ここに羅針儀があったのかなかったのか?そんなお話を聞かせていただきました。
・最初から防空指揮所を考慮して設計された艦橋
・「ちょっと後を通ります。」というように声をかけないと通れなかった。(清水氏)
・艦長はなにをみて針路を決めていたのか?
などから、あった方が妥当と考えています。部品としては小西製作所製の羅針儀を持っていますがこのスペースに入らないので、艦長用伝声管の脇に設置しようと思います。
伝声管も2本だけではないと思いますが。
手こずっていますが、左舷側はほぼ出来上がりました。サーフェーサーを軽く吹いています。
4番、6番間の踊り場のようなところはないようです。これを切り取るのは相当の手間なのでこのままにします。
中学生のころ販売された不二美模型出版の「戦艦大和」の白黒写真を見て、これは本物なのか?と思った思い出があります。スケールの違いもありますがなかなか近づけるものではありませんね。
艦上の記念写真ではこの扉に「カ」の文字がまたその下にもなにか字が書いてあります。扉上部にも数字が記されています。「模型海と空」の掲示板で情報を頂きました。
戦闘中、航海中に開、閉の区分と担当の分隊数字のようです。また戦時中のこともあり表示は改訂されているようです。単純に考えると開、閉の区分のみ残されたのではと考えます。「カ」なので開放されるべき扉になるのでしょうか?
甲板に配置してある扉には閉め「シ」が記述されているのかも知れません。
艦橋からのラッタルと干渉しそうですが。
支柱はピアノ線、手摺は真鍮線です。不器用なのでぶつけて壊さないようにしています。
もう少し細いものがあればよいのですが。
まだ旗甲板の箱が形状不明なので工作していません。艦橋関係で済んでいないのが
方位盤、機銃射撃式装置、ダクト、舷燈等です。艦橋後方のスペースには装填演習機と高角砲員の待機所があったようです。形状を考えなければいけません。(待機所は「軍艦武蔵」にも記述が出てきます。)
自己満足で並べてみました。まだまだ作らなくてはいけません。
哨信儀、探照燈などを取り付けました。窓ガラスも試しに入れていますが、うまく入れられません(接着剤がにじみます)。帝國工房さんに教わりたいですね。
22号電探は下部の受信側が拡大されていたようで終戦後の長門の写真などに見られます。保存会のパーツを一旦ばらばらにして付け直しています。
地味ですが逆探です。(艦橋側面蝶ネクタイ状)引込み線もつけました。
赤外線を使った味方識別装置で昭和19年以降搭載されました。
色を塗ってないのでうまく撮影できません。
全受器とセットになりますが。設置位置はまったくわからないようで。
人が立てる位置で60cm探照灯と干渉しない場所を考えると、この位置に張り出しを設けなければいけなさそう。下部見張り所とも干渉しそうですね。
前述のAl箔はいたるところに貼りまくっていますが塗装すると目立たなくなっています。
(パソコンのモニタが暗いのであまり画像がよく見えていません。nakanoさんのカタパルトもほとんど見えない! 残念です。そろそろ更新を考えねば。。現在モニタはFMV、本体のみ更新してます)
第一艦橋張り出し、13mm機銃座床。
ここは瞬着が剥がれて滑り止めの模様が跡として残ったところ。
全面に溶接跡を貼り付けた様子。マスキング、サ-フェサ-でうまく表現できなかったため伸ばしランナ-を貼り付け。(撮影2005.12.18)
このあと海図台などを作りましたが、外からは見えません。透明プラ板でガラス窓を追加しました。床面には段差がありグレーティングだったようです。(撮影2005.10.30)
組み立て途中の遮風装置。仕切りが足りないのとプラ板を使っているため後で削りだすことになりました。(撮影2005.11.21)
1.両舷に張り出した90式無線用アンテナのブランケットは大和のものに比べ裏向きに取り付けられています。中央のものは大和と同様です。
2.タラップは実艦の写真の角度から旗甲板までまっすぐ下ろしています。タラップ下部の配電盤は溶接跡は岡本氏のス-パ-イラストレ-ションを参照しています。
3.下部見張り所付近の甲板は形状不明で諸説あります。松野氏の3DCGを参考にしました。手摺をつけたいところですがピンバイスが入りません。
4.旗甲板は拡張されていないものと解釈しています。旗置き場は形状を把握していないため未加工です。
拡大するとあまり綺麗ではないですね。お恥ずかしい(;;)