの古墳群があります。
航海士さんの言われるフェアリーダー裏側の箱とはこれでしょうか?大和海底探査でもそれらしいものが写っていました。何に使うものかは不明ですが、艦首旗竿に関係するものかもしれません。
この艦首部に「軍艦武蔵」出てくる艦首聴音機室まで降りるハッチ(8つの留め金付)があるはずなのですが写真からは判別不能です。
大和魂さんが言われる天幕支柱用の留め金は他艦からの推定では円環になっているようです。これは木甲板上にもあります。
帰国時に写真のようなコルクのブロックを買ってきました。ボルトを貫通させ船体をベースに固定します。
工作や、運搬するときは四角のブロックを下に敷いておきます。航空便でも大丈夫かな?
1944.10.24 64年前の今日、半日に及ぶ戦闘の末、武蔵はシブヤン海に没しました。戦闘の犠牲になられた方々の御冥福をお祈りいたします。合掌。
他艦の図面では直径20mmぐらいで描かれていますが、写真では手摺の倍近くあるようです。0.6mmと0.4mmのプラ棒で作リ直しました。
鎖は真っ黒だととても違和感があったので銀/つや消し黒の上にグレーを重ね塗りしました。
シブヤン海の海戦で傾斜復元が困難になった武蔵は、左舷側の錨を投棄しています。ケンターシャックルと言われるばらせる鎖から先を海中に投棄したようです。
留め具(枝分かれしている鎖)のコの字型の部分をハンマーたたくと、留め具が外れるようになっています。通常はターンバックル部でしっかりと鎖甲板に固定されていす。
(半分はもみあげさんの受け売りです。)
帰国して部材が調達できたので製作再開します。
帝國工房の皆様、たいへんお世話になりました。あの後、不足分の部材も調達できました。完成時には是非おいでください。(ちょっと遠いですが。)
0.45mmの銅線で錨との連結部を製作しました。
艦尾信号灯は武蔵の場合、この位置にあります。扶桑は後部艦橋背面に設置されていますのでありうると思います。
「戦艦武蔵の最期」双葉社の乗組員の方の証言によります。
三又の根元にある信号灯は作業用として使用され、1個のようです。
「戦艦大和の設計と建造」アテネ出版 に鮮明なレイテ戦時の大和の写真、および公試、旋回中の武蔵の写真があります。このような構造物が第2主砲搭背面にあるようです。武蔵には更に構造物が追加されているようにも見えます。通風口として製作しましたが根拠は先の「給」以外にありません。
シコルスキ氏の図面表示「Box」がなぜ「弾薬箱」と翻訳されたのかは不明です。
大和魂さん、これのことですか?
一番艦首よりにあるダビットです。
「DVD 戦艦大和 -深海に眠る、栄光と伝説の全て-」より
出張が続いたので製作が停滞しています。
強度が必要な場所はギターの弦(YAMAHA#8 約0.25mm)0.2mmまで細くしてを使っています。Ni入りで錆びにくいのですが瞬着が殆どつきません。
いろいろ作っていますがなかなか形になりません。特に鎖は適当な太さの針金が売っていないので自作しようにも。。
こちらはお盆はないので明日も通常勤務です。
通風口とそれを利用した号令台です。手摺は壊してしまいそうなので後ほど。
リールはキャンバスで覆われて見えなくなるので。波除板にホースを付けていますが少したるませたかったので真鍮パイプに和紙を巻きつけています。上手く巻けていません。年月が経って黄ばんだ和紙を使いました。