武蔵では風速発信器と風向発信器は別体でした。風向発信器は航海灯と一体の可能性があります。作り直しかな?
風速発信器の丸いところはスケール上0.4mmしかありません。自分には製作無理そうです。
いまさら旗箱作って、何したかったかと言うと旗甲板の修正です。4回目かな。結構、旗見えますね。もう少し旗を押し込んでおくべきでした。
実際の日本海軍の旗の格納状態は戦後の長門などの写真が残っています。旗のデザインは以前、ある掲示板で”バンカー船の船乗り”さんから教えていただいたHPを参照しました。
おおよそ80枚それぞれの箱に格納してあるようです。国際信号機、日本海軍固有のものを書き並べてみました。
これを丸めて旗箱に差込みます。実際には上部のフックに引っ掛けてあるのでもう少し奥まで入れるのが正しいです。フックは木製の枠に取り付けてあります。
カラフルな旗を丸めて差し込むとどう見えるか確かめたかったのですが、この部分は旗甲板の背面に取り付けるのほとんど見えなくなる予定です。
(何してんだろ。。。)
上段、一番左がZ旗です。(判らんよね。。。)
青青、赤赤、不関旗などネタとしては面白いものがあるのですけど。
旗流信号のための旗の格納庫です。武蔵の艦橋背面からの写真を見ると旗流用のロープが2方向に伸びているのが判ります。
旗は国際信号旗を手書きで書いて格納する予定。プリンタ持っていないもので。
旗箱は同じ形状のものがいまでも海上自衛隊で使用されているようです。
輸送時に破損していたので改修しました。送受信用に分かれています。ラッパ形状の下側は受信感度を上げるために拡大されています。戦後の長門などで見ることができます。
チョコチョコと修正しています。防空指揮所前面の伝声管の前に見張伝令の配置(洗面器のようなものに腰掛けていた)、その後が艦長の立ち位置になります。艦長が伝声管を使うために後方に伸ばしています。
塗装が汚いので部分的に剥がしています。製作の動機が旧イラストレーションの艦橋図を見たことでした。かなり意識しています。が、見事なものではないですよ。
まだ接着はしていないので修正しやすいです。
背面の写真を追加です。旗箱、信号灯の位置が違います。2式哨信儀は装備したものとしました。
「DVD 軍艦武蔵」では艦橋被弾時の証言に「テレートークで呼び出したが応答がない」とあります。
伝声管、防空指揮所前面の従羅針儀、1.5m測距儀は取り払いました。
伝令所内はそれらしく作っていましたが更に工作が必要です。(見えなくなりますが(>_<))
艦橋全体に溶接痕を延ばしランナーで再現しています。最近は極細のCu線をWLに使う方もいるようですが、瞬着の使いが下手なので。
ジャキステーや梯子?を真鍮線で造っています。丸窓の上のひさしも真鍮線です。
ひさしの作り方は不二模型出版の記述をそのまま使用しました。
0.2mmの真鍮線の存在を知らなかったため0.3mmのものを使用しています。長崎の模型のツキオカさんで0.2mm真鍮線を手に入れてからひさし以外は全て作り直しています。
(撮影2006.1)
まだ製作はできませんが、掲載漏れした記事をいくつかupしていきます。
艦橋基部
キットの部位を切り取って新設します。
実艦写真と比べると単純な面構成ではないようです1/10とも違う気がします。
学研「戦艦大和・武蔵」で著作されているM氏からは「図面を描いたかね?」とのお言葉を頂きました。(描いてないんです・・・)NY展示会で見せていただいた図面、作品は驚愕ものでした。
この当時は各面を丹念にペーパーがけしていました。サーフェイサー鋼板の継ぎ目が再現できないか試行錯誤しています。(撮影 2005.11~12)
従羅針儀と1.5m測距儀を作ってみました。羅針儀は置けましたが、測距儀はどこにおくか悩んでしまいます。
こうすれば置けますね。羅針儀を1/10の大和に合わせてみました。
工作できていなかった遮風装置のスリットも追加中です。
信号灯支柱には補強が施されてます。逆探装備のためと推定されています。大和の海底調査からは先端部は折損しており確認できません。(写真を見せていただきました。)